鉄道ジャーナリスト、日本国有鉄道歴史研究家 日本国有鉄道 社会学 鉄道歴史 労働史

鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 78

皆様こんにちは、久々に投稿させていただきます。

本日は、国労の資料から少し離れて、国鉄改革時に禁止となった兼職議員についてその歴史を探ってみたいと思います。

国鉄時代には兼職議員というのは、実はごく一般的な存在でしたがその根拠はどこにあったのでしょうか?

早速ひも解いてみたいと思います。

国鉄職員の兼職が認められたのは昭和26年6月から

その経緯を探ってみますと、元々国鉄では議員の兼職は認められていませんでしたが、昭和26年6月1日の改正 法律第百八十九号で、日本国有鉄道法の一部が改正され、今まで職員の兼職を認めていなかったものが一転、町村議員に限って許可すると法律が改正されます。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第百八十九号(昭二六・六・一)

  日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十一条中「第十二条第二項」を「第十二条第四項」に改める。

第二十六条第二項中「第十二条第二項第三号に該当する者」を「第十二条第四項第三号に該当する者(町村の議会の議員である者を除く。)」に改める。

附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。          

2 この法律施行の際日本国有鉄道の職員であつて、運輸省設置法及び日本国有鉄道法の一部を改正する法律(昭和二十五年法律第百五十九号)の施行の日(昭和二十五年五月十日)以後に行われた選挙によつて市(特別区を含む。)の議会の議員となり、現にその議員であるものは、第二十六条第二項の改正規定にかかわらず、その任期中は、引き続きその議員であることができる。

3 前項の日以後に行われた地方公共団体の議会の議員の選挙の際日本国有鉄道の職員であつて、当該選挙において当選人となつたものについては、改正前の第二十六条第二項の規定は、その者が当選人であること、議員であること及び日本国有鉄道の職員であることになんらの影響を及ぼすものでない。

4 第二十六条第二項の改正規定は、この法律施行の際日本国有鉄道の職員であつて、現に都道府県の議会の議員であるものについては、附則第一項の規定にかかわらず、この法律の施行の日から起算して十日間は、適用しない。この場合において、その者がその期間内に議員の職を辞さないときは、その期間を経過した日に日本国有鉄道の職員の職を辞したものとみなす。

(内閣総理・運輸大臣署名) 

参考 国鉄があった時代

この改正により、議員の兼職が法的に認められたわけですが、何故町村議員に限って兼職が認められたのでしょうか?

国鉄の兼職議員は、町村議員から?

この頃の世論では、公民権の行使として地方議員に参加するのはごく一般的であると言う考え方から、でているようです。そのあたりは、参議院議員の議事録にそのヒントがありそうです。

少しだけ長いですが、全文引用します。

○大和与一君 只今議題となりました日本国有鉄道法の一部を改正する法律案につき、提案者を代表いたしまして提案理由を簡単に御説明申上げます。
 現行日本本国有鉄道法におきましては、国有鉄道の職員は、地方公共団体の議会の議員(町村を除く)を兼ねることが禁止されているのでありますが、かかる措置は実情に副い得ないものがあり、且つ憲法によつて保障された公民権である被選挙権を不当に制限している虞れがあると考えられるのであります。
 即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。

大和与一氏は、日本社会党(左派)の代議士で昭和28年初当選、参議院議員所属3期18年を務めて引退しているようです。

恐らく、ここで氏が指摘しているように、今以上に公民権の意識が強かったと思われ、国鉄職員であっても地方自治に参加する機会を奪ってはならないと言う趣旨での発言であったと思います。

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当時は町之田半分以上が国鉄職員という地域も存在した。

この背景には、当時は自治体としての自律を求められていたことや、国鉄・専売公社。昭和27年からは電電公社などの直接政府に対しての権力関係を持たない職場であれば地方自治に直接議員として参加することは容認されるべきという雰囲気があったのかもしれません。

そこで、昭和26年に改正された日本国有鉄道法ですが、更に昭和29年12月には再び改正され、今まで町村議員のみに限られていた議員の兼職を総裁の許可があれば市町村議員までは兼職を認めると言うことになりました。

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他の公社職員との扱いを是正するために兼職議員を認めろと言う論調

その理由を再び、氏の発言から引用させていただきます。

ざっくり書けば、

  1. 国鉄職員が住民の大半を占める地域もあり(吹田市などはその例)そんな地域で国鉄職員が政治に参加できないのは地方自治の主旨に合致していないし、実際に既に全国で77名の多くの兼職議員が誕生しており今更禁止出来ないでしょ
  2. 議員なんて暇だから専従者はすくなく国鉄職員以外の一般の議員も所詮は兼職しているから、国鉄職員だけ特別扱いにしなくてもいいよね。
  3. 専売公社は、禁止規程自体無いし、後発の電電公社(NTT)も市議会議員まで認めているんだから、国鉄だけが町村議員しか認めないのは極めて不合理だよね。

ということで、書き方は乱暴ですが、そうした趣旨の発言をしており実際にこの改正により、国鉄は再び日本国有鉄道法を改正することになりました。

即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。ちなみに国鉄職員で現在市議会の議員を兼職している著は全国七十七名の多数に上つているのであります。
 なお、最近政府が慫慂している町村の合併が促進されるならばますますその数は増加することが予想されます。

  第二に、国有鉄道の職員が地方議員を兼職した場合業務に及ぼす影響が大であるかのごとく考えられるのでありますが、単に職員ばかりでなく、市議会の議員としてその職務に専従している人は極めて少く、他に勤務を持ち、或いは家事のかたわらその責務を果しているのが通例であろうと思われます。勿論、職員は直接又は間接に旅客、貨物の輸送に従事する重責を担つております。併しながら市町村の行政区域は比校的狭く且つ、交通機関の発達いたしております現状におきましては、何ら業務に支障なく議員たるの責務を果しつつあることは既往の実績が雄弁にこれを物語つているところであります。
 第三に、同じ公共企業体の職員である專売公社の職員には議員兼職に対する何らの制限規定もなく、電信電話公社職員は市議会の議員まで兼職が認められている現在、国鉄職員なるが故に、町村議会の議員のみにとめておくことは、過去の政治的慣習を無視するものであるばかりでなく、一貫性のない極めて不均衡な取扱いであるといわなくてはかりません。かかる問題は法律によつて抑制すべき事柄ではなく、有権者の自由にして民主的な判断に待つべきものであると思考いたします。
 以上の諸点より、国鉄職員に対する職員兼職の制限規定は本法律より削除すべきが当然ではありますが、本問題の今日までの経緯に鑑み、少くとも市議会までは兼職を認むべきが妥当と考え、右のごとく提案いたした次第であります。

 昭和29年12月15日、下記のとおり再び改正され、。

但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

この法律の制定により、国鉄職員は市町村の議員として兼職が認められることとなったと言われています。

日本国有鉄道法の一部を改正する法律

法律第二百二十五号(昭二九・一二・一五)

 日本国有鉄道法(昭和二十三年法律第二百五十六号)の一部を次のように改正する。

 第二十六条第二項中「(町村の議会の議員である者を除く。)」を削り、同項に次の但書を加える。

  但し、市(特別区を含む。)町村の議会の議員である者で総裁の承認を得たものについては、この限りでない。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。

2 この法律施行の際、現に市(特別区を含む。)町村の議会の議員である職員については、第二十六条第二項但書の規定による総裁の承認があつたものとみなす。

(運輸・内閣総理大臣署名) 

 参議院会議録情報 第020回国会 運輸委員会に関しましては、こちらを参照ください。
 

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国鉄労働組合史詳細解説 77

政府のバックアップを受けて改革に進む当局

国鉄に対して、時の政府はどちらかというと放任主義というか自由に任せるところが有り、どちらかと言えば金のなる木として扱ったきた傾向が昭和30年代にはあったのですが、昭和30年代から潜在的に存在していた赤字問題が大きくなり、3K赤字(国民健康保険・コメ・国鉄)ということでむしろお荷物になってきた国鉄に対して抜本的な改革を行う必要がありました。
そこで、国鉄としては、現場協議制の改革を宣言しました。
主な改訂内容は

