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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 45

国鉄赤字と再建計画

国鉄における赤字は昭和39年度に始まり、その後は赤字が解消することは無かった、昭和40年に運賃改定が行われていれば赤字に陥ることが防げたのではないかとも言われています、この時期はまだ余裕があり昭和43年頃から減価償却前でも赤字を計上するようになったと言われています。

すでに昭和30年代から見え隠れしていた赤字体質

ただ、昭和30年代は潤沢に黒字を計上していたかと言うとそうでもなく、戦争中に疲弊したレールなどの更改やその他老朽資産の置換えに費用を使っていた他、後に記しますが一部貨物の政策運賃として低く抑えられていたことや人件費の高騰などもあって徐々にその経営を圧迫していたのも事実でした。

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地方交付金の一部として使われた納付金制度

他にも、地方交付税の不足を補うために固定資産税相当額を地方納付金と言う名称で地方自治体に納付させる制度がありました。

こちらも、昭和31年に制定されたもので、電電公社日本専売公社も対象になっていますが、鉄道の場合線路がすべてその対象となるため電電公社日本専売公社よりも負担額は大きかったものと思われます。

注:納付金問題は、昭和24年から?

*1

   wikipediaから引用させていただきます。

国有資産等所在市町村交付金及び納付金に関する法律として昭和31年に制定され、市町村交付金の他に市町村納付金が存在した。納付金とは、日本国有鉄道日本電信電話公社日本専売公社の旧三公社に対して課せられるもので、特徴としては、基準日が交付金と異なり固定資産税と同じ納付年の1月1日となっていたり、納期限は7月31日と12月31日の2回に分けて納付される等市町村交付金と固定資産税の中間的なものになっていた。

国有資産等所在市町村交付金 - Wikipedia

参考 国有資産等所在市町村交付金及び納付金に関する法律

法律第八十二号(昭三一・四・二四)

さて、こうした数々の赤字になる要素は有ったと思われます。

新幹線の開業が赤字を誘発したわけではありません。

さて、先ほど書きましたが人件費は昭和30年代から70%近くを占めており、戦時中の復員と満州鉄道、海軍・陸軍の技術者などを受入れた特定人件費部分も大きかったと言われています。

そしてもう一つは特定貨物輸送に対する大幅な運賃割引でした。

石炭やセメントと言った重厚長大な貨物に対して大幅に割り引いた運賃を強いられており収支合償わなかったとも言われており、この辺は国鉄当局も苦慮していたのですが政府の政策的意味合いで低く抑えられていたといわれています。

この辺は組合も反対はしていました。

そんな中で、昭和44年頃から再建計画が立てられるのですが、再建計画のための再建計画と揶揄されるように再建計画はことごとく失敗し、赤字は急速に増えていくこととなりました。

昭和55年の運輸白書から引用します。

(3) 第3次再建対策(51~52年度)

  日本国有鉄道再建対策要綱(50年12月閣議了解)において次の具体的な内容が定められ,また,これに伴い必要な法改正が行われた。その後,対策の一 層の推進を図るため,日本国有鉄道の再建対策について(52年1月閣議了解)に基づき国鉄の投資事業範囲の拡大,運賃決定方式の弾力化等を内容とする法改 正が行われた。

〔対策の概要〕

 ① 財政再建の目標

 51及び52年度の2カ年で収支均衡を図る(52年1月の閣議了解において,54年度までに収支均衡を図ることと改定された。)。

  ② 経営分野

 国鉄は,我が国の総合交通体系のなかで,今後とも都市間旅客輸送,大都市圏旅客輸送及び中長距離・大量貨物輸送について重点的にその役割を果たすべき であるが,同時に,その本来の使命からみて,これら以外の分野を含めた全体について,独立採算性を指向した自立経営を行うこととする。また,赤字ローカル 線は,国の積極的な支援のもとに,国鉄の責任においてその取扱いを検討することとする。

