久々に更新させていただきます。
今回は、国鉄労働組合40年史も参照しながら、お話を続けさせていただこうと思います。
第46回定期全国大会での決定事項
国労のこの大会では、「余剰人員調整3項目」を当局が提案してきた背景には、以下のような目的があるとしていました。
なお、余剰人員調整3項目とは、当局が提示した人事案で下記のような内容です。
改めて、ここに示しておきます。
-
年齢56歳以上のものの特別昇給の停止
-
退職前提休職制度の導入
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全職員を対象とする派遣制度の導入
でした、当時の国鉄には明確な定年がなく、概ね55歳前後で勇退する人が多かったのですが、55歳を超えて働く人も居たようです。
そこで、55歳を一つの基準として線引きをしようとしたようです。
- 20万人代体制を図るための合理化であること
- 「過員*1」問題は、団結力の破壊や、闘争力の弱体化を目指すもの、世論との分断を図る思想攻撃であること
- 「雇用安定協約」の空洞化、破壊を目指すものである
- 「去るも地獄・残るも地獄」の風潮を醸成し、出向や配転、休職・退職を促進させるものという意識付け
として、激しく反論していますが、国労が言うところの世論は、国民をどのようにみていたのでしょうか?
国労的には、ローカル線の廃止問題などで世論と協調しようという意図であったと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか?
国労は、こうした要求に対して、8月31日に半日ストライキによる全国統一行動で行うと決定していますが、世論に訴えると言いつつ、国労の違法ストライキが容認されるとは当然思えないのですが、国労的には矛盾していなかったのでしょう。
ただ、国鉄当局が三項目を受入れない場合は、雇用安定協約の破棄も視野に入れるとしたことから、国労も態度を硬化させることとなり、「三ない運動」などに見られる、運動を展開していくこととなるのでした。
国労は、3ない運動を決定
さらに、こうした提案に対して、国労は10月31日、11月1日に第142回中央委員会を開き、「余剰人員調整三項目」をめぐる闘いの「中間的総括」を行い、先に開催されたm青年部第七〇回中央委員会の「三項目」に対して”首切りに妥協はない"との方針を決定、婦人部第八〇回中央委員会の、「三項目」に対して”辞めない、休まない、出向かない"といった”三ない運動"の展開を決定*2した。
さらに中央委員会は、国労に対して当局が強気に出ているのは、動労・鉄労・全施労が先行妥結したことだと分析
実際、同じ総評にあって、動労は総評との足並みを待たずに先行妥結を行うことで優位性をアピール(この辺が革マルらしさと言えるのですが、従来の労働運動を乗り越えて新しい運動を展開していく)という考えが根底にあったのではないかと考えます、実際JR東日本発足後に経営幹部に取り入り、松田昌二を囲い込んだ事などは、今後更に検証する必要がありますが、その仮説として考えるべき問題ではないかと考えております)
なお、国労は雇用安定協約の破棄など当局の方針を下記のように分析していました。
再び、国鉄労働組合40年史から引用させていただこうと思います。
当局の国労に対する攻撃の意図は
となっていますが、国労の分析としては概ね間違っていないと言えそうですが、2項目目の「雇用確保」の基本を放棄する姿勢を示したと言うのは、個人的には疑問点として残ってしまいます。
というか、国労がかなり歪曲して理解しているようにも思えます。
逆に言えば、当局が何が何でも悪いから国労としては動けないんだという方向に持って行かないと、国労という組織をまとめられなかったのではないかと考えてしまうわけです。
そして、こうした分析を踏まえて国労は「雇用安定協約」破棄反対を掲げて、11月中旬から12月上旬に第7次全国統一闘争を展開、60年3月ダイヤ改正反対、合理化反対、国鉄運賃値上げ反対要求を掲げて、ストライキを含む闘争を行うと決定していくのですが、国労が、色々な職種の寄り合い世帯であること、更に多くの派閥がある組織であることを考慮しても、時代遅れなイデオロギーに固執してしまった点が、国労を衰退させてしまった原因にあると言えそうです。
続く
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国鉄があった時代 JNR-era
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今回は、下記の国鉄労働運動四〇年史から多くを引用させていただきました。