  1. 協議の対象範囲は労働協約就業規則、規程、達、通達等に定められていない当該現場固有の日常の労働条件にかんして生じた団体的紛争の事後処理等に限定する
  2. 協議中といえども施策の実施を妨げない
  3. 開催は月一回で臨時開催を認めず、一回の協議時間は二時間以内、上級委員会を設置し、現場労使が対立した問題は上移する

というもので、本来に現場協議に戻すべきものと言う考え方に立ったものでした。

鉄労・動労は賛成、国労は反対

これに対して、鉄労は、現場協議制が、ヤミ手当、ヤミ慣行等の根源であり、改訂すべきは当然であるが当局がその運用を誤まったが故に機能し中たと主張しており、鉄労は、『職場委員会』を機能させてきたが同列に扱われては困ると、鉄労の立場を主張しています。

また、動労は、現場協議制の中で、『すべてを業務命令で対応する』という当局の意図を、『議事録確認』を結ぶことによって骨ぬきにしてきたことは事実であるが、現状を考えれば、やむを得ないとして、新しい現場協議制に移行することを妥結しています。

少し長いですが、大原社会問題研究所の労働年鑑から引用させていただきます。

鉄労は、国鉄当局のかかる改訂提案にたいし、ヤミ手当、ヤミ慣行など職場規律の乱れの温床の一つが現場協議制度であり改訂提案は当然という。「しかしながら、現行協定であっても当局がその運用を誤まら」なければ十分に機能したのであり、「正しく運営してきた私たちの『職場委員会』を他集団のそれと同列視することは、はなはだ迷惑である」と主張した。だが、鉄労は、(1)現協の運用の乱れこそ職場規律荒廃の元凶であり、その元凶をなくすことが緊急課題である、(2)無協約状態は得策でない、(3)「鉄労との単独妥結も辞さないとする当局の態度は、従来の労使関係を改善しようとするものとして評価できる」(鉄労第一六回大会運動方針案)という判断にもとづいて、新協定を締結した。

 動労は、現協改訂提案を「従来の協定を改悪ないしは破棄することによって、職場闘争を圧殺する意図をもってこの攻撃をかけてきました」という評価を下しつつ、交渉によって「『すべてを業務命令で対応する』という当局の意図を、『議事録確認』を結ぶことによって骨ぬきにしてきたこと、さらにこんにちの情勢のもとではこれ以上の前進はないと判断し」(動労第三九回大会運動方針案)協定を締結した。

 結果的に、国労と全動労は協約を締結せず、無協約状態となるのですが、国労の方針は、あくまでも既存の協約を続けることであり、下記のように撤回を求めて交渉したようです。以下、国労の資料から引用します。

この協約改定交渉で国労はまず「合意に達しない場合は再締結はしないという当局方針の撤回」を求め、当局の提案は「職場での労使交渉を否定し、個人的の苦情処理機関に現場を変質させようとするもの」であり(8月31日)、「審議し対立した事項さえ回答無用と切り捨てることは許せない。どんな場合でも現場に働く者とそこの管理者が誠心誠意話し合ってことの解決に当たるべきである」(9月7日)などの点を強調し、交渉を積み重ねた。
 しかし、10月8日、当局に対し、①すでに10回の団交を行ってきたが、当局は組合側の質問、疑義、主張に対して誠心誠意心をもって応えようとしない、②11月20日まで交渉する期日があるが、当局の態度はいたずらな時間稼ぎであり、労使の合意が得られることは判断できない、③当局提案は現協を全面的に否定するものであり、これ以上の団交は無益なので交渉は本日をもって打ち切る、との通告を行い16日に公労委に「団交応諾義務確認」の調停申請を行った。(11月16日、調停不調)

結局、当局側は交渉のテーブルに着くことはなく、 昭和57(1982)年12月1日からは新しい現場協議制に移行することになりました。

現場協議制を締結しなかったことで混乱する現場 鹿児島局事件

その後、国労ではいくつかの現場レベルので職場管理ともいえる事件が起こるようですのでその辺を少し参照してみたいと思います。

その一つが勤務時間の入浴問題であり、もう一つが鹿児島事件と呼ばれる職場管理事件でした。

何れも当時の事例をとして挙げてみたいと思います。 

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最初に入浴に関してですが、業務の内容に鑑み勤務時間内に入浴を認めることが長い慣習として続いてきたこともあり、なかなか改善が進まなかったとも聞いていますが、ここでも国労は、入浴は既得権であるとして、下記のような事例が報告されています。

国有鉄道 昭和58年6月号の記事からの一部引用ですが、門司なのか東京なのかはわかりませんが、おそらくテレビに映ったと書いていますので東京での出来事と思われます。

少し長いですが、引用させていただきます。

①入浴問題
入浴問題は全国的に是正されてきたが、東京、門司のいくつかの動力車区では、国労が、勤務時間内入浴は慣行であり、是正するには労使間で話し合ってからすべきだという方針のもとに、勤務時間内に入浴を強行し、それを防止しようとする当局側との聞にトラブルも発生した。また、国労の東京、門司両地本は、との問題を地方調停委員会に「慣行・確認などに反した入浴問題の一方的な規制に伴う具体的労働条件について平和的解決のため団体交渉に応じること」等を求めて、あっせん申請も行った。
との過程で、入浴を強行する職員、裸で区長、助役につよめる職員、ジュプレヒコーノレを繰り返す組合員の姿が新聞やテレビを通して生々しく報道された。国鉄をとりまく厳しい状況の中で、国民の理解を求めなげればならないにもかかわらず、この有様は国民の目にどう映っただろう。
一方、国労はまた勤務時間内入浴について新たな制度の創設をも求めてきた。

当局はこれに対し「①いわゆる悪慣行である勤務時間内入浴が未だに一部の箇所で是正されずに存在しているが、即刻是正されるべきとと。①また、①との関連において、九州および関東地調委の第三者機関に組合側の申請によって係属されている事柄も自ずと解消がはかられること、この2条件が満たされたうえで、具体的に貴側から趣旨説明を受けるなど誠意ある団体交渉を行っていきたい」と回答し、結局、組合側はこれを受け入れ、いわゆる入浴闘争は中止され、あっせん申請も取り下げられた。

ということで、話は聞いてあげるけど、悪慣行だから是正してねと言う方向で整理が図られたとされています。

逆に、下記のような事例も発生しました。
 

駅業務の組合管理事件

合理化が遅れていた鹿児島局が、昭和58年3月1日から実施の方向で、駅業務や検修業務の合理化を図ろうと組合交渉しようとして、1月17日から実施したのですが、国労とは現場協議が未締結のため、地本と何度も交渉を重ねようとしましたが交渉のテーブルに応じなかったため、3月1日の予定を7日迄延長したうえで、他組合と最終交渉を行い妥結、国労には趣旨説明を行い、担務変更などの実施に踏み切ったのですが、国労はそれを不服として8日に九州地方調停委員会に団交促進のあっせんを申請しましたが、こちらも結局は不発に終わり、当局は、委託契約に基づき日本交通観光社は社員を、指宿枕!崎線山川駅日豊本線西都城駅、同南宮崎駅に派遣しましたが、組合員がピケを張るなどの妨害行為に出たため、当局のたび重なる説得にもかかわらず業務にっけない状況が続き、警察に出動を求め、南宮崎.西都城両駅では機動隊がピケ隊を排除する場面も出たと言います。(本来公安官がこうした場合の対処に当たるので警察の出動は異例)
しかも、国労組合員が業務命令に服さずに勝手に切符を販売し、そこで得た金銭を駅長室に放置したり、職員名の預金口座に入金したりしていた。
といことで、駅長室に現金放置はともかく、職員名の預金口座に入金した時点で公金横領になるわけで、これに対して当局は国労に厳しく改善を迫ったそうです。
混乱を極めた自体は3月28日になってやっと正常化して、29日から当局提案どお りの業務態勢となったそうですが、マスコミは「業務の組合管理」というととで大きく報道されることになったと言われています。
国有鉄道 昭和58年6月号引用
国有鉄道 昭和58年6月号から一部抜粋

