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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 91-2

今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。

第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。

当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。

特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは本来であれば国が整備すべき若しくは税金で補填すべき部分に対しても過剰な国鉄への依存や短期鉄道債券による資金調達などの問題(新線建設などの場合30年40年と長期にわたり費用の償還等が発生するため資金調達もそれに合わせた長期かつ低廉な資金で調達すべきところですが、これを最短6年ほどで償還する鉄道債券などで調達していたことなども一つの原因ではないかと考えています。建設途中に償還期間がくるため新たな債券を発行するなどしなくてはならず、生活費がらりなくてクレジットカード等でお金を借りてしまいますので、その支払いのために更に生活が圧迫されて、新たなクレジットで借りて生活費に充てるような状況に国鉄は置かれていました。

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当初の貨物輸送再編は、民営化を想定したものでは無かった

国鉄貨物輸送の改善に関しては、昭和55年から、輸送量に見合った輸送力にすべく【減量ダイヤ】を行ってきたにも関わらず、その輸送量は減少を続けました。
抜本的改正を目指して、ヤード系輸送の廃止と直行輸送方式に変更するプロジェクトは、臨調がスタートした半年後の、昭和56(1981)の夏頃でした。

この改善プロジェクトは、臨調に追随する形で始まったわけではなく、むしろ臨調には批判的な位置から始まったのであり、昭和55年のダイヤ改正以降の総仕上げ的な意味合いもありました。
当初の計画では、ヤードを全廃するわけではなく、100カ所程度の集約するほか、車扱い輸送で専用線などを利用する場合には、むしろその合理化を図った上で、有効な路線は更に活(い)かしていくと言った方向性が考えられており、国鉄貨物局長の私的諮問機関である、貨物輸送制度研究会では、昭和58年3月24日に貨物輸送に関する提言を行っており、この中で専用線についても言及されていました。
その概要を、国鉄部内誌の国鉄線 昭和58年6月号から引用してみますと、おおむね下記のような内容でした。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

国鉄線 昭和56年6月号から引用

 

  1. 専用線については、工場敷地内に設置する場合などを除き、企業などが用地と費用をして敷設されるが線路の維持管理は国鉄の側線扱いとして国鉄が負担することになり、その保守費用等も含めて効率の悪い線路は廃止するなり集約します。
  2. 廃止に伴いコンテナ輸送等を推進するほか、廃止に伴う金銭的補償を行います
  3. 運賃制度も安いだけではなくコストに見合った運賃とするなど適正化を図るとともに、新たな専用線の誘致などを行っていきたいとしています。

下記に、専用線の提言に関する部分を引用させていただきましたので参照頂きたいと思います。

 国鉄線 昭和56年6月号から引用

少し長いですが、関連する部分などを引用してみたいと思います。

今後の対策
今後の対策
以上が提言内容であるが、ハード-・ソフト両面にわたって、今後の貨物輸送の方向に沿った改善を図るととを求めています。
今後は提言を踏まえ以下の通り検討を進めることとしたい。


(1)ハード面
効率の高いものの育成、強化と、低いものの見直しについては、58x以降の貨物駅整理並びにその対策について、早急に検討していきたいです。
なお、廃止に伴う補償等については、国鉄のおかれている現状を配慮しつつ、可能な限り実効性のあるものとしたい。
(2)ソフト面、その他
低コスト輸送の可能な専用線貨物の運賃については、58x以降の輸送システムに適合した運賃制度全般について5月20日に「貨物運賃制度研究会」を設け、検討を進めていますので、その中での検討に譲ることとしたい。
コンサルタント機能の充実、専用線の利便性の向上施策等については、関係箇所等を通じて貨車の回転率の向上、専用線内作業の適正化など輸送全般について、荷主の要望に配慮するとともに、専用線の敷設、運営、保守全般にわたってコシサルタント機能を充実し、経費の節減に資することとしたい。
なお、新規誘致や育成強化のための共同専用線化、敷設促進のための助成措置等についても、引き続き検討を進めることとしたい。

結果的には、ヤード系輸送全廃を目指すことに

当時の高木総裁の談話などを見ていますと、臨調の示す分割民営化は難しいのではないかと言った批判的であったと言われており、任期途中で分割民営化を進めるために、政府は民営化推進のための、更迭して、元技師長の仁杉巌(いわお)氏を総裁として送り込んでいます。
この辺は国鉄と当時の政府とのパワーバランスと言えましょう。
ちなみに、当初は国鉄民営化推進派と思われていましたが、組織温存を図る目的で、どちらかといえばその推進には否定的であったことから【組合による変節という意見もあるようですが、この辺は更に調べていく必要がありますが、結果的には、政府の不興を買うこととなり、その後運輸省事務次官で退官した、杉浦喬也(すぎうら たかや総裁に交代していくのは御存じの通りです。 

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 59年2月の貨物輸送システムチェンジは、国鉄再生を主とした目的でした。
結果的には、多くの専用線を含むヤード系輸送を全廃をせざるを得ないと言う結果になったのは残念でした。
また当然のことながら専用線廃止を含む方針が発表された後からは、廃止の延期などを含めた陳情が下記のように寄せられましたし、宇品線のように山陽線の側線扱いとして存続していた専用線も晩年は利用者が減少していたこともあり、廃止となってしまいました。

参考

local-line.at.webry.info

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