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鉄道ジャーナリストblackcatこと加藤好啓の思索帳

鉄道ジャーナリストこと、blackcat、ちょっと硬めの内容を中心に時々書いてみようと思います。

国鉄労働組合史詳細解説 65

久々に更新させていただきます、今回は国鉄改革の動きについて個別に見てみたいと思います。

臨調答申と自民党国鉄の動き

一連の動きを箇条書きに書いてみました。

これでみますと、臨調の第4部会が分割・民営化は既定事項であるとしたとき、国鉄労使はともに分割・民営化ともに反対していますが、動労は、まだ分割・民営化への容認までは進んでおらず、分割。民営化を受入れようとしていたのは鉄労のみであったと言えそうです。

同じく公社であった電電公社や専売公社、特に電電公社は民営化を容認しておりその結果NTTは分割されずに一体で民営化となりました。(その後NTT再編で持ち株会社配下に、事業会社のNTTDocomoやNTTData 等の純粋に利潤を追求する会社を保有するとともに、基幹通信を担うNTTコミュニケーションズNTT東日本・西日本という地域会社などに分割されました。歴史にIFは無いですが、仮に国鉄が積極的に民営化を受入れて一体民営化されていたならば、その後持ち株会社法の下「新幹線事業会社」・「長距離寝台列車会社」「貨物鉄道会社」「地域鉄道会社」と言った形になっていたならば現在のJR北海道の問題などは、もう少し新たな展開になっていたかもしれませんね。

仮に、地域分割であったならば、JRもNTTのように、東西分割で熱海付近で東日本と西日本に分離、日本海側は、直江津付近で分割という形になっていたかもしれませんね、

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  • 臨調の動き

臨調第4部会は、国鉄に関しては分割・民営化は既定事項であるとしてその方針を堅持、鈴木首相も追認した形となったことで、政府としての方針は国鉄に関しては分割・民営化が既定の方向に決定しました。

自民党は「国鉄再建に関する小委員会」を発足、この小委員長就任した、三塚博氏は改革3人組と呼ばれていた、松田・井出・葛西三氏と頻繁に連絡なども取り合っており、「国鉄問題の基本は乱れ切った職場規律の回復。これを解決しない限り、分割・民営論をうち出しても空論に終わる」と強調して、国鉄再建は労使関係の見直しが重点だとして、臨調に対する独自性を出していることを強調していました。

国鉄当局は当然のことながら臨調の「分割・民営」化論に反発、国労動労、全施労、全動労の四組合は、三月九日、初めての合同中央委員会を開き、国鉄再建問題四組合共闘会議を結成、「分割・民営」化に反対し、共同行動をすすめることを確認。同月二四日には「すべての国鉄労働者への訴え」と題する緊急アピールを発表し、団結の強化を訴え、進展しつつあった〃世論形成〃への対応をいそいだ。一部の幹部は最後まで分割民営化方針に反対しますが、「ヤミ手当」問題にたいしては「回収方針」をうち出すとともに、三月に入って、総裁通達「職場規律の総点検および是正について」を発出するなど、労使関係の正常化に向けて動き出していったのはすでに見て来たとおりです。

  • 国労ほかの組合の動き

国労を含む国鉄の主要組合は民営化には反対だとして国労は、「国労動労、全施労、全動労」の四組合による「国鉄再建問題四組合共闘会議」を結成した。

「分割・民営」化に反対する共同行動をすすめ、分割民営化容認に動きつつある〃世論形成〃への対応をいそぐことになりました。

二月一九、二〇日の第一三四回拡大中央委員会で、「ヤミ手当」キャンペーンにたいして対策本部を設置する一方、「社会的常識や庶民感覚からみて妥当でないものは労使確認があっても是正する」と「正すべきは正す」という姿勢を明らかにした。二日後、総評、新産別と国労動労、全施労、全動労国鉄関係四組合は、国鉄改革共闘委員会を発足させ、国鉄問題を労使関係に集中させないためとして、独自に、国鉄の長期的なあり方の検討と労使慣行の見直しをすすめるとした。
さらに、国労動労、全施労、全動労の四組合は、三月九日、初めての合同中央委員会を開き、国鉄再建問題四組合共闘会議を結成、「分割・民営」化に反対し、共同行動をすすめることを確認。同月二四日には「すべての国鉄労働者への訴え」と題する緊急アピールを発表し、団結の強化を訴え、進展しつつあった”世論形成”への対応を急いだとされています。

  • 電電・専売の動き(主に組合としての立場から)

臨調で公社改革に載せられたのは電々公社と日本専売公社であった、電々公社としては、「現行公社制度では経営の効率化を図るのは困難」とし、経営形態の変更、特殊会社方式への転換の必要を示唆した改革案を臨調第四部会に提出しており、電電公社の組合である電電通「事業の分割・分離」には反対していたが、「民間企業との競合分野に市場原理を導入する」としてむしろ民営化を容認しており、国鉄とは異なる動きをこの頃から見せており、昭和60年(1985年)に一足先に民営化されることはご存じのとおりです。

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専売公社の組合である、全専売は、民営化に反対、

その理由として下記のような理由を挙げていました。

(1)専売公社の生産性は外国たばこと比べても低くない、)
(2)分割・民営化は、企業利潤の確保、徴税コスト増をまねき、価格引き上げ、国民負担増につながる
(3)葉たばこ農家が切りすてられる
以上の理由から、現行専売制度の維持と規制緩和による自主性強化を強調

実際に、専売公社の場合は民営化されたものの実質的に専売制度は維持されており、昨今ではタバコ以外の健康食品などの分野などにも進出しているのはご存じのとおりです。

国鉄当局も、労働組合も反対だった民営化

電通電電公社時代から何でも反対ではなく、合理化なども上手く取り入れながら柔軟な対応をすることで組合の分断も防井で来たことと対照的に、国鉄では当局も組合も反対を掲げるのですが、国鉄が当局・組合共に、適切な合理化は必要であると判断していたらもう少し変わっていたのかもしれません。

国鉄としても分割・民営化には反対するとしながらも、ブルトレ手当に端を発する慣行については是正するという方向で当局は動くこととなり、国労としても質すべきものは質すと発言しましたが、その本意は、昭和57年(1982年)2月2日、総評第六五回臨時大会で武藤国労書記長が話した言葉が国鉄労働組合の本音ではないかと思われます。

少し長いですが、全文引用させていただきます。

(1)国鉄経営改善計画にもとづいて労使交渉をつづけている段階に、「二五万人体制」、「民営・分割」化をとりざたするのは容認できない、(2)赤字・労使関係のみを強調するのでなく、公共交通のあり方のなかで総合的に考えるべきだ、と臨調をきびしく批判、国民的討論をよびかけた。同臨時大会は、「分割・民営」論を「労働組合の分断、春闘つぶしを意図するもの」とし、「断乎対決する」と決議した。

 

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1982(昭和57)年に入り。第二臨調第四部会での論議が後者の分割民営化で固まったとの報道も流れていたが、第四部会は4月17日に国鉄の分割・民営化の方針を確認し、4月20日に素案をまとめ、5月17日、3公社とも現在の公社制度を廃止し、電電公社、専売公社の民営化、国鉄の分割民営化を内容とする部会報告を提出した。そして、7月30日の臨調第三次答申(基本答申)は、各部会の報告をベースとしてまとめられ、国鉄に関しては明確に分割・民営化の方向を示した。


 基本答申はまず、『公共性と企業性の調和という理念に基づき設立された』公社の現状を見ると、「企業性が発揮されているとはいえず、その結果、果たすべき公共性さえ損なわれがちであり、公共性と企業性の調和を理念とした公社制度に大きな疑問が生じている」と制度改革の必要性を説き、次のような公社制度の問題点をあげた。