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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続き

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
└───────────────────────┘

 現場協議制に関する交渉の決裂

 この提案を受けて国労は、8月16日の中央闘争委員会で「話し合いを基礎とする健全な労使関係を将来にわたり維持する」「ことが重要であるとの立場を確認し、『現場協議の円滑な運用を図るため『現場協議に関する協約』の締結の経緯を尊重し、同協約の各条に係わる労使の見解の相違については、この協約の締結単位で協議し、すみやかに解決するものとする。」という、労使間で確認されてきた内容の再確認を迫ることとした。
 この協約改定交渉で国労はまず「合意に達しない場合は再締結はしないという当局方針の撤回」を求め、当局の提案は「職場での労使交渉を否定し、個人的の苦情処理機関に現場を変質させようとするもの」であり(8月31日)、「審議し対立した事項さえ回答無用と切り捨てることは許せない。どんな場合でも現場に働く者とそこの管理者が誠心誠意話し合ってことの解決に当たるべきである」(9月7日)などの点を強調し、交渉を積み重ねた。
 しかし、10月8日、当局に対し、①すでに10回の団交を行ってきたが、当局は組合側の質問、疑義、主張に対して誠心誠意心をもって応えようとしない、②11月20日まで交渉する期日があるが、当局の態度はいたずらな時間稼ぎであり、労使の合意が得られることは判断できない、③当局提案は現協を全面的に否定するものであり、これ以上の団交は無益なので交渉は本日をもって打ち切る、との通告を行い16日に公労委に「団交応諾義務確認」の調停申請を行った。(11月16日、調停不調)
                                      
続く

国鉄労働組合史詳細解説 76

皆さまこんばんは、しばらく間が空いてしまいましたが国鉄改革の歩みと言うことで、本日も綴らせていただきたいと思います。

昭和57年のマスコミによるブルトレ手当問題(ヤミ手当問題)に端を発した国鉄問題は、臨調の答申もあって国鉄当局が変わるきっかけを作っていくことになりました。

さらには、昭和57年のダイヤ改正国鉄にとっても初めての減量ダイヤであり、この交渉に際して、従来の方針を変更し、現場協議制を本来の姿に戻すとして国労に通告することになりました。

その背景には、臨調答申などの背景や政府・自民党の後押しも多き方っと推測されます。

逆に、この当時の国鉄は利子のために利子を借金せざるを得ない状況に追い込まれていたと言えます。

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二条駅に留置された581・583系(画像 wikipedia

国鉄本社が職場規律の確立に舵を切ったこと

昭和57年7月21日、国鉄本社で、15時50分から本社9階大会議室で、全国総局長・鉄道管理局長会議が開催されたそうです。

そこで、高木総裁自ら、職場規律の確立を強く要請するなど、流れは大きく変わってきました。

ここで高木総裁も職場規律の確立を要請すると言っているように、国鉄としても悪習である現場協議制を本来の形にもそして行くと言う方向に動きました。

当時の国鉄線(昭和57年9月号31P)から引用させていただきます。

全国総局長。鉄道管理局長会議開催

 21日、運輸省で小坂運輸大臣に対して職場総点検の是正状況を中間報告したのに引き続いて、15時50分から本社9階大会議室で、全国総局長・鉄道管理局長会議が開催された。
 冒頭、挨拶に立った高木総裁は、経営改普に懸命の努力を続けている各鉄道管理局長に感謝の意を表した後、国鉄の再建のためには,職場規律、合理化、サービス向上、増収の4つの認識にいろいろな角度から取り組んでいくことが必要で、中でも職場規律の確立はすべての前提である」として、職場規律を中心に4つの課題にしっかり取り組むよう強く要請した。また、現場協議協定の改定についても、「労使問題の根源がここから派生している」として、幹部自らが現協問題のすべてをじっくり勉強して、部下管理者に対する周知と指導を徹底するよう厳しく訓示した。
 引き続いて、竹内常務理事が経営再建問題について、三坂常務理事が職場規律と新規採用停止を中心とした合理化問題について、太田職員局長が現場協議制度の改定について、岩崎共済事務局長が共済年金問題について議題脱明を行ない、質疑応答に移り、熟心な意見交換が続いた。
 最後に馬渡副総裁が、「来年度の予算編成もさることながら、今年度の執行自体が非常に困難な状態で、死にもの狂いで増収と合理化を完遂する以外に道はない。とにかくやるしかない。それならぱ暗い顔でなく胸を張って堂々と気持良く取り組もう」としめくくり、18時過ぎ散会した。

昭和57年度の監査報告書では、下記のように職場規律の確立が肝要であると書かれています。

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国鉄を取巻く環境の変化と労働組合

このように、国鉄を取巻く環境は大きく変化し、国鉄当局も太田職員局長も職場規律改善に向けて動き出すことになりました。

これは、政府からの要請も大きかったようで、昭和57年の監査報告書には下記のように書かれています。

 

抜粋して引用させていただきます。

1職 場 管 理
第4 職 員 管 理

(1)現    状
  国鉄の職場規律の乱れが次々と指摘され国民の厳しい枇判を受けることとなり、かかる事態に対し昭和57年3月運綸大臣の指示により全職場の総点検を実施した。その結果。多くの職場において、いわゆる悪價行、ヤミ協定、現場協議制の運用の乱れなどが存在し、問題の広がりと深さは、それまで把握されていた以上に深刻であることが判明した。
  国鉄は。このような実態を早急に是正しなければ、職場の正常な業務運曾は維持できず国民の信頼を回復させることも到底できないとの危機意識をもって、この一年間組織を挙げて問題の解決に取り組んできた。また、これと併行して、職場規律の乱れの温床との指摘のあった現場協議制についても、これまでの鰹験や反省をもとに検討を加え、昭和57年12月1日をもって、本来の趣旨にのっとり改訂し、現場での正常で円滑な業務運営を期することとした。
  一方、政府は、昭和57年7月の臨時行政爾査会の答申を受け、国鉄経営の危機的状況に鑑み、同年9月緊急対策を閣議決定し、職場規律の確立をあらゆる経営改善施策展開の大前提として位置付けた。これを受けて、国鉄は、職場規律の確立を最優先課題としてその促進にさらに力を入れて取り組んだ。
  このような取組みによる成果を把握するため、国鉄は、昭和57年9月に第2次の総点検を行い、是正状況を厳しく自己点検し是正の促進と定看化を図り、さらに昭和58年3月に第3次の総点検を実施した。その結果。いわゆるヤミ手当をはじめ、給料日 の早退、管理者の金銭的負担等が解消したほか、いわゆる悪t貫行、ヤミ協定等かなりの項目についても大勢として改善の方向にあることが認められた。また、新しい現場協議委異会制度に関する協約については末締結の組合もあるが、昭和57年12月以降の
 現場における業務運営は、ごく一部を除き、大きな混乱もなく行われていることが把握された。

更にこれに対して、国労は「現場協議制」については、国労は、協約の実質上破棄通告であると強く反発し、団体交渉を重ねるとともに公労委の調停にも持ちこんだようですが、国鉄当局としても、職場規律の確立は喫緊の課題であり、提案を変更することはなく、国労全動労全国鉄動力車労働組合)は、無締結状態となりました。
動労、鉄労、全施労は11月30日当局の改定案を大筋で了承し解決しています。
この頃から、国労動労の温度差が出てきていたことが伺えます。
参考 現場協約と改定案の相違点

