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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 86

  久々に更新させていただこうと思います。

今回も、国労の資料を底本として、他の資料等を参照しながら見ていきます。

国鉄主導では無く、自民党主導で進められる国鉄改革

国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。

特に、今回の再建監理委員会の権限は単なる諮問機関では無く実行力を伴うということで、その拘束力は大きなものがありました。

民営化反対を明確にする国労

国労は、監理員会設の設置に反対し、社会党【現・社民党】や共産党と連携を図りながら、法案成立阻止を目指しましたが、法案は82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、国労としては、廃案を目指し法案反対署名100万人の集約や2回の総決起集会などを実施しましたが、当時の世論はむしろ国鉄職員に対する批判が強かったと言われています。
特に、昭和59年2月に大幅な貨物システムの改訂【ヤード系輸送の廃止】に際して荷主からも、もっと国鉄部内ですべきこと、【合理化や、過剰な要員】等を指摘されたという話もあり、世論はむしろ国鉄改革の行方をどちらかと言えば期待しながら見ていると言った風潮がありました。

もちろん、国労も、分割・民営化の本質についての徹底した学習と討議により、闘うエネルギーを結集し、地域への闘いの輪をひろげる努力をしたが、労働組合の側も反対の統一行動が必ずしも組織され無かったこともあり、廃案には至りませんでした。

 

当時の世論を、国鉄線という雑誌の投書から拾ってみますと、下記のような記事がありました。

親切な駅員などがいる反面、これでもサービス業か?と疑われるような職員もいたようです。

少し引用してみます。 

出札窓口編

「単身赴任中の父に会いに行くのを楽しみにしていた母は、父の急用で時期を変更しなければならなくなりました。みどりの窓口にきっぷの変更を相談に行った母はすっかりしょげて帰ってきました。理由を聞くと窓口で叱られたと言います。久しぶりに元気になった母が『迷惑かけてしまって、もう行くの止めようか』とすまなそうに言うのを聞くと悲しくなりました。」

「田端駅で特急『あいづ』の指定券を求めた際、すぐきっぷを渡してくれたが、ふと『あいづ』では発車まで時聞がありすぎるので、もう少し早く帰れないかと思い、その旨尋ねた。すると、その職員は時刻表を見て『いいで』号がありますが、しかし、これから上野へ行つては間に合いません。赤羽へ行けば何とか間に合うかも・・:。と教え、いったん作成した『あいづ』に変えて『いいで』の指定券を心よく用意してくれた。結果は赤羽で四分の余裕を残し、きわやかな気分で帰郷できた。」


車掌さん

「先日、国電の一番後ろに乗ったんです。車掌さんを見てましたら駅の名前を言うだけで、後は新聞を読んでいるんです。動かすのは運転士がいるからいいんでしょうが・・・・。」

「激しい雨の日、電車ですばらしい車掌さんに出会いました。彼は列車が駅に着くころを見はからって『次の駅でお降りの方は、前から二両目でお降り下さい。それ以外のところはホlムに屋根がございません。強い雨が降っています。』とアナウンスするのです。こんな調子でどの駅もこなしてしまい、声にも張りがありました。この放送を聞いて、私は雨の憂うつ、も吹っとんで楽しくなりました。」

ここに記したにはほんの一例ですが、現在では考えられないほど職員の勤務態度は誉められるものではありませんでした。
特に、一番利用者と接するフロントがこのような状況であったことも、国鉄に対して世論が擁護に動きにくい状況を作っていたのでは無いかと推測されます。

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国鉄線、昭和57年4月号投書から拾うから、転載させていただきました。

 

再建監理委員会による緊急提言

 国鉄改革反対という世論を味方に付けようとしても、世間の国鉄に対する批判は、収まらず、 監理委員会は発足後二ヵ月に満たない八三年八月二日には、「国鉄再建のための緊急措置について」を提言し、「経営管理の適正化」「事業分野の整理」「営業収支の改善と債務増大の抑制」の三点にわたって具体的措置を述べています。