  ③ 経営の合理化

 貨物輸送等の近代化,合理化等を行うことにより55年度までに要員増を含め1万5,000人の要員縮減を行う。

  ④ 運賃決定制度の弾力化

  国鉄の自主的経営能力を強化するため,運賃法定制度を改め,その決定方式を弾力化する。

 ⑤ 経営改善計画の策定

  国鉄は,その経営の健全性を確立するため,経営の改善に関し必要な事項についての計画を定め,これを実施することとする。

  ⑥ 国の助成

  国鉄の膨大な過去債務から生ずる財政上の圧迫を抜本的に解消するため,50年度末債務の一部(約2兆5,404億円)について棚上げ措置を講ずる。

  なお,これらの再建対策に応じて,国が講じた具体的な助成措置は下図のとおりである。

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 結局、利子が利子を生む自転車操業状態になり、,昭和50年度末における累積赤字のうち2兆5,404億円の 繰越欠損金及びこれに相当する長期債務をについては、特定債務整理特別勘定において別途計理することとして、昭和51年度からは特定債務について 政府からの利子補給及び償還資金の無利子貸付けを受ける等の補助を受けるようになるのですが、それでも赤字は増え続けることとなりました。

国鉄としても、貨物輸送の合理化(拠点の集約・ヤードパスの地域間急行貨物列車などの増発)といった貨物輸送合理化を推進しようとしました、更にはその後問題となってくるのですが、地方ローカル線の分離・バス輸送化が叫ばれました。

昭和52年時点における貨物輸送の鉄道が占めるシェアは11%でありこれはコンテナ輸送も含めた数字であり車扱いだけでは7%程度まで落ち込んでいたと思われます。

ローカル線の審議にかかる内容などは、幣ブログ「国鉄があった時代blog 「国鉄改革関連国会審議」を参照」願います。

国鉄があった時代blog版

国労運動方針の転換

国労の運動方針がこの時期に変化したことは注目に値するかもしれません。

スト権ストの失敗の反省から、”国民の国鉄”と言う方針に転換していきました。

そこで、①国民の生活要求にもとづく国鉄づくり。②国鉄経営の民主化に分けて具体的に方針を決めた。

① 総合的な交通民主化のたたかい

②「国民の足を守る会議」の充実・強化

③貨物輸送の民主化

④地方ローカル線問題などへの取り組み

と言った方針を出してきたようです。

とありますが、これがローカル線廃止反対運動などとして繋がっていくわけでしょう。

 

***********************以下は、国労の資料になります。*******************************

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第8節 国鉄民主化要求闘争

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 3 「国民の国鉄」を目指す民主化・政策要求闘争
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├○ 国鉄「再建」の計画の挫折と政府・国鉄の対策 │
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 国鉄は、75年度現在、累積債務6兆7793億円、単年度決算で9147億円の欠損を出していた。これまでの政府や当局の国鉄「再建」計画は、つぎつぎ に失敗した。とくに「財政再建10か年計画」は、オイルショック、インフレのもとで破綻を余儀なくされた。75年12月、政府は、「国鉄再建対策要綱」を 閣議了解し、関連法案を翌年の国会に提出した。だが折からのロッキード疑惑の発覚で国会審議は中断し、国鉄関連法案は審議未了または継続審議となった。 「再建対策要綱」は出発からつまずいた。
 77年1月、政府は改めて、79年度に収支均衡を図る「日本国有鉄道の再建対策について」閣議了解した。そして、運賃値上げが意図されたが、継続審議と なり、秋に国会を通過した。この間、76年12月を中心に貨物大「合理化」提案が出され、77年、78年、国労動労は、貨物「合理化」反対闘争を展開し た。
 77年12月、政府は、「日本国有鉄道の再建の基本方針」を閣議了解した。これに沿って、国鉄当局は『国鉄再建の基本構想案」を提出した。それに基づ き、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法案」が80年2月、国会に提出された。70年代前半の政府・国鉄当局の「再建」策は結局、運賃値上げと要員削 減、貨物「合理化」とローカル線切り捨て、若干の公的助成に留まり、抜本的な総合交通政策を提示できず、国鉄の縮小再編へ、向かっていった、