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引用 国有鉄道昭和57年11月 から引用
 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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続き

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 57.11ダイヤ改正交渉と鉄労・動労・全施労の先行妥結

 このような少数3組合の先行妥結に対して国労は、このような協定では、『労働条件に関する協定とはいえない」こと、従来の労使関係からして『少数組合と先行妥結した内容を国労に押し付けることは許されない」などと強調するとともに、36協定破棄、順法・非協力闘争治っで対抗しながら、異なる協定の締結を求めて精力的に交渉を要求した。その結果、「昭和57年11月ダイヤ改正に伴う労働条件については、地方対応機関において交渉し(82年11月14日)、交渉は事実上打ち切られることになった。そして、これまでの「合理化」問題交渉では、他方で一定の労働条件改善(昇格)が行われていたが、この57・11ダイヤ改正問題をめぐる交渉からは、そのような措置も行われなくなった。

 現場協議制に関する交渉の決裂

自民党三塚委員会が”破棄”を提言し、臨調第4部会報告も”本来の趣旨”に改めるよう主張していた「現場協議制」について、「国鉄当局は82年8月19日、「現場協議制に関する協約」の改定案を提示し、協約期限の11月30日までに交渉がまとまらなければこの協約は破棄すると提案してきた。この提案は、すでに7月19日に動労、全施労、鉄労などには提示されていたもので、国労は解明要求を申し入れて、その交渉には応じていなかった。この8月19日に示された改定案の骨子は、①協議の対象範囲を労働協約就業規則、規程、達、通達等に定められていない現場固有の日常の労働条件に関して生じた団体的紛争に限定する。②開催は毎月①階とし、臨時開催を認めず、1回の教義時間は時間以内とする。③ 上級委員会を設置し、現場労使が対立した問題は上位する、などであった。
                                      
続く

国鉄労働組合史詳細解説 75

昭和57年時刻改正当時の国鉄当局

国鉄改革の問題が表面化する前、国鉄も少しづつ変わりつつありました。

特に昭和57年11月は東北新幹線開業もあり、新幹線シフトさせつつも大幅な旅客並びに貨物列車を減少させることとなり、運用の合理化、ヤードの集約と言った大規模な合理化が引き続き続けられることとなりました。

お客様本位を始めた国鉄当局

特に、57年11月の改正では、

貨物輸送課長 矢山恒夫氏の説明によりますと、「将来とも生き残るべき拠点間直行列車を一万一〇〇〇キロ増発する一方で、使命を終えたヤード系集結輸送列車を四万九〇〇〇キロを削減。
 さらに、拠点間直行列車の増発もさることながら、入出線時刻の改善をめざし、有効時間帯に列車をはめ込んでいくことを目玉としたことで、従来からの高速直行一二六本の列車の中で、荷役線から荷役線まで着く時間が三〇分以上縮めたものが半分以上。
 さらに、コンテナ列車一七本、車扱列車五本の計二二本を新設したのですが、これについても、荷主さん、通運さんのオーダーに応えるような「オーダーメイド」の列車を作ることに苦心いたしました。

と書かれています、

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国鉄線 昭和57年11月号から引用

以前は国鉄がこうしたダイヤを作ったから、それに合わせて出荷しろ…だったわけで、そうした意味ではかなり変わったなと言えましょう。

しかし、昭和55年のダイヤ改正時からでも10%づつ貨物輸送は減少していたわけで、そうした意味では国鉄としても崖っぷちであったと言えます。

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運輸白書昭和58年版から引用

列車削減による機関車等の余剰発生

それでも、上記の例でもわかるように「ヤード系集結輸送列車を四万九〇〇〇キロを削減」していmすので、

(増発 11000)-(削減 49000)=(削減 38000)
貨物列車だけでも、38000キロの列車が消えたことになります。さらに今回は旅客列車も減少させたうえで車両の効率的運用などに努めたことで、機関車等に多数の余剰が発生しました。

また、東北新幹線開業により、「ゆうづる」・「みちのく」等で使われていた583系電車は寝台列車に廃止に伴い、昼夜兼行で走れる区間が少なくなり大幅に余剰が発生することとなりました。

二条駅ヤードなどにも583系が多数留置されることとなりました。

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画像 Wikipedia

国鉄時代にダイヤ改正は概ね1年前から準備が始められ、ヨンサントウのような大規模な場合は数年前から準備が始めるのが恒例で、担当者が温泉宿に詰めてそれこそ缶詰め状態で検討会議をすることが一般的であったと言われています。

57.11ダイヤ改正の概要と国労動労の反応

1981年10月27日に、国鉄当局は五七・一一ダイヤ改正の概要を発表し、実際に組合と協議することになったのですが、東北新幹線開業という華やかな場面がある裏側で、35万人体制を目指すという合理化初年の計画でもありました。
  1. 旅客輸送については、東北・上越線新幹線開業を機会に在来線旅客関係で約2万5000キロの削減を図る。
  2. 貨物輸送関係については、輸送力と輸送量の大幅な乖離を解消するために地域間直行貨物輸送体制をめざし、貨物取扱駅251駅の削減(800駅体制)、ヤード41の削減による再編(100ヤード体制)、貨車1万3000両の削減、貨物関係約4万キロの削減をはかる。
  3. これらにともなう作業体制・勤務体制の見直し、動力車・列車乗務員の運用効率化をはかる。
 
 と言ったものであり、乗務員並びにヤード職員を中心に大幅な合理化が計画されているわけですから組合としては看過できない問題でした。
そこで、国労は、『経営改善計画』は早くも破たんしているといわなければならない。にもかかわらず国鉄は35万人の要員規模にするという計画を強行しようとしており、収支改善のみを追求し、国鉄の公共性を放棄するものと言わざるを得ない。」
という抗議声明を発しています。
国労としてはこのダイヤ改正に反対することとして、11月16日に今回のダイヤ改正について具体的な要求を提出するとともに、12月14・15日の第133回中央委員会(国労会館)でも、この57・11ダイヤ改正に対する闘いは「国民の国鉄づくりを目指すたたかいと、国鉄労働者の労働条件を維持・改善する取り組みとを結合したたたかい」として位置づけ事前協議に入ったとされています。
ただ、この交渉はなかなか進まなかったと言われていますが、国労は、当局側は「不当労働行為にならない程度で団体交渉に応じる」態度であり、従来のダイヤ改正問題では「確認事項」として問題の整理がなされてきたのに、ここにいたって当局は公労法8条(団交から管理運営事項を除外)をもち出して「覚書」扱いを主張したと主張しているのですが、・・・・

第八条 公共企業体の管理及び運営に関する事項は、団体交渉の対象とすることができない。

2 第四条の規定により組合に加入できない者以外の職員に関する左に掲げる事項は、団体交渉の対象とし、これに関し労働協約を締結することを妨げない。

 一 賃金、労働時間及び労働条件

 二 就業規則

 三 時間外割増賃金

 四 休日及び休暇

 五 懲戒規則並びに昇職、降職、転職、免職、休停職及び先任権の基準に関する規則

 六 苦情処理機関

 七 安全

 八 労働協約の終期、更新及び延長

本来、鉄道のダイヤ改正に関することは労働条件の変更に関する部分があるとはいえ、列車の増発削減等は、経営専管事項であり団体交渉に載せるべきものではないのです。
これは、郵政省でもそうでしたが、事業運営の事項に関しては管理運営事項として厳密に区分されていましたので、経営の根幹にかかわる部分まで組合に確認させていたのは正直不可解というのが個人的な見解です。
実際に、昭和50年7月には7月1日に予定されていたダイヤ改正が、組合との交渉遅れで7月18日に延期される事態となりました。
北海道内ダイヤ改正 7/18
本来7月1日に予定されていた北海道内のダイヤ改正が17日遅れで実施され〈いしかり〉登場