 

(1)公社幹部の経営に対する姿勢について、国会や政府による外部干渉が経営責任を不明確にし、安易感を生み、労使関係でも当事者能力が不十分なため、賃金を除く他の勤務条件で安易な妥協をしている。
 (2)労働者の側にも、決して倒産することのない公社制度の上に安住し、彙報な闘争を行うなど、公社職員としての自覚、義務感の喪失さえ招いている。
 (3)公社に対する国民の過大な期待が、公社の経営に負担をかけ、効率性を阻害する要因となっている、という。

 

以下続きます。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第3節 第二臨調『基本答申」と国労の対応
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├○ 一 第二臨調の国鉄「分割・民営化答申│
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 第二臨調の国鉄「分割・民営化」答申

 1982(昭和57)年に入り。第二臨調第四部会での論議が後者の分割民営化で固まったとの報道も流れていたが、第四部会は4月17日に国鉄の分割・民営化の方針を確認し、4月20日に素案をまとめ、5月17日、3公社とも現在の公社制度を廃止し、電電公社、専売公社の民営化、国鉄の分割民営化を内容とする部会報告を提出した。そして、7月30日の臨調第三次答申(基本答申)は、各部会の報告をベースとしてまとめられ、国鉄に関しては明確に分割・民営化の方向を示した。
 基本答申はまず、『公共性と企業性の調和という理念に基づき設立された』公社の現状を見ると、「企業性が発揮されているとはいえず、その結果、果たすべき公共性さえ損なわれがちであり、公共性と企業性の調和を理念とした公社制度に大きな疑問が生じている」と制度改革の必要性を説き、次のような公社制度の問題点をあげた。
 すなわち、
 (1)公社幹部の経営に対する姿勢について、国会や政府による外部干渉が経営責任を不明確にし、安易感を生み、労使関係でも当事者能力が不十分なため、賃金を除く他の勤務条件で安易な妥協をしている。
 (2)労働者の側にも、決して倒産することのない公社制度の上に安住し、彙報な闘争を行うなど、公社職員としての自覚、義務感の喪失さえ招いている。
 (3)公社に対する国民の過大な期待が、公社の経営に負担をかけ、効率性を阻害する要因となっている、という。
 そして、以上の問題を解決するためには、「単なる現行制度の手直しではなく、公社制度そのものの抜本的改革を行い、民営ないしそれに近い経営形態に改める必要があるという基本的立場明確にしていた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 64

皆さんこんにちは、2週間以上も放置状態になってしまい申し訳ございません。

幾つもblogを運営していますとどうしても得手が良い方は更新頻度が高くなり逆に苦手なものなどは後回しになってしまう傾向があります。

意識して、均等にと思うのですが中々思うように行きません。

困ったものですが、出来る限りの努力はしておりますのでどうかご容赦願います。

実はこの blog以外にもwebサイトの方も更新しておりまして、少しづつではありますが変更を加えております。

ただ、膨大な量の一部でしかないので見た目はほとんど変化していないとお叱りを受けてしまいます。

さて、今回も昭和57年以降の国鉄の動きを国労の資料から読み解いていきたいと思います。

組合と対決姿勢を見せ始めた当局

国鉄では、マスコミによる国鉄キャンペーンが行われ、国会では国鉄問題としてローカル線を含む再建法案が審議され、どちらかと言うと馴れ合い的にきた当局と組合(この場合は国労)との流れは若干異にする動きをするようになりました。

タカ派と呼ばれた太田職員局長

国鉄本社では、太田知行職員局長が人事のトップに立ったことでその流れが変わったようで、今までどちらかと言うと妥協に妥協を重ねてきた人事政策から一転、対決姿勢にも見える姿を示し始めます。

ただ、これも太田職員局長が自分の権力を掌握するためだけのものであったと言う意見もあります。

それは、鉄労の書記長でもあった志摩書記長の証言であります。

国鉄二つの大罪 職場を崩壊させた国鉄労使

から、少し長いですがここで引用したいと思います。

こうした”労使関係安定論”の虚構に対し、職場規律問題で一気に経営側の主導権を握ったのが「タカ派」といわれる労政を展開した当時の太田知行職員局長であった。
 吉井・川野体制を強引なまでの政治力によって迫放した太田労政のキャッチフレーズは、旧来の”労使関係の精算”であった。
 確かに、国鉄の諸悪の根源ともなっていたマル生以降の労使関係の原点たる「給対覚書」の破棄、「現協協定」の見直し廃止、合理化事案の締結等々労務施策を次から次へと打ち出してきた太田労政は旧来の権者の労使関係を進めてきた主流の官僚にとっては、まさにタカ派であるとともに、敵であったことは事実である。
 しかし、政府与党、、マスコミ、そして折からの行革方針を審議していた臨調等の大きな支援と期待が重なり、その打った手は大胆なだけでなく、極めて細密な計算によって成り立っていたのであった。
 兼職議員の不承認、国鉄職員のパスの廃止、ブルトレヤミ手当の返還、地方での協定化をやめた新昇給協定等、その施策は、少なくとも表面的には国鉄改革の先頭に立つ気概すら感じられたのであった。

しかし、その後は太田職員局長はその後の現場の改革していこうという流れに対して反対の動きをしたと書かれているのですが、その辺を明らかにするためにもう少しだけ引用してみましょう。

しかし、それも昭和五十八年の秋までであった。
 翌五十九年に入ると、地方局の労務施策を担当するものから様々の不満、不安の声が聞こえ始めたのであった。
 その典型的なものがリボンワッペン問題である。服務規律違反であるこの国労のリボンワッペンは単に規定違反で処分といったものではなく、現場の職員――組合員がその指導命令系統下で事実上組合(国労)に従うのか、職場秩序を守るのかを訴えるシンボルでもあったのである。
 当然、太田労政の展開によって、職場秩序の回復を期待した現場管理者の一部(まだ多くあった)や、地方局の幹部の一部はワッペン等について議論、調査を行い、本社の指示をあおぐことになったが、これに対し太田は何らの有効な手を打つこともなく、むしろ黙認の方針すら示したのであった。
 職場秩序の回復、職員のヤル気向上のために、最も求められていた信賞必罰についても、新昇給協定に基づいてこれを厳格に実施しようとした管理局に対し、本社が従来通りでいくよう圧カすらかけたことも明らかになったのであった。
 太田にとっては、職場規律の問題は、その権力奪取のための一手段にすぎぬことが明らかであった。
 政府与党、マスコミの支持を受けるためには、失っても自分達が痛くないものは平気で切って捨てた。

当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、国労組織の否認という攻撃が強まってきた。 

ワッペン問題とは?

