鉄道ジャーナリスト、日本国有鉄道歴史研究家 日本国有鉄道 社会学 鉄道歴史 労働史 労働運動

日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 127

引き続き、国鉄労働運動史からアップさせていただきます。

国鉄は、運賃改定に辺り三種類の運賃を準備した

前回も書きましたが、昭和59年4月20日の運賃改定は、国鉄は政府当局の意向も受けて、鉄道運賃を三種類に分けて、割増運賃導入した地方ローカル線、一般幹線、特定区間運賃の三種類に分けて申請されました。

この運賃値上げでは、競争力の高いところは、できるだけ運賃を抑えるとともに、ローカル線などでは運賃を上げる、擬制キロを採用することで、実質的に高くなる事を狙ったものであり、これに対して、国労は反対運動を始めることとなります。 

ただ、こうした動きに対して国労は、反対を示していますが、実は国鉄当局自身が、昭和58年から特別割引の回数券を発売して、値上げせずとも競争力を高める事を証明していました。

大鉄局が導入し、JR西に引き継がれた昼間特割切符

国鉄時代に設定された、昼間特割切符

JR西に引き継がれた。昼間特割切符

それは、大阪鉄道管理局が導入した、「昼間特割切符」(JR西日本に引き継がれたが、2018年9月30日をもって発売を終了)であり、当時の阪神・阪急の梅田~三ノ宮間が210円であったのに対して、国鉄では440円と大きく差を開けられていたことから、導入が決定されたもので、具体的に12枚綴りの特別割引回数券で、その1枚あたりの運賃は、私鉄の通常料金よりも割安に設定されていました。その辺りを、「岐路に立つ国鉄」という本から引用してみたいと思います。

私どものヒット商品でして、よその局からも勉強したいと問い合わせがきているんですよ」大阪鉄道管理局旅客の話です。「ヒット商品」は同管理局昨年(83年)6月から実施した昼間特別割引切符。両者に大好評で、その中身やノウハウを知りたいというわけです。この昼間特割切符は。大阪~神戸間の近郊に設定した一冊12枚つづりの特別割引回数券、平日は午前10時から午後5時まで利用でき、有効期間は3ヶ月。高槻~大阪、甲子園口~三ノ宮など26区間にのぼり、割引率は、14~43%です。「京阪神には競合する私鉄がたくさんありまして、時間的には国鉄の方が早いのになぜ私鉄を利用するかと言うと結局国鉄の運賃が高いからなんです。そこで、昨年この特別切符を導入したらこれが当たりましてね・・・・」と同旅客課の係官は自慢げです。

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄 昭和59年11月 国鉄線から引用

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄

昭和51年の運賃大幅値上げの影響などで、昭和51年を境に普通運賃旅客の私鉄に大きく水をあけられる結果に、定期旅客もわずか3年ほどで倍になった初乗り運賃で、私鉄より高くなるところが続出、大手私鉄との差は大きくなる一方であった。

 

国鉄当局も手をこまねいていたわけでは決して無かった

 国労は、昭和51年の大幅運賃値上げ当時から反対運動を断続的に続けていますが、そこには大きな矛盾点があるのでは無いかと思ってしまうわけです。

まず、自らの賃金は国鉄の場合独立採算制であること。

実際に、押しつけられた投資であるとか、不採算ローカル線の強制的とも言える譲渡など、組合として言うべき部分も有るかと思いますが、その反面、合理化により人員全体を削減して効率よく行うことに対して反発する。

合理化に反対して、運賃値上げに反対して、自らの賃上げは要求すると言うのは、どこか間違っていると言えないでしょうか。

国労は運賃値上げに反対を表明するが

国労は、こうした運賃改定にも反対する姿勢を示し、国鉄民主化とか、運賃の棚上げなど等を取り上げておりますが、生産性運動、叉それ以降の合理化などに反対をしてきたことによる、赤字の増大も多少なりともあったにも関わらず、運賃値上げもストライキで反対するというのは、矛盾していると思うのですが、そうしたことは無かったことになっているようです。