特急〈いしかり〉が札幌~旭川間にデビュー。7往復、エル特急に 写真は、高架前の札幌駅ホームに停車中のライラック(いしかり)をライラックに改称
 
 
 
そこで、国労は「国労との団体交渉の形骸化をねらう当局」に対して全国的な統一闘争を背景にねばり強く事前折衝をつづけながら団交を要求するともに、本社座り込み抗議行動などを実施した。しかし、国労の要求は、一歩も前進せず、協定化は難航をきわめた。 
これは、当時の太田知行職員局長が人事のトップに立ったことが大きかったと思われます。
少なくとも、個人的な見解では、本来のダイヤ改正にかかる項目などを、管理運営事項に戻した功績は大きいと言えましょう。
参考 幣サイトの宣伝で恐縮ですが

whitecat-kat.hatenablog.com

しかし、既に何度か書きましたが、動労はスト権ストの失敗以降、方向転換の道を探っていたようであり、実際に昭和55年の改正以降も減り続ける貨物輸送に不安を感じていたと思われるのですが、11月10日には、最大労組である国労より先に、動労・鉄労・全施労は当局との間で「57.11ダイヤ改正の実施に伴う労働条件に関する協定」を妥結したのとされています。
本来は組合間で定めたコミュニティルールで、多数派と交渉して妥結してから他の組合とも妥結するのが今までの流れであっただけに、国労としてみれば想定外の出来事で当たろうと思われます。

更に、その内容はその後の労使協調宣言を彷彿させるような内容であり、国労との温度差を感じさせるものでした。

「57.11ダイヤ改正にあたっては、国鉄のおかれた状況を認識し、これまでの事前協議、団体交渉の経緯を尊重し、労使の信頼関係に立脚し、協定・協約等を遵守して、円満な実施をはかるものとする」と謳われていた。

ということであり、国労との温度差を感じさせるものでした。

 

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

┌───────────────────────┐
├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
└───────────────────────┘

 57.11ダイヤ改正交渉と鉄労・動労・全施労の先行妥結

 1981年10月27日に当局が発表した五七・一一ダイヤ改正は、35万人体制を目指す「経営改善計画に基づく初めてのダイヤ改正であった。その概要は、
 ① 旅客輸送については、東北・上越線新幹線開業を機会に在来線旅客関係で約2万5000キロの削減を図る。
 ② 貨物輸送関係については、輸送力と輸送量の大幅な乖離を解消するために地域間直行貨物輸送体制をめざし、貨物取扱駅251駅の削減(800駅体制)、ヤード41の削減による再編(100ヤード体制)、貨車1万3000両の削減、貨物関係約4万キロの削減をはかる。
 ③ これらにともなう作業体制・勤務体制の見直し、動力車・列車乗務員の運用効率化をはかる。

 という内容であった。
 この提案に対し国労動労は、「『経営改善計画』は早くも破たんしているといわなければならない。にもかかわらず国鉄は35万人の要員規模にするという計画を強行しようとしているが、今回のダイヤ改正提案もその一環であり収支改善のみを追求し、国鉄の公共性を放棄するものと言わざるを得ない。」との抗議声明を発表した。国労は、11月16日に今回のダイヤ改正について具体的な要求を提出し、12月14・15日の第133回中央委員会(国労会館)でも、この57・11ダイヤ改正に対する闘いは「国民の国鉄づくりを目指すたたかいと、国鉄労働者の労働条件を維持・改善する取り組みとを結合したたたかい」として位置づけ事前協議に入った。
 1982年に入ってダイヤ改正をめぐる交渉は本格化し、12月末のは労使間で一定の確認と整理が行われた。しかし、この時期は前述のように、自民党三塚委員会の「提言」(4月16日)、国鉄当局の「職場規律総点検報告」(4月23日)、臨調第4部会報告(5月17日)、ブルートレイン乗務旅費返還訴訟の提起(7月15日)、現場協議協約改定案提起(7月9日)、臨調基本答申(7月20日)などもあって、労使交渉がスムーズにはすすまなかった。当局側は「不当労働行為にならない程度で団体交渉に応じる」態度であり、従来のダイヤ改正問題では「確認事項」として問題の整理がなされてきたのに、ここにいたって当局は公労法8条(団交から管理運営事項を除外)をもち出して「覚書」扱いを主張した・国労は、国労攻撃のキャンペーンが猛威を振るっているなかで、国労との団体交渉の形骸化をねらう当局に対して全国的な統一闘争を背景にねばり強く事前折衝をつづけながら団交を要求するともに、本社座り込み抗議行動などを実施した。しかし、国労の要求は、一歩も前進せず、協定化は難航をきわめた。
 この事態を受けて国労は、10月15日以降は職場における26協定の破棄、非協力闘争に入り、10月末から11月初めにかけて一週間にわたる本社前抗議行動を展開した。
11月6日になって当局は「団交再開」を申し入れてきたが、国労は10日、全国委員長会議を開いて
 ① 14日までに決着し24日までに全国統一解決を目指す。
 ② 14日までに解決しない場合は15日始業時から全国拠点統一時限ストを実施する、との方針を固めた。
 ところが、この日(10日)、この57.11ダイヤ改正問題交渉でその後顕在化する特徴的な出来事があった。動労・鉄労・全施労は当局との間で「57.11ダイヤ改正の実施に伴う労働条件に関する協定」を多数組合の国労をだしぬいて妥結したのである。そこでは、「57.11ダイヤ改正にあたっては、国鉄のおかれた状況を認識し、これまでの事前協議、団体交渉の経緯を尊重し、労使の信頼関係に立脚し、協定・協約等を遵守して、円満な実施をはかるものとする」と謳われていた。
                                      
続く

国鉄労働組合史詳細解説 74

皆様こんにちは、久々に更新させていただきます。本日は、昭和58年度の運輸白書を参照しながら、お話を綴らせて頂こうと思います。

 

減少する旅客及び貨物輸送

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運輸省 昭和58年度運輸白書から引用

上記の図を見ていただくとよくわかるのですが、国鉄の旅客輸送は昭和50年頃までは右肩上がりで増加しており、昭和51年から輸送キロは緩やかに増加しつつも旅客数が減り続けました。

昭和25年当時と比べると1/10シェアとなった貨物輸送

貨物についてはもっと顕著で、昭和45年をピークに減り続け、昭和50円には者扱い貨物に関しては昭和30年代よりも減少してしまっており、そのシェアは昭和25年の30%からわずか0.3%と1/10にまで減少してしまいました。

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特に車扱い貨物が嫌われた原因としてヤードでの入替作業が大きかったと言われています。

到着した貨物を改めて方向別に仕分けして新たな貨物列車を組成するのですが、平均して8時間程度足止めを受ける。
更に、連絡させるべき貨物列車に牽引定数の予備が無いと次の貨物列車に回されるので、更に到着が遅くなる。
当然のことながら、何時到着するかわからないという問題が生じてきます。
さらに、貨物列車の場合積み荷を積み替える必要があり、こちらもその多くが人力作業で行われていました。
そのような理由から、高速道路が開通した昭和40年以降は幹線であっても貨物輸送は大きく落ち込み、かってはヤードでは滞留貨車で向こうが見えないと言われた吹田操車場でも隙間が見えるようになって来たりしたと言われています。

値上げと旅客離れという悪循環

国鉄としては、昭和51年以降は利払いなどの利息の支払いも増えて値上げをせざるを得ず、値上げすると当然のことながらある一定数の顧客離れを起こしてしまう。

こうした悪循環に陥ってしまいました。

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昭和56年以降は、運賃値上げが恒例行事となってしまいました。
昭和57年にはわずか6年で初乗り運賃が倍の120円となっており、国鉄としても人員合理化を行うとともに列車キロを削減する縮小再生産に入らざるを得なかったことが何となく理解できると思います。

