今回は、少し視点を変えて書いてみたいと思います。
国鉄の赤字の原因はどこにあったのでしょうか?
実は、この点に関しては一言で言い切れない複雑な事情がありそうです。
私自身、まだまだ消化不良のためにその辺を如何に整理するかと思いあぐねています。
ひとまず、私の考え方をまとめたのでアップさせていただきます。
国鉄赤字の発端は新幹線開業のせい?
昭和39年に国鉄は、赤字決算を招いたのですが、これは一般的には新幹線開業のためといった誤解がかなりあるのですが、色々な視点から見ていくとそれ以外の要因が多数みえてきます。
その一つが、減価償却に関する法令が改正されたこと。
省令が改正され、耐用年数が短縮されたことも大きかったのではないでしょうか。
昭和39年には「耐用年数に関する省令」が改正されました、
国土交通省が公開している、「税法上の耐用年数について」の耐用年数省令昭和39年から引用させていただきますと。
昭和39年の耐用年数の基本的な考え方は、いわゆる開放経済への移行に備えて、企業の内部留保と設備の更新に資するため、機械・装置及び無形減価償却資産を中心として、機械装置の耐用年数を平均15%程度短縮したものである。
これにより、耐用年数が短縮されたことにより、費用が増大して利益は減少となります。(内部留保が増えるためキャッシュは増えますが)
通達以前の耐用年数が今手元に資料が無いのですが、現行の基準では、電車で13年、気動車で11年等となっています。
減価償却・耐用年数表/車両及び運搬具 から引用
国鉄の場合、鉄道車両や橋梁・隧道等を含め多数の構造物がありますから当然のことながら内部留保は増えますが会計上の利益は圧縮されるため、見かけ上は赤字となります。
ちなみに、戦前は減価償却という概念がなかったため、見かけ上は大幅な黒字を計上しておりその分が殆ど戦費として消えることとなったと言われています。
他にも、国労はこっそりと要員措置闘争ということで、人員増を図っていました。
当然その分だけ人件費が増加することとなり、経費が増えることになります。
さらに、国労が1962年頃から行っている要員確保闘争、いわゆる合理化での人減らしではなく、人を増やす運動で64年にも若干増やしたと言われており、こうしたおよそ合理性がない運動を繰り返す反面、1965年(昭和40年)代にはすでに、週40時間労働、週休2日を要求しているのには驚かされます。
それ以外にも、他の関連団体とともに運賃値上げ反対闘争を率先して行うと言った自己矛盾とも取れる運動を展開している。
国労の見解では、貨物輸送の運賃が異様に安く設定されていることが原因でバランスが取れていないのであるから、貨物運賃を適正化して大資本から優遇を改めることにあるというのが国労の見解であり、そのためには労働者階級からの委員を選出する経営協議会のようなものを作るべきであるといっており、まぁ、正直貨物の値上げは即時に物価に反映することになるので国際競争力の低下になるのですが、そういった発想はなかったようです。
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