┌──────────────────┐
├○ 民主的規制から民主化政策要求へ │
└──────────────────┘

 国労は、長年の「合理化」反対闘争、スト権奪還闘争などの経過と教訓を踏まえ、全交運の仲間や地域住民とともに、「国民の足を守る」闘い。「国民の交 通・国民の国鉄」を目指す闘いを積み重ね、政府・当局の再三の「再建」計画に対し、国鉄民主化国鉄の民主的再建を主張して闘ってきた。
 77年8月の第39回定期大会(新潟市)では、これらの取り組みをより総合的かつ系統的に発展させる必要があるとの立場から、民主的規制という新しい方 針を打ち出した。この民主的規制は、①社会的レベルにおける国鉄の民主的規制と②国鉄内の民主的規制の二つのレベルで構成され、具体的な闘いとしては、① 総合的な交通民主化のたたかい、②「国民の足を守る会議」の充実・強化、③貨物輸送の民主化、④地方ローカル線問題などへの取り組みを提起していた。
 この民主的規制方針の提起の背景には、国鉄再建問題がきわめて政治色の強い問題として浮かび上がっているという情勢、国会が70年代後半、与野党伯仲の 場面を迎えており、国鉄の再建策をめぐって各野党の政策提起が相次ぎ、重要な点での製作一致の可能性も見通せるとの情勢の発展もあった。
 方針討議では、民主規制について、貨物「合理化」との闘いと関連させた多くの意見表明があった。同時に本部が提起した「労働者の自主的規律」をめぐって も論議が集まった。その結果、「働く、要求する、たたかう」という三要素を結合していく作風を職場で確立していくことが、国労の課題として確認された。こ れは、当時、異常とも思えるマスコミの「国鉄職員タルミ論」の立場からするキャンペーンに対して批判的に対処するためであったが、同時にそうしたキャン ペーンが、生じていた事態の一面を誇張しているにせよ、全面的に否定しさることができないという事実への自省の念も込められていた。
 他方、民主的規制を含む新しい方針案は、最終的に原案どおり可決・決定された。大会後、民主的規制について、中執の「統一見解」をまとめ、78年には、『国鉄新聞』2月12日付で、「”民主的規制”問題討議資料」を特集した。
 78年7月に第40回定期大会(高知市)では、「民主的規制」を「”国民の国鉄”を目指す民主化・政策要求闘争」という表現で定式化した。この点、書記 長は、「”民主的規制”」の用語が労使協調と誤解されたので民主化・政策要求闘争と改める。しかし汚染の内容は変わらない」と述べた。79年7月の第41 回定期大会(鹿児島市)では、それまでの「国民の国鉄」を目指す民主化・政策要求闘争の成果と問題点を整理し、これからの闘いの目標とその組織化につき、 ①国民の生活要求にもとづく国鉄づくり、②国鉄経営の民主化に分けて具体的に方針を決めた。
 だが、80年代を迎える国労の前途は、当面する政府、当局の国鉄対策を見る場合、きわめて多難であった。国鉄は、79年度に812億円の欠損を出し、繰 越欠損金は、76年度の棚上げ2兆540億円と資本積立金5,604億円を差し引いても3兆5,167億円となり、長期債務残高は10兆円を超えていた。

続く

*1:国鉄地方税との関連の歴史は古く、昭和24年、25年に出されるシャウプ税制勧告まで遡ることが出来ます。その後、紆余曲折はありますが、駅等への固定資産税が先行して昭和29年頃から課税され、その流れで地方納付金が決定されていった経緯があります。
その辺は更に体系的に今後調べていければと考えております。