この時期に国労から出された、緊急基本要求

その辺が、国労が書いているような、国鉄当局の合理化攻撃であったというのですが、現状の輸送量などを考えるとやむを得なかったのではないかと思ってしまいます。

”第二臨調”行革路線が目指す国鉄のさらなる”減量経営”化を企画したもので、その後の数次のダイヤ改正を経て、人員削減から「余剰人員」創出へと連なる大きなステップであった。

 そんな中で、国労は下記のような緊急基本要求を8月26日付で当局に対して求めています。
当時は、国労労働組合の筆頭であり、当局としても国労の意見を無下には否定できないのでした、その内容を見ていきますと下記のようになっていました。

 (1)国鉄の分割・民営化に反対し、現行経営形態を維持すること。
 (2)「現協」協約改定案にあたっての「一夏20日までまとまらなければ再締結しないという態度を?空白(おそらく撤回)すること。
 (3)乗車券、割引証は長い歴史を持つ雇用条件・労働条件であり現行の諸条件を守ること。
 (4)兼職議員の諸条件は憲法の精神に則った職権である。従って現行の諸条件を守ること。
 (5)現場労使間の諸問題の解決に当たって現場労使間で十分協議し、意見の一致を期すこと。
 (6)運賃値上げをやめ、通学・通勤割引率を引き上げること。
 (7)不要不急の設備投資を抑制し、サービス向上、安全輸送の確保、都市通学・通勤輸送の充実を図るための投資
 (8)東北・上越新幹線の開業に伴う赤字は政府の責任とすること。
 (9)年金一元化の実態とそれにともなう国鉄共済の既得権を最大限維持し、国鉄職員の将来に対する不安を解消すること。

 

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何れも、(3)~(6)及び(9)は、既得権益であるからそのまま残せということになっているのですが、現状の車両キロの減少などを考えると正直不安を感じてしまうものです。
また、(6)運賃値上げをやめ、通学・通勤割引率を引き上げること。につきましては、一見何となく国民の方向を向いているように見えますが、実際にはこうした福祉・文教政策への割引が国鉄経営の大きな赤字を生む元凶であることを国労が知らないはずはなく、40年代には国労自体が、貨物運賃のうち「石炭・石油と言った車扱い輸送はおよそ収支相償う運賃を収受せず政策的に安く抑えており、資本家階級を利するものだと激しく反対」しているわけで、この(6)はいわば国労のポーズではないかと推測しています。

参考

plaza.rakuten.co.jp

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 三 臨調=行革路線に基づく国労攻撃との闘い│
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 1981年10月に一方、1982年に入ってからマスコミによる「国鉄問題:ないしは反国労キャンペ提起された57.11ダイヤ改正問題は、”第二臨調”行革路線が目指す国鉄のさらなる”減量経営”化を企画したもので、その後の数次のダイヤ改正を経て、人員削減から「余剰人員」創出へと連なる大きなステップであった。そして82年5月17日の第二臨調第四部会報告及び7月30日の臨調基本答申(第3次答申)に盛られた「緊急11項目」時はこの年の夏頃から具体的に職場にあらわれ始めた。8月26日付の国労の「緊急基本要求」(前述)は、それに対応する要求でもあった。
 すでに7月15日、ブルートレイン検査掛に支払われていた乗務旅費がいわゆる「ヤミ手当」だとして国鉄当局は国労動労組合員155人に対し返済請求の訴訟を提起し、同月19日の団体交渉で当局は「現場協議に関する協約」の改定案を提示し協約期限の11月30日までにまとまらなければこの協約を破棄すると通告していた。9月になると兼職議員の禁止、10月には無料乗車証の廃止などが提案された。これらは、長年の職場慣行の破棄もともないながら職場における国労潰し包囲網の展開に他ならなかった。
                                     
続く

国鉄労働組合史詳細解説 73

みなさま、おはようございます。

 

今回は、国労の労働運動史を底本とせず、昭和57年当時の国鉄当局の動きを大原社会問題研究所の労働年鑑を参照しながら私なりに解説を加えさせていただこうと思います。

はじめに

昭和56年末のブルトレ闇手当問題に端を発するマスコミによる告発キャンペーン、更には、翌年3月の名古屋駅における特急紀伊衝突事件は、機関士が酒に酔って運転していたこともあり、世間から非難を浴びることとなりました。

whitecat-kat.hatenablog.com

そうした、流れの中で出てきた国鉄の抜本的改革を含む臨調答申は、大きく注目されることとなりました。

さらに、こうした背景を受けて国鉄当局も、従前の労使関係、どちらかと言えば融和政策から、対決政策に大幅に舵を切ったと言えます。

それまではどちらかと言うと、現場労働者にしてみれば泡沫の夢から覚めたような、現場管理者にしてみれば悪夢から覚めたような感じだったのではないでしょうか。

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現場協議制の廃止などを実施

現場協議制は、公労委仲裁委員会の勧告(一九六七年一二月)に基づき、一九六八年三月から、職場段階(車掌区・機関区・駅等)における交渉がおこなわれてきました。

これは、現業を抱える職場では現場の問題は現場で解決すべきであるということで、国労が提起し、地方調停委員会での調停作業を経て労使が受諾した結果、締結されたものでした。

 「当該現場の労働条件に関する事項であって、当該現場でなければ解決し難いもの及び当該現場で協議することが適当なものについて協議する」ことを定めたこの協約でしたが、組合とすれば、現場当局の交渉のためのきわめて重要なものであり、組合側からすれば、現場交渉を通じて職場における新たな労使慣行を形成していく格好の場であったわけです。

言ってみれば、職場管理の状況を呈していたわけで、管理職の吊し上げ等も行われ、物言わぬ管理者の誕生や管理者不適な者を管理者にせざるを得ないと言った状況も発生していました。(組合が適職者に対して助役試験を受けさせなかったためと言われています、この手法は郵政でも全逓が行っていました。)その「現場協議制を本来の趣旨にのっとった制度にあらためる」と第二臨調が提言したことを受けて、国鉄当局は一九八二年七月一九日、国労動労など関係組合に協約の改訂を申し入れました。制度の目的を変更する旨を通告し、従来の労働協約は一九八三年一一月三〇日をもって期間満了としその後再締結しないことを明確に通告しました。

  1. 業務の正常なる運営
  2. 正常で平和的な労使関係の維持
  3. 国鉄業務の公共性、特殊性に鑑み、現業機関における労働条件に関して生じた団体的紛争の迅速かつ実情に即した処理、としており、また「協議」は「審議」に変わり、対象事項や回数を限定する

当初は反対の意を示した各組合でしたが、動労、鉄労、全施労はその提案を最終的には受入れましたが、国労・全動労は反対を貫くことになりました。

改定案を受入れた動労、鉄労、全施労、反対した国労・全動労

 この最初のボタンのかけ間違いとでもいいますか、つまずきがその後大きく流れを変えていくことになるのですが、ここでは動労が、今回の改訂方針を受入れたことは注目されます。

これは、1982年のダイヤ改正で、貨物を中心に大幅なダイヤ減量で多くの機関車などが余剰になったことも関係していました。
列車キロが減るということは同時に乗務員の減少を意味するわけですから、乗務員のみで構成されている動労にしてみれば、死活問題で有ったわけで。

多少の不満はあっても、当局に従うべきであると考えたと思われます。

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組合活動の抑制を行ってきた当局

  臨調の基本答申では「違法行為に対しての厳正な処分、昇給昇格管理の厳正な運用、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図る」と提言されており、

これに基づき、当局は、それまではある程度容認してきた、リボン・ワッペン着用にたいしても訓告などの処分を行うようになってきました。

ビラ貼り・立て看板・横断幕の一方的撤去等々組合活動にかかわる権利にたいする介入・干渉が各地で起こったと言われています。

また、時間内入浴などの処分も行われており、職場確立のための緊急アンケートも行われています。

(バッチについては、国鉄時代は処分の対象にしなかったよう見受けられますが、JR東海発足後は組合バッチを付けていた社員に対して処分が発令されています。余談ですが、それ以降国労では、国労バッチの代わりに国労ボールペン(国労のマークがクリップ付近についたもの)や国労ネクタイ(ネクタイのタイの部分が国労のマーク入り)で対抗すると言ったことが行われました。)