ここで、簡単にワッペン問題についてお話をさせていただこうと思います。

ここでいうワッペンとは、黄色いビニール地にスローガンなどが書かれたリボンであり、国鉄に限らず郵政でも同様のワッペン闘争なるものが行われれていました。

このワッペンは言ってみれば踏絵のようなもので、ワッペン自体はただのビニールのリボンですが、スローガンが書かれることで、いわば組合としての「示威行動」となるわけで、郵政でも基本的には禁止なのですが実際には郵便局では組合との了解事項として特例的に扱われるということが多かったようです。

ただ、国労としてみれば今までの双方の利益があるとしてきたなれ合い体質が、ここにきて軋み始めたと言えそうです。

下記のようにその現状を反論しています。

7月19日に提案された「現場協議に関する協約」改訂をめぐる労使交渉では、期限を切ってまとめなければ協約を破棄するとの姿勢を崩さず、のちに11月30日にいたって国労との交渉は決裂してこの協約はなくなるが、鉄労、動労、全施労とは当局案で妥結した。これより先、11月10日には57・11ダイヤ改正問題について鉄労、動労、全施労とは国労より先に妥結していたが、このころより他の問題についても最大多数組合の国労との交渉が妥結にいたらなくても、少数労組の鉄労、動労、全施労などが先行妥結し、それを国労に押し付けるという組合対策の傾向がはっきりしてきた。

 

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結果的に、今までは最大労組である国労が妥結しないと前に進まないこと街パン的であったことが、「少数労組が先行妥結し、それを国労に押し付ける」という方向性がより鮮明となり、国労としては守勢に回らざるを得なくなりました。

また、大きな船が小回りが利かず方向をすぐに変えられないように国労と言う巨大組織も、動労が「ブルートレイン乗務旅費手当」の積極的返納などで国鉄当局の動きを敏感に感じて、より積極的に体制に合わせていく柔軟性を持っていたのに対し、国労は未だ国鉄当局が訴訟まで起こさないだろうと思っていた節があります。

結果的には、世論や政府の意向もあり、国鉄当局は今までとは違う動きを見せ始めたのでした。

元々、国鉄と言う組織は電電公社と異なり、組織自体が硬直しているところがあり、極端から極端に走る傾向が強くありました。

国鉄一家主義・・・的な考え方が浸透していたこともその遠因かもしれませんが良くも悪くも、一方方向に舵を切るとそのまま突っ切ってしまう・・・そんな傾向があったようです。

結果的に一番苦労するのは現場であり、その辺の事情が先ほどの鉄労志摩書記長が述べている。

職場秩序の回復、職員のヤル気向上のために、最も求められていた信賞必罰についても、新昇給協定に基づいてこれを厳格に実施しようとした管理局に対し、本社が従来通りでいくよう圧カすらかけたことも明らかになったのであった。」

と言ったところに垣間見られたのではないかと思っております。

当局への批判でも、組合擁護ということでもなく、本当に当時の国鉄はこうした傾向が多々見られたという意味で見ていただければと思います。

ただ、機関士・運転士と言った動力車乗務員のみで構成された動労は、国労のように駅務・検査・動力…と言った多岐にわたる組合と異なりその意思統一は比較的し易かったという側面もあり、「職場が無くなる・・・だからこそ、雇用を守るために必要に応じて当局との協力関係を結ぶ」という変容を受入れられたと言えそうです。

この辺の変節は、スト権ストの失敗の頃から考えていたようであり、昭和57年の減量ダイヤ以降は本格的に減少する職場に対してどのようにすべきかを真剣に考えていたようであり、その辺の柔軟性はあったと言えましょう。

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焦りを見せる国労

太田労政は、志摩委員長の言では、昭和58年中であり昭和59年にはむしろ後退してしまったと書かれていますが、その辺は全て鵜呑みにするのではなく、全体を検証しながら考えていきたいと思いますので深く言及することはここでは行いません。

ただ、国労にしてみれば、当局はそこまでしないであろうと思っていた「ブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起」等は寝耳に水であったのではないでしょうか。

国労としてみれば今まで現場協議制などで得てきた既得権益をすべて否定されるようになったわけですから当然と言えば当然のことでした。

そして、国労が言っているように、

国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ

 7月15日の当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、」国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ緊急11項目(後述)によって「国鉄再建法」を骨抜きにしようとしていること、そして臨調答申・自民党案として32万人体制とか29万人体制とかの「合理化」・「効率化」を求め、それを国鉄当局に押し付け、当局も自主性を放棄してそれに乗っていることなどを特徴的に物語っていた。

以下続きます。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 三 「太田労政」の展開とその特徴│
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 いわゆる太田労政の展開

続き

>点検結果について」を運輸大臣に提出した。

こうした当局による職場規律問題の総点検が、自民党三塚委員会の職場視察などの活動と同時並行的にすすめられていたことは、先に見てきたとおりである。
 さて、この間、国鉄本社の大田知行職員局長をはじめとする当局幹部や現場管理者の内部告発自民党やマスコミに流され、また82春闘直前に意図的な職員局の人事異動、首脳陣の更迭が矢継ぎ早に行われた。そして、5月17日の臨調第四部会の報告、6月25日の自民党三塚委員会の「国鉄再建方策」発表、7月15日の当局のブルートレイン乗務旅費手当返還訴訟提起など、反国鉄・反国労包囲網が外では敷かれ、内に向かっては長年積み重ねてきた労使関係の一方的な破壊(労使協議の事実上の中止、現場協議制度。協約等の破棄、形骸化)、国労組織の否認という攻撃が強まってきた。こうした動向は、政府・自民党が「行政改革」をすすめているという姿を国民に示し、また国鉄の「分割・民営化」というショックを国民に与えつつ緊急11項目(後述)によって「国鉄再建法」を骨抜きにしようとしていること、そして臨調答申・自民党案として32万人体制とか29万人体制とかの「合理化」・「効率化」を求め、それを国鉄当局に押し付け、当局も自主性を放棄してそれに乗っていることなどを特徴的に物語っていた。
 とくに7月19日に提案された「現場協議に関する協約」改訂をめぐる労使交渉では、期限を切ってまとめなければ協約を破棄するとの姿勢を崩さず、のちに11月30日にいたって国労との交渉は決裂してこの協約はなくなるが、鉄労、動労、全施労とは当局案で妥結した。これより先、11月10日には57・11ダイヤ改正問題について鉄労、動労、全施労とは国労より先に妥結していたが、このころより他の問題についても最大多数組合の国労との交渉が妥結にいたらなくても、少数労組の鉄労、動労、全施労などが先行妥結し、それを国労に押し付けるという組合対策の傾向がはっきりしてきた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 63

皆さん、こんにちは。

本日も「マスコミの国鉄問題キャンペーンと国鉄当局」ということで少しお話をさせていただこうと思います、今回も国労の記事を参考にお話を進めさせていただこうと思います。

国労は当時の国鉄最大労組

国労はこの当時は国鉄最大の組合員数を誇る組合であったこともあり、数の力を誇示で来ていたように思いますが、「自民党・政府・国鉄当局を包囲する諸活動」これについては十分足並みはそろっていなかったように思われます。

勿論、総評・社会党(現在の社民党)が中心となって活動していましたが、当の社会党も総評も、国鉄に対して民営化は受け入れるべきではないのかと言うスタンスに変わっていくことになります。

社会党も民営化容認の方向で最終調整に入るが

また、社会党国鉄守旧派同様、民営化は認めるが、分割はさせない。

株式は70%を国が保有する、また発生するであろう赤字にあっては国が補てんするという極めて国労に有利な対案を出してきましたが、臨調の分割民営化方針に対しては殆ど話題に上ることもありませんでした。

歴史にIFは無いが・・・分割・民営化が正しかったのか

現状でJRの民営化は本当に正しかったのかと言う議論も出てきますが、民営化は当時の現状ではやむを得なかった部分もあると認めざるを得ません、個人的には分割してしまったのはまずかったと思っています。

むしろ、民営化は認めるが、分割は認めないで、NTTのように民営化のみ実施し(ただし、民営化に伴う定員削減は行わざるを得なかったとは思います、実際に貨物輸送などは減少傾向が続いていましたし、59年のヤード輸送の廃止等で大幅な人員削減が行われたのも事実ですから。)

ヤード系輸送の廃止は中小の貨物鉄道には痛手でしたが車扱い貨物自体が、国鉄貨物の中でも足を引っ張っていたことを考えれば、(車扱いの場合は個別に割引運賃などを設定していた)手間だけ大きくて儲からない部分をある程度切り離していくのは仕方がなかったかと思います。)仕方がなかったと思いますし、ひとまず民営化したうえで、その後分割するか否かを考えることは出来たと思います。