  1. 経営管理の適正化」
    組織全般の簡素化や職場規律の確立など
  2. 「事業分野の整理」
    ローカル線の廃止促進、ヤード系貨物輸送の全廃、荷物輸送の廃止
    国鉄の経営改善計画を進めるための、基礎となりました。)
  3. 「営業収支の改善及び債務増大の抑制」
    経費縮減のための要員削減、収入増のために地域別運賃の導入、設備投資の抑制、資産の売却など

実際、この提言を受けて、既に昭和57年には、国鉄職員の新規採用が停止され、そのしわ寄せが現在のJR各社で顕在化している退職者問題に行き着くわけです。
退職により、技術伝承が上手くいかなくなる恐れがあることなどが問題になっているのはご存じのとおりです。

さらに、この提言によって、当時実施されていた国鉄の「経営改善計画」はさらに、加速化されることになり、結果的に、昭和56(1981)年に国鉄が自ら策定した後の無い再建計画よりも遙かに強力なものとなり、結局、昭和59(1984)年5月9日には、経営改善計画そのものの変更せざる得なくなり、実質的に国鉄が計画した再建計画は破綻することとなりました。

投書の国鉄が描いていた再建計画では、

経営の重点化と徹底的な減量化施策を行なうとともに,法定限度内の適時適切な運賃改定や行財政上の措置により,経営の改善を完遂しようというもので、経営改善の具体的な方策としては,
①輸送の近代化
②業務運営の能率化
③収入の確保
経営管理の適正化
⑤設備投資
地方交通線の改善
⑦安全の確保および環境の保全の7項目から成っている

さらに部門別経営改善計画として
①旅客部門
②貨物部門
③荷物部門
④船舶部門
⑤自動車部門
⑥その他の業務の能率化
⑦関連事業
⑧資産処分

の8項目、それぞれの部門について,業務能率の向上や収支改善,収入目標などが掲げられている。

 と言った内容であり、あまり自浄作用が期待できないような計画であったようです。

分割民営化ありきで進められた解体劇

監理委員会は、分割・民営化をその基本方針と定め、世論の醸成を図っていくこととしました。
これは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなか根強く残っていたからでした。
昭和58年1月に国鉄の貨物輸送の大幅な改変(ヤード系輸送を廃止し、直行系輸送中心に切換)する場合も、自民党としては総論賛成、各論反対の状況があって、その説得に難渋したという記録もあります。

f:id:whitecat_kat:20180326204019j:plain第1次地方交通線で昭和59年2月1日以降も当面貨物輸送を残す線区

こちらも併せて参照していただけると幸いです。

ameblo.jpそうした状況を踏まえて、監理委員会としては、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いがあったと言われています。

その辺は、大原社会問題研究所、日本労働年鑑 第57集 1987年版
特集 国鉄分割・民営化問題 I 分割・民営化論の台頭から具体案の作成まで」に詳しく記されていますので、少し長いですが、引用させていただきます。

監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ根強い状況を踏まえて、早めに基本的態度を打ち出しておき、分割・民営化のための世論環境をととのえるという狙いをもっていた。監理委員会のかかる目論みを引きとるかのように、六月二一日に仁杉国鉄総裁は日本記者クラブで基本的に分割・民営化に賛成だという見解を明らかにした。ついで、三塚博自民党国鉄再建小委員長が『国鉄を再建する方法はこれしかない』と題する著書を発行し、国鉄再建は分割・民営化が基本であると述べた。同盟系の鉄労も六月二六日の中央委で、地域本社制と特殊法人への転換を主張し、国鉄自らの、外圧によらない分割・民営化を推進するよう提言した。仁杉国鉄総裁は七月六日に修正発言をするが、こうした有力者による分割・民営化賛成発言は、反対派の気勢をそぐのに効果があったであろう。こうしで八四年八月一〇日に監理委員会の第二次提言が提出された。

ここで、仁杉国鉄総裁は基本的には分割民営化には賛成という見解を発表するものの、その後はトーンダウンしていくこととなり、同盟系の鉄労は、分割は基本反対であるが民営化は推進の方向を示しました。

