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国鉄労働組合史詳細解説 121

久々に、国労運動史を底本にして解説を加えさせていただこうと思います。

国労が提案する、過員解消策

国労によれば、過員【国鉄当局的には余剰人員】の実態は、草むしり、文鎮づくり、今まで協力会社に回していた業務、自習という名の職場隔離であるとして、過員活用の要求として、下記のような活用方法を提案したとしています。

①『みどりの窓口』の時間規制廃止、現在閉鎖中の窓口の復活、
②縮小・時間閉鎖している全国主要駅の改札ラッチへの要員増配置、
③案内用電話の増設、要員配置、駅案内コーナーの充実・新設、
無人駅への職員配置、
⑤旅行センターの充実・強化、要員配置、
⑥自動券売機での混雑などの解消策として閉鎖窓口の復元、要員配置、
⑦十分なホーム要員の配置、
⑧列車乗務員の乗り込み基準を改正し、基本乗り込み数を増やすとともに、線区の特性、繁忙期などを勘案して増し乗務、特別改札要員の配置」。

こうした国労の体制は、正直今までの国労の対応を考えれば遅きに失したのではないだろうかと思える訳です。
この提案がなされたのは、昭和59年ですが、昭和57年のブルトレ闇手当問題に端を発する、国鉄の組織としての問題は、国鉄職員=働かない、とか国鉄職員=悪というイメージを作り上げており。

当時の職員局長であった、太田知行職員局長は、国労に対しては強気の対応を取ったことはすでに招致のことかと思います。

ここにきて、国労にはいささか強い態度で出る訳ですが、実際にこの時期の国鉄の余剰人員は当初の想定を上回るもので、国鉄としても職員の自然減で35万人体制に持って行けるとし、若干の採用はしていく予定で有ったと言われています。

しかし、実際には国鉄の輸送人員は数のとおり、旅客はともかく、貨物が壊滅的に減少しており、そうした意味でも何らかの措置は必要であったというのは言を待たないと思います。

国内旅客輸送人キロ 運輸白書昭和59年版から引用

国内旅客輸送人キロ

国内貨物輸送トンキロ 運輸白書昭和59年版から引用

国内貨物輸送トンキロ

元々は、ここまで落ち込むことはないと考えられていた貨物輸送ですが、高速道路の開通もありますが、国鉄の旅客輸送量のシェアは35年度51%であったものが,58年度24%へ、貨物のシェアに至っては、35年度39%であったものが58年度6%と激減しています。

こうした状況の中で、国鉄は昭和57年には大幅な減量ダイヤを発表、特に貨物列車を中心とした、大幅な減量ダイヤで多くの余剰機関車や車両が発生し、当時非電化であった山陰本線二条駅などに583系電車が用途不要で休車扱いとなり、貨車や機関車も余剰となってしまいました。

この後、昭和59年にはヤード系輸送の廃止などで更に機関車、貨車なども余剰となり、人員についても構造的に人が余ってしまうと言う悪循環になってしまいました。

合理化を拒否したことが窮状を生むことに

マル生運動終了後辺りから、合理化しても人が減らせないという矛盾(合理化をさせないと言った誤った方針が貫かれたことなど)が更に業績を悪化させて、合理化しやすい駅の無人化などを推進して結果的に町の賑わい自体を失わせることとなったと言えないでしょうか。

保線の合理化、近代的研修背坪の積極的な導入などを行なおうとしても要員が減らせないという誤った方策が、ここにきて矛盾として一気に吹き出したと言えましょう。

年に何度も行なわれたストライキ(処分撤回闘争というのあのストライキなど)で荷主の信頼を失ったことはすでに何度か書きました。

実際、上記の図でも自動車の輸送キロが大きく上るのが昭和50年頃から伸び出すのも、その辺を特に顕著に著しているかもしれません。

いずれにしても、鉄道貨物はそのシェアをどんどん減らすこととなるわけで、国鉄の余剰人員は構造的なものであったと認識されていました。

国労の提案は本当に評価出来るのか?

全否定する訳ではないのです概要を最初に書かせてもらえば、当局としては出来るだけ退職してもらうことを前提に考えている中で、国労が提案しているものは、もちろん人が余って居るからと言う理由ではそうでしょうが。

結果的に、そうした人を入れることで、要員の固定化となることを当局側としても嫌ったのではないかと考えるのです。

当時の国労は、引き続き分割民営化を容認できないことを前提に打ち出していますので、その線だけはなんとしても死守しなくてはならなかったのではないかと思われます。

実際には、国労の記事でも書いていますように、当時の国鉄当局からすれば、構造的に発生する余剰人員対策をどうするかは喫緊の課題であり、実際に貨物輸送の大幅な減少で追加の減量政策を導入せざるを得なかったと、国有鉄道 昭和58年1月号には下記のように書かれています。

貨物部門におげる輸送量激減、旅客部門Kおげる輸送量微減により、輸送量が計画と大きく食い違ったからです。このため「57・11ダイヤ改正」においては、当初の計画よりも貨物部門において減量化施策を強化せざるを得なかったわけです。効率の低下現象をこのまま放置すれば、ますます競争力は低下するわけですし、それは貨物の前途、経営改善計画の達成をも危うくするととにもなりかねないわげです。

ということで、国労の組合要求はどこまでも、「頑張りましたよ」的なポーズで納まってしまったように思えるのです。

 

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*************************以下、国労の記事から*********************************

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第4節 第四節80年代前半の賃金・労働条件を      
       めぐる闘いと専制労務管理への反撃
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 一 職場規律の確立攻撃

五 過員センターの設置と作業の実態

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├○ 過員活用の要求 │
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 国労は、過員問題解決のために6月1日に「輸送サービス・安全確保に関する緊急要求」を当局に申し入れた。この要求の3番目に、過員の有効活用のための具体的方策を以下のようにまとめていた。
  「三、利用者へのサービスと安全確保を強化する体制を整備すること。
①『みどりの窓口』の時間規制廃止、現在閉鎖中の窓口の復活、
②縮小・時間閉鎖している全国主要駅の改札ラッチへの要員増配置、
③案内用電話の増設、要員配置、駅案内コーナーの充実・新設、
無人駅への職員配置、
⑤旅行センターの充実・強化、要員配置、
⑥自動券売機での混雑などの解消策として閉鎖窓口の復元、要員配置、
⑦十分なホーム要員の配置、
⑧列車乗務員の乗り込み基準を改正し、基本乗り込み数を増やすとともに、線区の特性、繁忙期などを勘案して増し乗務、特別改札要員の配置」。
 これに加えて、労働時間の短縮、年次有給休暇の完全消化や業務委託の拡大の中止、などの要求を掲げた。
 しかし、国鉄当局にとって人員削減こそが「国鉄再建」の最大の課題であるため、組合の要求は実現が困難であった。もちろん収入増につなる場合には、過員を積極的にそれに投入し、活用したものの、組合の要求は実現困難であった。
 こうした攻撃にもかかわらず国労組合員は必死に闘った。84年9月1日現在における国鉄内の労働組合の組織状況を掲げておくと、組合員有資格者、29万2031人中、国労が20万7784人(71.2%)、動労が3万8173人(13.1%)、鉄労が3万4766人(11.9%)、全動労が2797人(1.0%)、全施労が2219人(0.8%)その他組合が1213人(0.4%)、中立が5079人(1.7%)であった。国労の組合員数は前年同期に比べると1万5000人以上減少していたが、組織率に変化はなかった。国労組織に対する激しい攻撃にもかかわらず、この時期他の労組からの加入者が増えていた。

続く