最初から分割ありきで出発したことが、国鉄にしても国鉄労働者にしても不幸だったのかなというのが私の考え方ではあります。 

国鉄労働者と国労にたいする攻撃をいうかにはね返し反撃に転ずるか」にあったが、すでに提起してある「みずから正すべきは正す」とした、方針を実践し、加えて
 (1)全組合員の自覚的団結の確立
 (2)全国鉄労働者の統一行動の強化
 (3)自民党・政府・国鉄当局を包囲する諸活動
 (4)職場からの抵抗と反撃を基本に具体的な行動を展開していく方針を打ち出した。

国鉄当局と組合は元々なれ合いの体質があったようです

正直この方針に書かれているように、それまでは国鉄当局と国鉄労働組合の間には、癒着とは言いませんが馴れ合い的な体質が有ったと言われています。

特に、ストライキでの処分などの段落とし(いわゆる、処分の軽減、戒告→訓告、減給→戒告と言った具合)等が行われたり、また現場協議と言う名の現場放置…と言ったことが行われた時代でもありました。

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結果的に保守を要しない、もしくは保守をしなくても故障しないように重装備化等が進められさらに保守要員が要らなくなるという遠因を組合自身が作ったとも言えます。

昭和50年代のある意味国鉄全体が低迷していた頃には、代表的な車両としてキハ40系列が挙げられると思います。

新系列エンジン(実際にはDMH17Hの改良型)であったDMF15系エンジンを更に出力ダウンさせて冗長性を持たせたわけですが、これらも保守が十分できなくとも故障しないことを前提に・・・といえそうです。

また、485系1000番台などに見られたMG並びにCPの予備を搭載する仕様にしたこともそうした問題を内包していることが原因であったと聞いています。

f:id:whitecat_kat:20170207142942j:plain画像 Wikipedia

常に1つのMGを休ませておくことで万が一故障した場合でも切り替えて復旧できる。

考えようによっては現在のネットワークが常に2系統持たせて通信障害が最低限ですむように考えているのと同じともいえますが。故障率等を考えればそこまでの必要があったのかと思ってしまいます。

特に電気機器は全く使わなくとも劣化するため常時使う必要があり、そう考えるといたずれに重装備化は保守部品の増加など経営的にはこうした点も大きなマイナス要素に成り得たと思うのですが、そうしたことはあまり触れられていませんが、実際には部品点数増えるということは当然のことながら保守に時間がかかるわけですから車両の効率的使用から考えてもマイナス要素は大きかったと思われます。

「太田労政」が国労やこの時期の動労を否認する姿勢を顕著に取り始めたこと、2月の自民党三塚委員会設置と深いかかわりをもっていることを指摘したうえで、次のように決議していた。

 「われわれは『太田労政』を認めている総裁以下の首脳陣に警告する。国鉄当局はこの労働組合否認の態度をとるのかどうかはっきりさせるべきである、
 国鉄労働組合国鉄の真の再建に貢献し、職場問題の自主的解決を促進することを前提に『太田労政』と対決し、正常なる労使関係が樹立されるまで闘う決意に立って当面次の行動を強化する。

しかし、結果的には国労の思惑とは別に、当時の国民は国鉄の例年行われる運賃値上げに辟易していたことも事実でした・・・。

 

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 三 「太田労政」の展開とその特徴│
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 「太田労政」を糾弾する決議

 82年5月26~28日の3日間にわたって行われた第135回拡大中央委員会では、「『マル生』以上の未曽有の攻撃にさらされつつある」との緊迫した状況認識のもとで、臨調路線、反国鉄労働者攻撃との闘いをどのように進めるかう、めぐって討論が行われた。議論の重要性に鑑みて2日目の討議は非公開とされ、当面の方針が決定された。闘争方針の中心は、「国鉄労働者と国労にたいする攻撃をいうかにはね返し反撃に転ずるか」にあったが、すでに提起してある「みずから正すべきは正す」とした、方針を実践し、加えて
 (1)全組合員の自覚的団結の確立
 (2)全国鉄労働者の統一行動の強化
 (3)自民党・政府・国鉄当局を包囲する諸活動
 (4)職場からの抵抗と反撃を基本に具体的な行動を展開していく方針を打ち出した。
 ついで7月9日の全国委員長、戦術委員長会議では「当面の闘いのすすめ方と課題」を中心に協議するとともに、「『太田労政を糾弾する決議」を行い、内外に発表した。それは、「太田労政」が国労やこの時期の動労を否認する姿勢を顕著に取り始めたこと、2月の自民党三塚委員会設置と深いかかわりをもっていることを指摘したうえで、次のように決議していた。

 「われわれは『太田労政』を認めている総裁以下の首脳陣に警告する。国鉄当局はこの労働組合否認の態度をとるのかどうかはっきりさせるべきである、
 国鉄労働組合国鉄の真の再建に貢献し、職場問題の自主的解決を促進することを前提に『太田労政』と対決し、正常なる労使関係が樹立されるまで闘う決意に立って当面次の行動を強化する。

 (1)中央執行委員会は重大な決意に立って『太田労政』の転換を求め『国鉄再建座談会』を当分の間凍結し、非協力の態度を確立する。
 (2)地方においては、『太田労政』がもたらす職場の混乱を防止するため、それぞれ実情に応じた諸行動を展開する。
 (3)中央・地方は緊急に協力し、国鉄再建にとって障害となる『太田労政』を転換させるたたかいについて広く国民の理解を求める宣伝と行動を起こす。
 (4)このような非常事態のために、本部をはじめ全国階級機関と全組合員は一枚岩の団結をさらにうち固め、総力をあげていかなる攻撃にも対応できる態勢を早急に確立する。」

続く

国鉄労働組合史詳細解説 62

みなさまこんにちは、本日も「マスコミの国鉄問題キャンペーンと国鉄当局」ということでお話をさせていただこうと思います。

千葉動労から見た国鉄運動

毎回、国労の記事を参照していますので今回は少し視点を変えて、動労千葉からみた国鉄当局の労働運動と言う視点から見てみたいと思います。

もちろん、千葉動労を擁護するもしくは、反論するということではなく、あくまでも違った視点から見た場合と言う視点からお話を進めさせていただこうと思っております。

千葉動労とは?

特に千葉動労は、昭和54年、動労が、成田空港闘争での「三里塚闘争」の考え方の違いから、動労本部が千葉地本執行部を除名、それに対抗するように千葉地本側も動労から分離して独自の組合を結成したもので、1986年(昭和61年)11月30日に、同様の考え方で誕生した動労水戸・動労連帯高崎とともに動労総連合を組織し現在に至っています。

なお、現在「動労総連合」に加盟している組合は下記の通りとなります。

元々は、上記、動労水戸・動労連帯高崎を加えた3派に動労西日本を加えた組織でしたが、ここにきて、東京、神奈川、新潟、福島、北陸、九州、北海道などで新たな単産として復活しており、新たな国鉄問題が起こりえないか監視する必要がありそうです。

千葉動労からみた動労の動き

動労としては、貨物輸送が目に見えて減って行く中で、多少の危機感は昭和57年以前から持っていたようで、そのあたりが上記の、千葉動労との温度差、まぁ、動労=革マル派、千葉動労=中核派と言う極左内の派閥争いもあったようですが、より現実路線を選択しようとした動労は、貨物輸送に関してはストライキをしないなどの方針をスト権スト以降は堅持していたようであり、その辺りの松崎明執行委員長の勘と言うか指導方針はほぼ間違っていなかったと思われます。