ただ、鉄労の民営化推進は、積極的に民営化を受け入れると言うよりも、国労に対する対抗心から出てきた対応策であったと推測されます。

さらに、三塚博自民党国鉄再建小委員長は、改革三人組と呼ばれた幹部職員からの情報を得ながら国鉄分割民営化への道筋を作っていったと言えそうです。

 分割民営化反対で行動する国労

ここで、再び国労の見解と言いますか、国労の記事を参照しますと、下記のように綴られています。

国労としては、国鉄の再建策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。」

と言う位置づけにしているのですが、これは裏を返せば今までのマルにする文化*1を継承しようという意味合いにも取れます。

もちろん、路線の縮小などは「利用者にガマンを強いつつ」というところで当てはまりますが、どうも労働者のための職場を奪われるのは我慢ならないと言うことで、これに対して『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。

ということで、今までの単なる反対から一歩抜け出せたと見えるのですが、国労が示す、

① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」

と言う題目は、対案を国労としては残念ながら示せませんでした。

また、2項目の

② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、

とありますが、上記のような駅員や車掌の態度がそのまま国民に伝わるのか正直この当時の現状を知るものからすればお寒いものを感じてしまいます。

国労の記録から引用させていただきます。

今日すすめられている国鉄「再建」策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。われわれは、政府・独占、当局のこれらの政策・攻撃に反対し、こうすれば国鉄の真の再建ができるということを明らかにしつつ、『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。この立場から。① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、どのような態度をもって望むか、職場で真剣に討議し、討議の結果にもとづいて一つひとつ実行していかなくてはならない。【1983年度運動方針】という具体的な方針を決定した。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第1節 国鉄再建監理委員会の発足と「緊急提言」
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二 中曽根内閣による行革路線の推進

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├○ 監理委員会発足後の国労闘争方針│
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 国労は監理員会に対する警戒感を強め、管理印加位はその権限によって「国家財政の危機の深化に即応して国家財政による負担の切り捨て、行政サービスの放棄はもちろん、採算性だけを重視して『再建』が強行実施されるとしたら、委員会は国鉄のもつ全国のネットワークの特性と公共性を無視した国鉄破壊の推進的役割を果すことになるだろう」【1983年度運動方針】と考えた。
 国労は、総評や全交運とともに監理員会設置法案が82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、廃案を目指し法案反対署名100万人の集約や2回の総決起集会などを実施し、また国会内では社会、共産両党の闘いと連携して反対運動を展開した。だがこの闘いは、国労内では分割・民営化の本質についての徹底した学習と討議により、闘うエネルギーを結集し、地域への闘いの輪をひろげる努力をしたが、この行革反対の闘いが社・共両党のみであるという厳しい環境におかれ、労働組合の側にも臨調攻撃にさらされている舞台での統一行動が必ずしも組織されず、ここに分断され弱さが露呈された」ため、廃案という成果をあげることができなかった。【第138回中央委員会方針】
 監理員会設置後の民主的再建闘争の方針として、国労は次のように決定した。

 今日すすめられている国鉄「再建」策は、「路線の切り捨て、営業範囲の縮小、省力化、国鉄労働者と利用者にガマンを強いつつ、一方では職場の専制支配【労務管理の強化】と『分割・民営』化を意図するものである。われわれは、政府・独占、当局のこれらの政策・攻撃に反対し、こうすれば国鉄の真の再建ができるということを明らかにしつつ、『みずからもこうする』ということを明確にして闘っていくことが必要である。この立場から。① 民主的な国鉄再建案を具体的に提示し、「職場から地域から運動を盛り上げ、地域から中央を包囲する体制の確立をはかる。」② 「みずからもこうする」方針では、これまでの国労国鉄再建に国民の理解を求めるため。「お願いします」の域から一歩出て、「国民の要求をわれわれ自身の要求として闘っていくことを『委員会』の設置後の今日なお一層重要視していく。「われわれが、”誰でも、いつでも利用しやすい国民の国鉄”をつくる担い手として、日常の仕事を通じて利用者・勤労国民との連帯を深めるうえで『親切・誠実』を地道に追求し、どのような態度をもって望むか、職場で真剣に討議し、討議の結果にもとづいて一つひとつ実行していかなくてはならない。【1983年度運動方針】という具体的な方針を決定した。

続く

*1:不祥事を無かったことにする文化