実際、国労の昭和40年代・50年代に見るストライキは、政治ストの様相が強いように感じます。

さらには、総評のリーダー格であるとして、無理に背伸びしていた・・・そんな風に感じてしまいます。

逆に、機を見た動労は、方針を転換して、働こう運動に見られるように、労使協調路線を目指す方向に舵を切ることとなり、鉄労と急接近する事になったのは皆様もよくご存じ通りです。 

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村 にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 現代史 戦後(日本史)へ
にほんブログ村

にほんブログ村テーマ 国鉄労働組合へ
国鉄労働組合

*************************以下、国労の記事から*********************************

第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

第五節 国鉄の独自再建案と

     地方本部交通線廃止反対闘争一 国鉄の経営改善計画の修正 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┌───────────────────────┐

├○ 四 線区別運賃制の導入と運賃値上げ反対闘争│ └───────────────────────┘    

運賃値上げ反対闘争

 84国民春闘の取り組みと同時に、運賃値上げ反対の運動が展開された。国労は3月8日、指令8号を発して、運賃値上げ反対の具体的な取り組みの指示を出した。この指令にもとづき全国各地で運動が展開され、署名は短期間に100万人を超え、また277の地方議会で決議や意見書の採択がなされた。4月4日、国鉄運賃値上げと地方交通線廃止に反対する中央集会が開かれた。 集会には各地方の代表など2000人が参加し、総理府運輸省自治省国鉄当局と交渉した。

 国鉄運賃値上げについて運輸審議会は、4月10日、地方交通線の一部区間の定期運賃の値上げ率を30%に抑えるという修正を行ったものの、ほぼ国鉄の申請どおりの答申を運輸大臣に提出した。この答申を受け運輸大臣は4月13日に運賃・料金の値上げを許可し、申請を認め、20日から実施された。その内容は、東京・大阪の国電一般幹線(新幹線を含む)、ローカル線の3グループに分け、旅客運賃の値上げ幅に格差をつけるというものである。

山手線、大阪環状線などは据え置き、総平均値上げ率は7.8%、運賃と料金の平均値上げ率は新幹線8.3%、幹線9.2%、地方交通線15.1%の値上げとなった。旅客は、平均8.2%、運賃のみは8.8%、の値上げであった。

 運輸審議会の答申が提出された日、国労は全交運とともに抗議声明を出し、そのなかで格差運賃の問題点を「国鉄の運賃率決定の基礎について運賃法3条は、駅間距離(実測キロ)としている。 地方交通線に対して1.1を乗ずることは、どこからみても擬制キロの疑いが残る。この点につて根拠が不明確であり、確かたる論証がされていない」と指摘した。たしかにこの方式で運賃を計算すると、幹線と地方交通線のまたがり乗車の場合、50%にも達する値上げ率となるケースも出てくるのであった。

 国労は84年度ののなかでこの間の運賃値上げ反対運動の問題点を次のように指摘した。  「①署名活動をはじめ具体的な取り組みが大幅におくれた。②今回の運賃値上げ反対闘争の重要性について全組合員の意思統一と決起をかちとれなかった指導上の不十分さもあり、59.2ダイヤ改正後の過員問題などをかかえて職場を基礎とした運動の高揚を十分にかちとることができなかった。③運賃値上げの内容が『東京・大阪』『幹線』『地方交通線』の格差運賃となるなかで、その内容の不当性と矛盾を十分にバクロすることができず、とくに都市部での反対運動を強めることができなかった。この結果にみられるように、すべての闘いにおける職場・地域ごとのアンバランスは依然として克服されていない。④今回の運賃値上げ反対闘争の重要性にもかかわらず、ナショナルセンター規模での大衆行 動に取り組むことができなかった」。