さて、本題の「千葉動労からみた動労の動き」を千葉動労の歴史から引用してみたいと思います。

http://www.doro-chiba.org/rekisi/dc30/rekisi.htm

動労カクマルを手先に
 動労革マルは、すでに82年1月には「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだしていた。表向きには「分割民営化反対」を掲げていたが、たちまち馬脚をあらわす。82年のブルトレ問題でのぬけがけ的妥結を皮切りに、以降、入浴問題、現場協議制問題等でつぎつぎに当局と妥結。東北・上越新幹線開業に伴う83年2・11ダイ改では、国労が六年ぶりに順法闘争をたたかっている最中、鉄労とともに当局提案を全面的に受け入れた。こうして動労を使って国鉄労働運動をつぶすというこの攻撃の出発点が形づくられた。  
  動労革マルはその最初から、極めて自覚的に権力・当局との密通関係を結び、国鉄労働運動破壊の尖兵となることによって自己の延命をはかるという道を選択したのである。

この記事を見ますと、注目されるのは、動労が、「「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだし」と言う点に注目できます。

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千葉動労的視点から見れば、これは非常識的なことかもしれませんが、前年からのマスコミキャンペーンなどを敏感に感じていたのかもしれません。

実際に、ブルトレ闇手当問題でも、真っ先に返納を言ったのは動労でありその辺の動きは動力車乗務員のみで構成された動労故に行えた部分と言えるかもしれません。

実際、国労ではブルトレ手当の返納に際しても中々一枚岩と行かず紛糾したということを考えれば、動労による松崎指導体制はそれなりに注視すべきところがあると言えそうです。

さて、それでは再び今度は政局臨調の動きを見てみましょう。

大原社会問題研究所 日本労働年鑑 第53集 1983年版 臨調=行革第二ラウンド-基本答申(八二年七月三〇日)にむけて から引用させていただきますと。

マスコミと臨調の動きは上手く合致し、国鉄=悪玉、国鉄労働者=悪玉の世論を作るのには有効に働いたと言えそうで、特にそんなさなかで起こった、機関士の飲酒運転による特急紀伊衝突事件は、、マスコミに大きく取り上げられることとなり、国民の国鉄に対する世論は一気に高まったと言えましょう。

また、この時期には国鉄は「分割・民営」と言う方向がほぼ固まっていたと言われており、電電公社がNTTとして分割されずに民営化(その後分社化はされていますが、最初から地域分割ありきの民営化にならなかったのとは対照的と言えます。)されなかったことと比べるとき、現状のJR北海道の姿を誰が思い描くことが出来たでしょうか。

仮に、一元化で民営化、後に貨物部門・長距離専門・新幹線&地域会社でNTTのように2分割程度であれば、もう少し変わっていたかもしれません。

さらに、田村元自民党国対委員長(元運輸相)自身も〃私案〃として、国鉄赤字のうち「経営外の要因による構造的欠損」は国鉄の責任でないとし、「分割・民営」論を批判し「三〇万人体制」による徹底的合理化を求めています。

実際に、昭和30年代に創設された地方納付金や、過度の通学定期の割引、それに輸送力増強に伴う建設費なども言ってみれば構造的欠損であり、本来であれば大蔵省なり文部省(いずれも当時の省庁名)が対応すべき問題ではないかと思われます。

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なお、上記の表を基に条件を一律にして比較してみたのが下記の表並びにグラフとなります。中学生で50km以上の移動は考えにくいのですが、スキャナーの性能が低くて戸締め付近は不明瞭なため、明瞭な部分かつ、桐の良い数字と言うことで決めさせていただきました。

ご了承願います。

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こうしてみると、中学生の通学定期運賃は実に82%の割引率となります。
高校生でも77%であり、ローカル線問題を語るときこうした問題をどうクリアするのかと言う問題もあるかと思われます。

 実際、国鉄では地方納付金だけで年間400億円近く支払っており、国鉄赤字とは無関係に鉄道が敷設されている沿線自治体に支払われておりました。

そして、さらに問題となるのはそうしたローカル線ほど利用者がいないということです。

営業係数が1000以上の路線も少なくはありませんで、100円の収入を上げるのに1000円以上投入している。

走らせれば走らせるだけ赤字が膨らむ仕組みだったわけで、そこにさらに自治体にお金を一律に払う訳ですから、地方自治体にしてみれば鉄道が走ってくれているだけで、自動的にお金が振り込まれなおかつ、地方交通の心配をしなくても住民の足を勝手に守ってくれるという存在が地方ローカル線で有ったわけです。

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 この間、一月二三日に「ブルートレインヤミ手当」問題が報道され、それを契機に国鉄ヤミ手当」報道があいつぎ、折からの「酒酔」運転事件などと相まって国鉄における労使関係がマスコミないし国民世論の注目をあつめた。それは、基本答申の骨格論議と重なり、現場協議制をふくむ労使関係の見直しを柱とした国鉄改革=「分割・民営」化が行政改革の中心課題だとする〃世論形成〃がすすんだ。マスコミの国鉄に関する報道と臨調第四部会審議とは、期せずしてタイアップしていた観を呈し、その〃政治性〃がきわだった。

 この時期、臨調第四部会が国鉄の経営形態の変更、「分割・民営」化で固まったと伝えられ、二月二日、鈴木首相も「事態は遷延を許さない。臨調答申をまって英断をもって対処する」との意向を表明した。他方、田村元自民党国対委員長(元運輸相)は〃私案〃をまとめ、国鉄赤字について「経営外の要因による構造的欠損」は国鉄の責任でないとし、「分割・民営」論を批判、「三〇万人体制」による徹底的合理化を求めた。また二月五日、自民党は「国鉄再建に関する小委員会」を発足させたが、小委員長になった三塚博氏は「国鉄問題の基本は乱れ切った職場規律の回復。これを解決しない限り、分割・民営論をうち出しても空論に終わる」と強調、臨調とのニュアンスの違いをみせながら、国鉄再建は労使関係の見直しが重点だとした。

 田村元 - Wikipedia

 マスコミキャンペーンを端緒として、自民党三塚委員会の職場視察などの活動などにより、国鉄当局の動きも変わってきたと言えます。

その背景に実は敏感に反応していたのは動労であり、この年のダイヤ改正では減量ダイヤとして従前より列車キロが減らされたことを受けて、動労は方針転換をしていくこととなるのですが、これは少し先の話となります。

 こうして、臨調の中でも国鉄再建〃論争〃は臨調の目玉として活気を帯びてくるとともに、国鉄当局も積極的にこの機に労使正常化に向けて動き出したと言えましょう。

職場規律総点検などはその最たるものであり、それまでも数多く言われてきた(70年代にもすでに問題提起されていましたが、マル生運動以降は口に出すことすら憚られる雰囲気に有ったものが息を吹き返してきたと言えました。)と言えそうです。

反発と警戒を強める総評並びに国労

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国労は、二月二日、総評第六五回臨時大会で、国鉄分割民営化ありきの論調は容認できない、赤字・労使関係のみを持ち出すのは一さかアンフェアであり、公共交通の在り方などを通じて総合的に考えるべきであると武藤国労書記長は批判しており、まさか政府も分割民営化を推し進めてくることは無いであろうと言う希望的観測も有ったのかもしれません。

その辺りは、「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を持ち出した動労に分があったように思います。

 

続く

 

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国鉄労働組合史詳細解説 61

マスコミの国鉄問題キャンペーンと国鉄当局

昭和57年(1982年)初頭からはじまった国鉄問題キャンペーンはにより、今までの国鉄内の慣行がマスコミを中心に明るみにされ、国鉄再建問題ともからんで国民的関心になっていきました。

