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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 92

本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。

任期途中で交代した高木総裁

仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。

その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。

当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。

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その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。
中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。

中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前鉄建公団総裁の仁杉巌氏を第9代国鉄総裁に任命したのでした。

仁杉氏の略歴は、下記の通りです。

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仁杉総裁略歴 国有鉄道1984-01から引用

民営化推進派として送り込まれた、仁杉総裁

国有鉄道と言う部内雑誌の1984年1月号で、就任に際して、と言う記事が書かれています。

これを読ませていただきますと、国鉄退官後、極東鋼弦コンクリート振興株式会社を経て、西武鉄道の専務取締役に就任するのですが、国鉄と異なり私鉄の場合は、全ての部分を見なくてはならないとして、下記のような感想を残しています。

「私は西武鉄道に8年いて学んだ経験の最大のものは、私鉄では経営者の精神が現場のすみずみまで徹底しているなということです。」

ただ、この言葉をして、国鉄の民営化には賛成ですと言ったとはなりません。

また、下記のようにも述べています。

国鉄を再建するのは大変なことで、まず国民の、そしてお客さまの信頼をとりもどさなげれば再建の一歩も踏み出せないというととを認識する必要があり、これが全役職員に浸透しなければいけないと思いますネ。

と回答しているように、総裁としては国鉄を民営化させることが目的では無く、あくまでも国鉄の信頼を取り戻すと言うことに主眼を持っていたわけです。
それ故に、組合の説得工作で変心したと言った記述をした文献もあるようですが、個人的にはそのように思いません。
少なくとも、この頃は、国労(民同左派)と職員局幹部の馴れ合いとも言えそうな、蜜月時代は終わり、むしろ対立路線に舵を切っていますので、総裁が組合に説得されたという論は無いと考えております。

もっとも、直接当時本社にいた方からお話を聞ければ、また修正できると思うのですが、現在は状況証拠から推察とさせていただきます。

国労は、「過員」問題で要求書を当局に提出した。

恐らく当局も極端な人員減は想定外で有ったと思うのは、59・2ダイヤ改正で有ろうと思います。

と言いますのも、ヤード系輸送の縮小にしても当初は、全面的な廃止を想定しておらず、武蔵野ヤードなどの近代的ヤード等は残せると考えて、専用線の合理化を含めて考えていたようですが、収支均衡を目指すと言う視点から、これは民営化に協力したと言うよりも、民営化させないために国鉄として自立できる道を選ぼうとした結果、要員を圧縮しすぎてしまったのでは無いかと推測できるわけです。

 84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。「国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。

その辺の焦りが、国労からも要求書として出てきたのではないかと推測しています。

なお、国労も書いていますが、制式には過員が正解であり、マスコミが書き立てた、「余剰人員」なるものは存在しません。

ただ、残念ながら未だに多くの文献などでは、「余剰」と言った言葉で語られることが多く、実際に渦中にあった国鉄職員の方から見ればこれは屈辱以外の何者でも無かったであろうと容易に推測できます。

自身の組織を守ろうとしてしたら、予想以上に縮小してしまったという話

国鉄本体が自身の組織を守るために行った改変が結果的には全てのヤードを廃止させることとなったと思われます。

同様の理由で、荷物輸送にあっても「クロネコヤマトの宅急便」に代表される宅配便が普及したことから、従来のように駅まで荷物を持ち込むもしくは受け取りにくる従来の鉄道荷物は減少続けることとなり、昭和58年度には集配から配達までを一貫して行える仕組みを作ったものの、減少傾向には歯止めがかからず、国鉄当局としては、59年のダイヤ改正で、荷物取扱量の少ない駅や線区の荷物営業を廃止したり、輸送力の削減と言った合理化を行ったとされています。
しかし、こうした努力はその殆どが、空回りしてしまう結果となったのは残念です。

下図は、昭和56年8月頃から使用を開始した、従来の荷札に代えて使用を開始した、国鉄荷物ラベルだそうです。
郵便局ののラベルは、私が郵便局に入ってからですので、国鉄の方がこうしたラベルの使用は早かったわけで、宅配便のに普段を参考としたのかもしれませんが、少しずつでも荷物輸送の改善に取り組んでいたことが判ります。

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昭和58年度国有鉄道 6月号の記事から引用

 

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******************以下は、国労の記事からの引用になります。******************

 

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第2節 仁杉総裁の登場と59・2ダイヤ改正
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二 貨物経営合理化と要員削減

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├○ 過員の発生│
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 2月1日以降の全国の職場に過員が発生したが、この問題の解決が59・2ダイヤ改正闘争に残された最大の課題であった。このため、84年1月12日に国労は「過員」問題で要旨次のような要求書を当局に提出した。

国鉄当局の実施している「「国鉄再建」は要員合理化だけ優先し、計画を上回る要員削減となっている。そのうえ、「59・2ダイヤ改正に機を合わせ、特別退職を上回る要員削減」を強行しようとしている。その一方で、「業務委託を拡大し、国鉄労働者の職場と仕事を奪い、大きな労働不安を起こすことは」容認できない。こうした施策によって意図的に創りだされた大量の「過員」の存在は、国鉄労働者の首切りにさえつながる危険をもつものである。

続く