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ちなみに、郵政省の場合は、協約でバッチに関しては容認だったようで、全郵政・全逓ともバッチはしていました。

また、俗にいうブルトレ闇手当問題に関しても、動労が組合として立て替える形で返納すると表明したことに対し、国労および全動労の組合員は長年の慣行による職務手当であり返還する義務はないと返納を拒否、その後国鉄当局が返還を求めて提訴する事態となっています。

また、国鉄には地方議員との兼職に関しましては、私もこれからさらに調べていく必要があるのですが、興味深いものを見つけました。

それは、国鉄職員はかっては町村長議員のみ認められていたが、市会議員は認められていないということで、これを改正しようという動きが有ったそうです。

少し長いですが、当時の国会審議録から抜粋させていただきます。

昭和二十九年十二月六日(月曜日)第020回国会 運輸委員会 第2号

 ○委員長(高木正夫君) 速記を初めて。
 それでは国有鉄道法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 先ず発議者大和与一君から提案理由の説明を願います。
○大和与一君 只今議題となりました日本国有鉄道法の一部を改正する法律案につき、提案者を代表いたしまして提案理由を簡単に御説明申上げます。
 現行日本本国有鉄道法におきましては、国有鉄道の職員は、地方公共団体の議会の議員(町村を除く)を兼ねることが禁止されているのでありますが、かかる措置は実情に副い得ないものがあり、且つ憲法によつて保障された公民権である被選挙権を不当に制限している虞れがあると考えられるのであります。
 即ち第一に、国有鉄道職員の居住状況を見ますると、全国を一貫する厖大なる輸送業務に携おつている関係から、分岐駅、繰車場、工場或いは一定距離間に所在する組成駅等においては、その構内に幾多の業務機関が設置され、当該市町村における職員居住の割合は他に比して極めて大であり、所によつては職員数がその大半を占める個所さえあるのであります。
 かかる個所において、市なるが故に国有鉄道の職員が、全く地方自治に参与することができないということは、地方自治の本旨に反するものといわなければなりません。ちなみに国鉄職員で現在市議会の議員を兼職している著は全国七十七名の多数に上つているのであります。
 なお、最近政府が慫慂している町村の合併が促進されるならばますますその数は増加することが予想されます。
 第二に、国有鉄道の職員が地方議員を兼職した場合業務に及ぼす影響が大であるかのごとく考えられるのでありますが、単に職員ばかりでなく、市議会の議員としてその職務に専従している人は極めて少く、他に勤務を持ち、或いは家事のかたわらその責務を果しているのが通例であろうと思われます。勿論、職員は直接又は間接に旅客、貨物の輸送に従事する重責を担つております。併しながら市町村の行政区域は比校的狭く且つ、交通機関の発達いたしております現状におきましては、何ら業務に支障なく議員たるの責務を果しつつあることは既往の実績が雄弁にこれを物語つているところであります。
 第三に、同じ公共企業体の職員である專売公社の職員には議員兼職に対する何らの制限規定もなく、電信電話公社職員は市議会の議員まで兼職が認められている現在、国鉄職員なるが故に、町村議会の議員のみにとめておくことは、過去の政治的慣習を無視するものであるばかりでなく、一貫性のない極めて不均衡な取扱いであるといわなくてはかりません。かかる問題は法律によつて抑制すべき事柄ではなく、有権者の自由にして民主的な判断に待つべきものであると思考いたします。
 以上の諸点より、国鉄職員に対する職員兼職の制限規定は本法律より削除すべきが当然ではありますが、本問題の今日までの経緯に鑑み、少くとも市議会までは兼職を認むべきが妥当と考え、右のごとく提案いたした次第であります。
 何とぞ慎重御審議の上、速かに可決あらんことをお願いいたします。

上記で審議された議事録の内容ですが、当時は国鉄の職員が積極的に町村議員などをすることは否定されていなかったむしろ、奨励されていたように見受けられます。

なお、兼職議員は、電電公社や、日本専売公社にもありましたが、町村議員に限ると言った制限はなく、市会議員などになっている職員もいるということで国鉄だけが問題視するのはおかしいとして指摘されています。
最終的には国鉄法が改正されて、昭和30年1月には、それに伴う部内規程等も改正され、国鉄にしてみれば地方議員の兼職はごく一般的なことであったようです。

そうした兼職議員にもメスが入ることとなりました。

それまでは、当選後総裁の承認を経て兼職が可能であったのが廃止されました、この件に関して、町議会議員に立候補し当選した国鉄職員が公選法の規定を根拠に失職したものとされたことに対し地位確認の訴えをした事例として、下記に判例が載っていますが。
国鉄の状況を考えれば、当選後失職はやむを得ないものであるとせざるを得ないという判決になっています。

労働基準判例検索-全情報

 活動家に対する免職処分を発令

 この時期は、職場での活動家にたいする免職処分が連続したようで、下記のように多くの組合役員が免職処分を受けています。

  • 甲府駅(分会組織部長、一九八二・八・一五)
  • 帯広駅(分会員二人、一九八二・一二・一三)
  • 福島駅(分会青年部書記長、一九八二・一二・二三)
  • 直方貨車区・気動車区(支部書記長と執行委員、一九八二・一二・二七)
  • 喜多方駅(分会員、一九八二・四・二五)
  • 松山電気支区(支部書記長、一九八三・五・三一)

このように、昭和57年(1982年)以降の国鉄は、労務管理に関しても大きく舵を切ることとなりその根拠として、第二臨調答申を根拠として進めてきたところが有り、それにより国鉄は長い低迷期を経て積極的に旅客サービスなどへと踏み出していくこととなります。
ちょうど、フルムーン旅行などの発売などがまさにこれ以降と重なるように感じます。
次回は、再び国労の資料に基づき解説を加えさせていただきます。

 

国鉄労働組合史詳細解説 72

高木総裁とはどんな人だったのか?

皆様こんばんは、本日も少しだけ更新させていただきます。

今回は最初に高木総裁のことを少しだけ書かせていただこうと思います。高木総裁は、藤井松太郎総裁が、国鉄当局の見解として「条件付き付与」を示唆するなどしたことが、当時の政府自民党に弱腰であると言われて、辞任した後を受ける形で総裁に就任したもので、元大蔵省の事務次官としてのキャリアがあり、最初は本人も固辞していたそうですが、三木首相から要請を委任されて受けたとされています。なお、就任に際しては、「スト権の問題には一切触れるな。今は時期が悪いから」と囁かれたそうです。
私の履歴書 高木文雄 日経新聞平成6年3月より引用させていただきますと

藤井氏が辞めざるを得なぐなった経緯を考えても、政治色の強い問題だから自民党が挙げて応援してくれなければとても仕事はやれない。いくら福田氏と大平氏が賛成されても、運輸に詳しい国会議員に敬遠されたら何も出来ない。私の心配を聞いた三木首相は、井出一太郎官房長官海部俊樹官房副長官を呼んで支援が得られるよう指示した。海部氏が加藤六月氏ら数人の代議士に電話してバックアップを取り付け、結局私が引き受けることになってしまった。木村睦男運輸大臣も立ち会われて、「運輸省の諸君も全面応援する」と付け加えられた。

中略

51年2月5日に首相官邸で辞令をいただいた。その時、三木首相は私の耳元で
「スト権の問題には一切触れるな。今は時期が悪いから」とささやいた。
国鉄総裁室で藤井総裁から引き継ぎを受けた。藤井氏は
「私は一切意見の申し継ぎをいたしません。私の不始末であなたに迷惑をかけてしまった。ご自由にやってください」と言われた。
トンネル掘削の土木技師だが、国鉄に深い愛着をもつ古武士のような立派な人だった。いずれにせよ、また宮仕えに後戻りだ。