臨調による意図的なマスコミ操作も加わって、国鉄=悪というキャンペーンに拍車がかかっって言ったと言えましょう。

国鉄改革共闘委員会」で対抗する組合

当時の事情について、大原社会問題研究所、日本労働年鑑 第57集 1987年版の「国鉄分割・民営化問題」特集の
III 分割・民営化と国鉄労働組合運動

を参照しますと、当時の国労動労と鉄労の告発合戦のようなところも見られますが、これはそうすることで鉄労にしてみれば利得であると考えていたようです。

また、マスコミ攻撃に対し、国鉄関係四労組(国労動労、全施労、全動労)、は国鉄問題=国鉄労使問題とすり替えられないように、「国鉄改革共闘委員会」を作り広く国民全体の問題としていくことを目的とし、本格的に対抗していきました。

以下、引用させていただきます。 

こうしたマスコミ報道にたいし鉄労は、国労動労などの職場における行動を内部告発することで豊富な事例を提供しており、労・労対立も深刻さを加えた。

 マスコミの総攻撃にさらされた労働組合は、八二年二月二二日に共闘組織を結成した。総評・新産別と国鉄関係四労組(国労動労、全施労、全動労)の間で「国鉄改革共闘委員会」が国鉄問題を国鉄労使問題に矮小化することに反対し、広く国民全体の問題としていくことを目的にして発足した。翌二三日に国労本部は「反国労キャンペーン対策本部」を設置した。

  この頃から、今まで弱腰と思われていた国鉄当局の姿勢は、次第に変わっていくこととなりました。

 運輸大臣からは、昭和57年(1982)3月4日、国鉄に対して職場の総点検を行うように指示、「いわゆるヤミ手当や突発休ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行などについては、誠に遺憾なことであり、これら全般について実態調査をおこなう等総点検を実施し、調査結果にもとづき厳正な措置を講じることが必要である。」と言う依命通達を発出、さらに、この指示を受けて国鉄では同年3月5日に総裁通達「職場規律の総点検及び是正について」を発し、全国四八三一ヵ所を対象に調査を開始することおなりました。

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外圧により国鉄が変わったと見ることもできますが、高木総裁時代に労務政策に対する方針転換が行われたことは特筆に値します、元々総裁を引き受ける際には、労使問題はタッチするなと大平首相から言われて就任しただけに、非常に重要な変換点であったと思われます。

国鉄当局内でも方針が変更される

「職場規律の総点検」の結果は4月23日に運輸大臣に提出されますが。この三日前に当局は、労務担当常務を変更します。

これは、自民党民社党*1などから「職場荒廃の責任者」として労務担当常務の更迭を要求されていたもので、ハト派といわれた常務理事を更迭して大田職員局長が就任しました。この人事に関して高木総裁は。「路線変更と受け取られても結構だ」と語ったといいうように、今までの路線を決別したという点は大いに注目されることだと言えましょう。

激減した悪慣行

 国鉄問題について、当時の総点検結果が、国鉄部内誌、国有鉄道に掲載されていましたのでそこから一部引用させていただきます。

運輸大臣国鉄当局に対し、「いわゆるヤミ手当や突発休・ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪貫行などについては、誠に遺憾なことでありこれら全般について実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である」との指示を出した。」に基づき、悪慣行是正のため、国鉄当局は太田職員局長を中心に動き始め、昭和57年7月と9月の2回の点検結果では約2か月の間でも大きくその変化はあったと言われています。

少し長いですが、個々に引用してみましょう。

なお、この記事自体は12月に書かれたものであり、前回と書いている数字が3月調査時の数字となります。

  • ヤミ休暇について

ヤミ休暇・・・所属長の承認を得ないソフトボール大会や組合大会などへの参加などが該当するそうで、7月 1,252か所 12月 59か所

この他に管理局等の是正方針は明確になっているが、時期がこなければ確認できないものとして,年末年始休暇の増付与,忘年会・新年会等で,72カ所に残っている。

公労法に基づく専従以外の者で専ら組合活動に従事しているのは,前回241名で,今回7名である。

  • 勤務時間中の組合活動

前回は1,293カ所にあったが,今回は305カ所である。内容としては,組合情報誌の印刷・配付,ピラ作成,組合費徴収,労金事務が多く,支部・分会大会,委員会等の開催もある。

  • いわゆる勤務解放

ボーナス支給日などに、勤務日の早帰りおよび遅出で賃金の減額をしていないもの。
給料日,手当支給日の早退は,前回424カ所にあったが,今回はすべて解消した。また,前回909カ所にあったそれ以外の早退は115カ所,前回1,330カ所にあった現協等の開催前後の勤務解放は47カ所である。

など数多くの慣行が明らかになっていきました、正直これはダメと思わせる内容がある反面、時代の流れもありますが、下記のような部分は作業の効率等を考えると必ずしも反対なんだろうかと思ってしまう部分もあったりします。(あくまでも私見であることをお断りしておきます。)

  • 勤務時間内の入浴

前回1,677カ所にあったが,今回は583カ所である。そのうち作業ダイヤに組み込まれている箇所が4カ所ある。
休憩時間および睡眠時間のいわゆる増付与前回784カ所にあったが,今回は80カ所である。
三交代夜勤勤務においては,本来睡眠時聞はないのであるが,実態として,恒常的に睡眠をとっている箇所は,29カ所である。

 少なくとも、臨調と言う外圧はあったとはいえ、国鉄発足当時から続く国労偏重の政策から決別し、新しい時代に入ったと言えましょう

 

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動労は、スト権ストの失敗以降、その方針を少しづつ変更した節が見受けられ、今回のヤミ手当処分問題でも全額返済するべきと言う方向で動くなど、国労とはその歩調は合わなくなっていったと言えましょう。

更に、国鉄当局は五月末までにブルートレインのいわゆる「ヤミ手当」を返済するよう関係職員に返納通知書を出しました。

なお、この行為に対して国労動労ではその動きに微妙な違いを見せることとなりました。

すなわち、国労と全動労が、手当返納に対して反対と言う立場をとったのに対し、動労は組合として返還に応ずることを決定したわけで、動労の対応は「四組合共闘会議」が崩壊する最初のきざしで有ったと言えます。

実際には、貨物列車の削減などにより危機感を持っていた動労であったからこそ、より現実的な判断をしたともいえます。

この頃から、国労動労は次第にその歩調を異にすることになりました。

次章では、現場協議協約の改訂案について調査の上発表させていただきます。

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 三 「太田労政」の展開とその特徴│
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 いわゆる太田労政の展開

 「国鉄問題」は、反国鉄労働者のキャンペーンが開始される中で、1982【昭和57】3月4日、運輸大臣国鉄当局に対し、「いわゆるヤミ手当や突発休・ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪貫行などについては、誠に遺憾なことでありこれら全般について実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である」との指示を出した。
 これをうけて国鉄当局は、翌日ただちに「職場規律の総点検及びぎおぎ是正について」と題する総裁通達を全国に発した。その点検項目は、
 (1)悪慣行・ヤミ協定等【勤務関係と作業執務関係、その他】
 (2)現協制度の運用実態
 (3)昇給・昇格、昇職問題
 (4)管理者問題(下位職代務・年休消化など)
 (5)服務・接客サービスの実態などを、総点検し報告せよというものであった。
さらに、全国の現場管理者に総点検に関する事務連絡を送達し、その徹底を指示した。(3月10日)。そして、4月23日にいたって当局は、4,831ヶ所(集計4,439ヶ所)を対象とした「職場規律の総点検結果について」を運輸大臣に提出した。

続く

*1:社会党右派から分離したグループであり、その後初代民主党設立時に解党しました、)

