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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 98-2

今回も、国労は56歳以上の者の退職条件を切り下げることで退職を促進することを目的とする当局の方針に異議をとなることとなります、しかしそういった申し出に対しても、当局側はなかなか応じようとはしませんでした。
 さて、実際にはどのような経緯となるのでしょうか、以下お読み下さいませ。
現在、労働組合視点の資料を探しているのですが、中々見つけられませんので、当局資料などを中心にして類推しながら書かせていただくことを了承いただきたいと思います。

合理化は国鉄改革の原点と位置づけた当局

国鉄の場合、組合問題に論点がいきがちですが、何故合理化を強力に推し進めなくてならなかったのか、その一つには、確かに組合との馴れ合いで、合理化が進んでこなかったと言う側面もありますが、実は特定人件費の増加という点にも着目する必要があるかと個人的には考えています。

下記は、昭和58年度監査報告書に書かれている、経営改善計画の収支表です。

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1984-09_国有鉄道から、引用
 
これによりますと、特定人件費の上昇が極端に大きいことが判ります。
特定人件費とは、戦後、復員者及び、満州鉄道、朝鮮鉄道等で勤務していた人も国鉄で採用したことで発生している人件費で有り、本来はこうした人件費は、政府の責任で処理すべき問題であったと思われますが、その辺は臨調などでも話題になったとは言えません。
なお、運輸白書にも、特定人件費に関する記述がありました。
下記のように記述されているように、国鉄の問題の一つは、国鉄の組織そのものだけではなく、国鉄職員のうち、本来であれば国が負うべき人件費も国鉄が負担していたことにも注目しなくてはいけないのではないでしょうか。
全体収支においては,地方交通線・地方バスの損失及び特定人件費の増大により,改善の目途がたたない状況にあり,将来の国民負担の軽減や鉄道の果たしている使命の維持のためには,経営形態を含めた抜本的な改革が必要となっている。
 

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2 再建対策の経緯 昭和61年度運輸白書から引用
ここで書かれている人件費は、特定人件費を含めた全ての金額のためわかりにくいが、国鉄財政破綻の大きな要因の一つは特定人件費の問題であったと言えます。ただし、その反面、本来であれば積極的な合理化等で組織をスリム化していく必要があったにも関わらず、イデオロギーに拘り、合理化を反対してきた各組織にも問題がなかったとは必ずしも言えません。

国鉄労組的には、国鉄赤字の原因は政府と当局の責任らしいです。

国鉄労働組合の中には複数の派閥が分かれていましたが、国鉄労働組合革新同志会(革同】になるのでしょうか、杉田明著 「臨調国鉄攻撃と労働者階級」国鉄問題研究会刊の記事を参照しますと、国鉄の赤字に関して下記のような記述を見ることが出来ます。

少し引用してみたいと思います。

 以上見てきたような国鉄赤字がどこから生まれてきたか、結論的にいってそれは日帝の戦後高度成長政策、戦後国鉄政策とその破産・崩壊の不可避的な帰結ということができる。特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け
入れた結果である。巨大な利子等は、国鉄が戦後一貫して独立採算制の名のもとに巨額の借金を重ねながら設備投資を続け、日帝・独占資本の要請に応えてきたことの、いわばツケということができる。一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果
だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって、けっして狭い意味での国鉄経営のあり方の問題でもなければ、ましてや国鉄労働者の働き度の問題でもないのである。

p146~147

ここで、個人的なコメントを挟むことを許していただけるならば、「特定人件費問題は、すでにふれたが、敗戦後の混乱期に、国鉄が国策の一環として復員した大量の労働者を受け入れた結果である」としながらも、当局は定員法により、適正規模の人員に減らそうとしましたが、強く定員整理に反対したのはどこの組合だったでしょうか。
結果的に、定員法による首切りは実現されたものの、その多くは戦時中に徴用された女性従業員や若手の職員でした。
一番、解雇に反対していた組合はその辺の活動はなかったことにしているようです。
また、「一般営業損益の赤字は、直接的には輸送量そのもの、シェア競争における国鉄の敗退の結果だが、これもまた、日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結なのであって」としていますが、国労が行った違法ストライキで利用者が減少し、更に貨物輸送の荷主にも愛想を疲れたことには一言も触れられていません。
もちろん、国鉄当局も専用線方式ではかなり荷主に無茶ぶりをさせていたのも事実でした。
専用線を引いたは良いが、肝心の貨車が配給できないとか、自由に使いたければ貨車も用意しろと言った具合で、国鉄当局の貨物輸送のあり方もじゅうぶんに誉められたものではありませんでしたが、ク5000を使用した自動車輸送は、一定の成果を見せて自動車業界も積極的に利用を行おうとしたのに、ストライキの続発で結果的に荷主の信用を失わせた組合の責任はどこにあるのでしょうか。
自分たちが行ったストライキが、「日帝の戦後高度成長政策とその破産の帰結」と言えるのでしょうか。
自分たちの都合の悪いところは徹底的に模糊としてしまう点に関しては、納得いかないものがあります。

結果的に自分たちの職場を小さくしていく方向に動いた労働運動

 なお、この辺に関しては、民間では昭和39(1964)年に結成された、全日本金属産業労働組合協議会のように、富の再配分という労働運動の本質的な部分を生産性の拡充に求めていった、右派的労働運動を選択したのに対して、階級的闘争を打ち出した、左派的労働運動を貫いたことで、国鉄は独占性が失われあまたの交通機関と競合する中で、その地位を下げていく事となり、貨物輸送が壊滅的な状況に追い込まれて、乗務員が遊んでしまう。いわゆる、「ブラ勤」と呼ばれる状況を作ってしまいました。
更に、列車そのものの本数が減るので、機関車や貨車の稼働が減ることになり、い中部の機関車は休車という措置を取ることになります。
機関車などの場合、一休(復活前提の休車)をすることで、検査時期を延長できますので、実質的に稼働日数を増やせることになります。【休車指定することで、いわば時間を止めると言った方が解りやすいでしょうか】結果的に、工場の稼働も減るので、今度は工場の職員も遊んでしまうことに成ります。
また、日々の検査も休車の車両は不要になるので、これまた検査掛の要員も余ってしまいます。
結果的に、今まで積極的に行っていなかった合理化がここに来て一気に問題が表面化したと言うことでしょうか。
貨物輸送の減少に関しては、組合がいくら反論したとしても、スト権ストなどに至るまでの数々のストライキが、鉄道輸送利用者をことごとく裏切った事へのしっぺ返しと言えるわけで、この辺は組合はやはり猛省すべき点ではないかと個人的には考えてしまいます。
 

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