参考

高木文雄 第8代国鉄総裁

 

労働運動にはあえて触れず、営業中心に改革を進めた人物

ということで、国鉄総裁として労働運動に関しては触れずだったのですが、それでも2期(2期目は途中退任)勤めるなど国鉄総裁としての任期は、十河信二総裁に次いで2番目と言われています。
高木総裁の功罪としては、労働運動に関しては労使対決は避けて下記のように臨調答申に対しても、むしろ臨調を批判する立場の発言をしてきた傾向がありました。結果的にそれが2期目において、任期半ばで退任せざるを得なくなる結果を生むことになるのですが、それは少し先の話。

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組合問題に関しては触れなかったものにお、国鉄の運賃50%値上げ(結果的には更なる国鉄離れを招き失敗でありましたが)や地方交通線問題の問題(特定地方交通線と幹線を分離、運賃の地域別運賃導入など)や、大阪梅田駅ビルを皮切りに全国に駅ビルを積極的に建設したことや、山口線のSL復活、フルムーン切符の発売など、今までの国鉄では発想では出てこなかった制度などを作った功労者と言えます。


国鉄 CM 1982年 フルムーン夫婦グリーンパス 上原謙 高峰三枝子.mp4


再び私の履歴書 高木文雄 日経新聞平成6年3月より引用させていただきますと

私は国鉄の赤字を埋めるためには、レール以外の仕事も積極的に手掛け、地の利を生かした関連事業を展開してはどうかと考えていた。小林一三翁は宝塚歌劇場を造って、阪急電鉄の旅客収入の増加を図った。五島慶太老は東急目蒲線敷設と田園調布の都市開発を結び付けて、事業成功の神様とあがめられた。

多角経営は私の持論である。大阪梅田を皮切りにステーションビルをあちこちに展開した。「民業圧迫だ」と批判を受けたこともあったが、「皆さんの方が官業圧迫だ」と突っぱねた。新幹線の車内に大型パネル広告を出した。神戸ポートピア博覧会入場券と新幹線切符のセット販売、フルムーンの割引旅行、山口線でのSL走行などの企画も皆で考えた。

ちょっとした工夫でも、少しずつ経営に貢献できる。運転士はただ安全に運転するだけではだめだ、施設係は保線に専心するだけでは駄目だ、という風潮を広げていくのに気を配った。これらは、今日のJRに引き継がれたと考えている。東京駅で最近、「駅コン」と呼ぶコンサートを開いている。
私の時代には提案しても出来なかったことが実現した。お客さんとの触れ合いに目を向けるようになったJRの最近の姿勢を見ると感無量だ。人は忘れやすいが、当時の国鉄はそれほどお役所的だった。

しかし、先にも少し書きましたが。

上記のような素晴らしき実績はあったものの、臨調に対してはやや批判的で、下記のように国労からの質問に対して。

ブルトレ問題のように交渉で解決できない問題もあるが、労使関係を土台にして話しあっていく基本姿勢に変わりなく、意見交換の出来る場は増やしたい」「臨調はスジを書いただけでスジ道は再建監理委員会がつくることになる。
 民営化すればうまくいくというものではない。誤りのない判断をしてもらうため監査委員会に積極的に参加したい」「経営改善計画は輸送量の落ち込みから相当な手直しが必要だ」「緊急一一項目でいう新規採用抑制は、輸送の現実からやらざるを得ない。給与については昇給、賞与を含め、今日までの制度・慣行を守りつづけたい」などと述べた。
 ついで8月26日、国労は先の全国大会の決定方針に基づいてまとめた。「緊急基本要求を当局に申し入れた。それは、① 基本要求、勤務問題、労働衛生、外注問題、⑥賃金問題など35項目に及んでいたが、それらのうち「基本要求」は次のようになっていた。

 国鉄の分割・民営化に反対し、現行経営形態を維持すること。
 「現協」協約改定案にあたっての「一夏20日までまとまらなければ再締結しないという態度を すること。
 乗車券、割引証は長い歴史を持つ雇用条件・労働条件であり現行の諸条件を守ること。
 兼職議員の諸条件は憲法の精神に則った職権である。従って現行の諸条件を守ること。
 現場労使間の諸問題の解決に当たって現場労使間で十分協議し、意見の一致を期すこと。
 運賃値上げをやめ、通学・通勤割引率を引き上げること。
 不要不急の設備投資を抑制し、サービス向上、安全輸送の確保、都市通学・通勤輸送の充実を図るための投資
 東北・上越新幹線の開業に伴う赤字は政府の責任とすること。
 年金一元化の実態とそれにともなう国鉄共済の既得権を最大限維持し、国鉄職員の将来に対する不安を解消すること。

*********************以下は、国労の資料になります。**************************


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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い

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├○ 二 臨調基本答申に対する国労の対応とその後の闘い│
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 続き
 
 国労本部は、この大会で臨調の行革路線と対決して闘うために中央闘争委員会の設置を決め発足させたが、8月18日、本部三役と戦術委員が高木文雄総裁らと交渉を持ち、臨調答申の内容について説明を受けるとともに、当局の考え方を明らかにさせた。
 すなわち、交渉の冒頭で国労本部委員長は、「先の交渉の際にも総裁の見解をただしたが、この間の労使間、職場の緊張状態は解消されておらず、この現状認識について総裁の見解を示すべきだ。
また臨調答申が出されたが、これをどう国鉄当局として受け止めているのかを明らかにすべきではないか」などと質した。
 これに対して高木総裁は、「ブルトレ問題のように交渉で解決できない問題もあるが、労使関係を土台にして話しあっていく基本姿勢に変わりなく、意見交換の出来る場は増やしたい」「臨調はスジを書いただけでスジ道は再建監理委員会がつくることになる。
 民営化すればうまくいくというものではない。誤りのない判断をしてもらうため監査委員会に積極的に参加したい」「経営改善計画は輸送量の落ち込みから相当な手直しが必要だ」「緊急一一項目でいう新規採用抑制は、輸送の現実からやらざるを得ない。給与については昇給、賞与を含め、今日までの制度・慣行を守りつづけたい」などと述べた。
 ついで8月26日、国労は先の全国大会の決定方針に基づいてまとめた。「緊急基本要求を当局に申し入れた。それは、① 基本要求、勤務問題、労働衛生、外注問題、⑥賃金問題など35項目に及んでいたが、それらのうち「基本要求」は次のようになっていた。
 (1)国鉄の分割・民営化に反対し、現行経営形態を維持すること。
 (2)「現協」協約改定案にあたっての「一夏20日までまとまらなければ再締結しないという態度を すること。
 (3)乗車券、割引証は長い歴史を持つ雇用条件・労働条件であり現行の諸条件を守ること。
 (4)兼職議員の諸条件は憲法の精神に則った職権である。従って現行の諸条件を守ること。
 (5)現場労使間の諸問題の解決に当たって現場労使間で十分協議し、意見の一致を期すこと。
 (6)運賃値上げをやめ、通学・通勤割引率を引き上げること。
 (7)不要不急の設備投資を抑制し、サービス向上、安全輸送の確保、都市通学・通勤輸送の充実を図るための投資
 (8)東北・上越新幹線の開業に伴う赤字は政府の責任とすること。
 (9)年金一元化の実態とそれにともなう国鉄共済の既得権を最大限維持し、国鉄職員の将来に対する不安を解消すること。

 国労は、これらの緊急基本要求をかかげて10月27日~29日と11月1日~12日の2波にわたり、国鉄本社前で反動労務政策に反対する抗議集会、座り込みなどを連続して行なった。さらに、3月16日には「国鉄監理委設置法」案反対、仲裁の即時完全実施などを要求して、全地本の地区部拠点でストライキ、職場集会大衆行動などを実施した。

ただきますと