国鉄労働組合史詳細解説 60

窮地に追い込まれる国鉄

昭和57年以降、国鉄としては、減量経営を含む本格的な縮小体制に入ることとなり、ますます国鉄は窮地に追い込まれることとなりました。

国鉄の再建策は、第1次再建対策(44~47年度)、第2次再建対策(48~50年度)、「日本国有鉄道再建対策要綱」に基づく第3次再建対策(52年度において一部改正)と3回にわたって計画され実行してきましたが、過去3回とも、所期の目的を達することが出来ませんでした。

特にマル生運動の失敗以降は、管理者がモノを言えない仕組みを作ってしまったことが大きいかもしれません。

また、その後の再建計画も言わば再建のための辻褄合わせだったのではないかと言ったことを、大野光基氏の「国鉄を売った官僚たち」で書いていたように記憶しています。

ただ、何度かの引越しでその本が散逸してしまったので、また近日中に買い求めて読み直す予定にしておりますのでその際はもう少しこの話も追記できると思います。

更に私見としては、国鉄の赤字をすべて組合だけに持っていくのが良いかと言うとそうでもない部分がありと考えております。

組合を擁護するとか、当局が悪いということではなく、当時の国鉄を取り巻く雰囲気と言いますか政治がそうした体制であったと言えるわけです。

地域独占と言う名の下で国鉄に対する過大の政府の期待とそれを受けて運輸省との協調を避けてきた国鉄と言う組織にも多少の問題はあったように思います。

歴史にIFはありませんが、国鉄運輸省現業機関としての日本国有鉄道であったならば、・・・(JNRではなく、JGR japan Government Railway)になっていたらとか。

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少なくとも、政府が、「全国新幹線鉄道整備法」を出した時点で、国鉄としても政府の積極的な資金援助で建設(鉄建公団に建設をさせて国鉄は全て年賦で買い取る方式)であれば、また変わったものになっていたかもしれません。

勿論、そうしたことは今後資料などを見つけながら私自身研究させていただこうと思います。

なお、昭和57年度の国鉄改革の様子を昭和58年度の運輸白書から全文引用させていただきますと。

第1節 経営の現状と再建への取組み

2 現行再建対策

(1) 現行再建対策の経緯

  (過去の再建対策は目的を達せず)
  国鉄の経営状況の悪化に対処するため,国及び国鉄は,44年度以降,日本国有鉄道財政再建促進特別措置法に基づく第1次再建対策(44~47年度)及び第2次再建対策(48~50年度)並びに*1(50年12月閣議了解)に基づく第3次再建対策(52年度において一部改正)と3次にわたり再建対策を講じてきた。しかし,これらの対策はいずれも所期の目的を達することができず,国鉄の経営状況は好転しなかった。
  (現在の再建対策)
  国鉄経営の危機的状況に対処すべく,政府は,54年12月29日「日本国有鉄道の再建について」の閣議了解を行い,これを具体的に実施するため,「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(以下「再建法」という。)が55年12月27日に公布,施行された。
  再建法は,国鉄の経営再建の目標を,60年度までにその経営の健全性を確保するための基盤を確立し,引き続き速やかにその事業の収支の均衡を図ることに置き,そのために必要な法的措置として,①国鉄の経営改善措置の確実な実施を期するため,国鉄は,経営改善計画を作成,実施するとともに,毎事業年度,経営改善計画の実施状況について検討を加え,必要に応じこれを変更すること,②地方交通線に関しては,徹底した合理化及び特別運賃の設定を行うとともに,特定地方交通線については,路線ごとに設けられる特定地方交通線対策協議会において協議を行った上で,バス輸送等へ転換するための措置を講ずること,③政府は,国鉄に対する助成措置として,国鉄の債務のうち累積赤字の一部に相当する5兆599億円について,棚上げ措置を講ずること等を規定している。
  その後,国鉄は,「経営改善計画」を策定し,56年5月21日,運輸大臣の承認がなされた。経営改善計画においては,経営の重点化,減量化と能率の向上(60年度職員35万人体制),収入の確保,設備投資の抑制,労使関係の改善等の経営改善措置を確実に実施することにより,行財政上の措置とあいまって,60年度までに一般営業損益においてできるだけ多くの益金を出し,60年度には幹線の損益において収支均衡を達成するなど健全経営の基盤を確立するとともに,61年度以降については可及的速やかに収支均衡の実現を図ることとしている。

その後の白書の中身を見ますと、国鉄を分割して・・・云々と言う話が続いています。

当時は、今までのなれ合いの仕組みが変わりつつあり、特にマル生の時には自分たちに有利に動いたマスコミが今度は反作用的に摘発キャンペーンを行うことも、組合にとってはマイナスに動いたと思われます。

 

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参考

第3次再建計画の際にその基礎となった、「日本国有鉄道再建対策要綱」全文です。

日本国有鉄道再建対策要綱」

(1) 再建の基本理念

  国鉄が,我が国総合交通体系の中で今後とも重点的に果たすべき役割は,都市間旅客輸送,大都市圏旅客輸送,中長距離・大量貨物輸送とするが,同時に,国鉄本来の使命からみて,これら以外の分野を含めた全体について,独立採算性を志向した自立経営を行うものとする。また,国鉄再建の基本は,国民に対して責任ある経営体制を確立することであり,このため,労使関係の速やかな正常化を行うとともに,①責任ある業務遂行体制と厳正な職場規律の確立,②組織及び人事制度全般にわたる抜本的改革等を中心に,国鉄経営の刷新を図るものとする。

(2) 国鉄財政の再建

  国鉄財政の再建は,51,52年度の2年間で収支均衡の回復を図り,以後健全経営を維持することを目標とし,以下の措置をとるもりとする。

 ア 収支均衡回復のための措置

 ① 過去の財政圧迫要因を除き健全経営の基盤を整備するため,累積赤字相当額の一部である2兆5,404億円について,国が20年元利均等償還ベースで利子の補給,償還額の無利子貸付けを行う。
 ② 51年度に実収37%(名目50%)増の運賃改定を行う。

 イ 健全経営維持のための措置

 ① 55年度までに5万人の要員合理化を行うとともに,要員増は厳に抑制する。
 ② 赤字ローカル線については,地域住民の利便と自立経営上の負担の程度を勘案しつつ,国鉄がその取扱いを検討することとするが,国においても積極的な支援を行う。
 ③ 貨物輸送は,現在の輸送機能の維持を前提に,当面55年度において固有経費を賄うよう所要の近代化・合理化の施策を講ずる。
 ④ 資産の有効活用,適正な処分,附帯事業の増収を計画的に推進する。
 ⑤ 国鉄の自主経営能力を強化するため,運賃決定方式の弾力化について,早急に検討し結論を出す。
 ⑥ 設備投資は,極力その効率を考慮して行うとともに,他交通投資とのバランスを勘案し利子負担の軽減を図るため,工事費補助制度は継続する。

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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├○ 二 自民党「三塚委員会」の設置と活動│
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 続き

 具体的には、「202億円損賠の遅延、違法ストに対する処分の形骸化、ビラ貼り・らくがき等の放置、人事に対する組合の介入、どれを見ても違法精神が労使の力関係の前に屈した結果であり、経営の責任者がこれを是認しない看過したことは否定出来ない。労使関係是正にあたってまず矯すべきはこのような姿勢である」として、「法とルールを守りぬくという遵法精神の確立と管理者の一体感の回復」を要請したうえで、
(1)管理体制の強化【管理者の奴隷的状態解消・待遇改善、管理権の適正行使】
(2)現場協定の破棄
(3)ヤミ協定、悪慣行の即刻無効
(4)違法行為ストに対する厳正な措置
(5)違法ストに対する刑事罰
(6)国鉄に損害を与えた場合の求償権行使
(7)昇給・昇格協定の見直し
(8)生産性運動挫折時の約束事【紛争対策委員会の覚書等】の破棄
(9)合理化の推進
(10)配転協定に関する組合側の解釈によらない円滑な配転
(11)新入社員教育の実施
(12)便宜供与の即刻是正
(13)兼職議員の禁止
(14)乗車制度の見直し
(15)202億円損害賠償裁判の促進
などについて、「即刻行動を起こすべき」と注文をつけた。
 この「提言」は、自民党総務会で討議決定され、運輸大臣国鉄総裁へ伝達された。そして6月25日と7月2日には、三塚委員会の手による二次にわたる「国鉄再建のための方策」が発表され、87年を目処に国鉄の四島分割民営化を示唆した。

続く

*1:日本国有鉄道再建対策要綱

国鉄労働組合史詳細解説 59

みなさまこんにちは、久々に更新させていただきます。

労使対立を強める当局

国鉄では、昭和57年になると、それまでの労使協調路線から一変、対立する姿勢を見せ始めました。

昭和56年から始まったマスコミによるキャンペーンさらには、名古屋駅での「寝台特急紀伊」衝突事故など世間は国鉄はたるんでいるのではないかという世論を作るのにちょうど良い環境を生み出してしまったといえましょう。

国鉄当局としても現場の職場調査を行う必要が生じ、そこで出てきた回答は、マル生の後遺症とでもいうべきものでしょう。

当局と現場の板挟みだった中間管理職

実際に、マル生の一番の犠牲者は現場の助役など中間管理職でした。

現場からは突き上げられ、当局からは目標必達を言われる。

マル生の時は、助役以下は完全に梯子を外された状況で、これ以後物言わぬ管理者(物言えぬ管理者)が増えていったと言われています。

昇進試験を受ける者が居なくなり、業務遂行能力に問題あるものが助役になることで余計に混乱を招くと言った状況に追い込まれて行きました。

それが、下記の内容に書かれているような内容でした。

民間会社の12分の1しか働いていず・・・この辺は判りませんが、管理のミスを摘発ということはよく行われていたと聞いたことがあります。

また、下位職代行ということで、助役が弁所掃除をしたりしたうえで労使交渉に挑むと言ったことも多々あったと言われています。

現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。

 車両も冗長性を持たせたものが多かった。

また、車両なども冗長性を持たせたものも多く、下記のようにこの時期に製造された車両は性能よりも安定性を求めた時代と言えました。

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特に現在も活躍するキハ40系列などは、DMF15HSA元々300PS程度の高出力エンジンを220PSまで下げて余裕を持たせることで、故障よりも安定性を持たせることとなったため、キハ17よりもトン当たりの出力が約1.4倍であるにも関わらず、パワーウエイトレシオでは約1.2倍弱となっており、結果的に走行性能はキハ17やキハ20よりも下がっています。

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その辺を「国鉄二つの大罪 国鉄国民会議編 昭和61年刊・第4章 職場を崩壊させた国鉄労使 志摩好達」から引用させていただこうと思います

ただ、当時は現場は大変な苦労をしてたと言われる中で、当時の国労と当局幹部は、下記の通りなれ合いが通っていたと言われており、実際にこの辺はマスコミにたかれることとなりそれが、昭和56年のマスコミによるキャンペーンに繋がるのでした。

つまり労使関係の安定と称し、国労動労国鉄不沈艦意識のうえで談合し、お互いにモタレ合う、これがマル制以降の一貫した当局の姿勢であった。
 だがこの労使間保安定論は、当局、国労の双方の幹部の保身のためのものでしかなかったのである。
 今日まで当局・国労間で数多くの協定、慣行が結ばれ、黙認されたが、その結果の最大の被害者は、真面目に働く職員であり、更には本気で管理責任を果たそうとする現場の管理者であり、そして何よりも利用者であり、納税者である国民であったのである。
 マル生以後の当局は、国会答弁等で「職場は徐々に良くなってきている」とうそぶいてきたが、昭和五十六年末以降のマスコミによるキャンペーンの前に、当局は自らの手で 「職場規律の実態調査」を行うことを余儀なくされ、当時の総裁が驚くほど乱れた実態が明らかになったのであった。

 その後、国鉄当局ではタカ派の太田氏が職員局長となり、組合に対して強圧的な態度で行われたといいます。しかし、大田職員局長自身の方策に関しては、志摩氏は批判しているのですが、下記のような方策を取られたとされています。

こうした”労使関係安定論”の虚構に対し、職場規律問題で一気に経営側の主導権を握ったのが「タカ派」といわれる労政を展開した当時の太田知行職員局長であった。
 吉井・川野体制を強引なまでの政治力によって迫放した太田労政のキャッチフレーズは、旧来の”労使関係の精算”であった。
 確かに、国鉄の諸悪の根源ともなっていたマル生以降の労使関係の原点たる「給対覚書」の破棄、「現協協定」の見直し廃止、合理化事案の締結等々労務施策を次から次へと打ち出してきた太田労政は旧来の権者の労使関係を進めてきた主流の官僚にとっては、まさにタカ派であるとともに、敵であったことは事実である。
 しかし、政府与党、、マスコミ、そして折からの行革方針を審議していた臨調等の大きな支援と期待が重なり、その打った手は大胆なだけでなく、極めて細密な計算によって成り立っていたのであった。
 兼職議員の不承認、国鉄職員のパスの廃止、ブルトレヤミ手当の返還、地方での協定化をやめた新昇給協定等、その施策は、少なくとも表面的には国鉄改革の先頭に立つ気概すら感じられたのであった。

 なお、この話に関しては短案る権力争いであったという内容もあるので、もう少し詳しく調べてからまた報告させていただこうと思います。

 

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国鉄があった時代 JNR-era

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第1章、臨時=行革路線と国鉄労働組合

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 第2節 80年代前半の国労つぶし包囲網との闘い
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 先のアンケート調査の集計結果も4月4日発表されたが、そこでは「おまや?(ママ)人民管理状態の中で、数としては少ない管理者が身を挺し必死に国鉄を支えている状態ではあるが、その心身の疲労も極限に達しつつあることが伺われ、一刻も早く援助の手を差し延べなければ内部より発す猛膳の芽は枯れはてる」と表明した。
おして「速やかに職場規律の改善に対する国鉄としての体制を確立せしめ、これら管理者が力を発揮できるようにしてやることが国鉄再建に不可欠である。」と結論づけた。
 また、現場管理者の意見の要約として、「現場協議制が諸悪の根源になっており、現況対応のために本来の仕事ができなくなっている。職員は国鉄職員という意識に乏し一組合員という意識が先行しており・民間会社の12分の1しか働いていず、管理のミスを摘発し、ツルし上げ、職制マヒを狙っている。それを扇動しているのは一握りの活動家である。こうした不良職員をどんどん首にして欲しい、さもなくばこのままでは35万人体制はできない。こうした今日の労使関係を招いた原因は、マル生の終結時に本社・局の責任者が現場管理者を見殺しにしたことにある。もはや、現行の慣行は内部の努力では改善できない。現状を赤裸々にさらけ出して世論の力を借りるべきである」といった内容の「意見書」を公表した。
 ついで、4月16日三塚委員会は「管理経営権および確立に関する提言」をまとめ、「国鉄の労使関係の実態は予想を占める荒廃ということに尽きる」との認識を示し、その原因は「生産性向上運動の中止とその事後処理に誤りがあった」こと、および「労働問題の処理すべてに優先するという経営責任者の姿勢にある。」旨強調し、「労使関係是正の方策」について提言した。すなわち、「生産性運動中止以降、管理者の力は著しく弱体化し、組合の主導権のもとヤミ協定、悪貫行が数多く蓄積され、働き度が下がるとともにサービスは低下し、職場の規律もきわめて悪化しており、世間一般の常識的な労使関係から取り残された状態となっている。」とした。

続く