みなさまこんにちは、本日も「マスコミの国鉄問題キャンペーンと国鉄当局」ということでお話をさせていただこうと思います。
千葉動労から見た国鉄運動
毎回、国労の記事を参照していますので今回は、動労千葉からみた国鉄当局の労働運動と言う視点から見てみたいと思います。
もちろん、千葉動労を擁護するもしくは、反論するということではありません。
あくまでも違った視点から見た場合のお話を進めさせていただこうと思っております。
千葉動労とは?
特に千葉動労は、昭和54年、動労が、成田空港闘争での「三里塚闘争」の考え方の違いから、動労本部が千葉地本執行部を除名、それに対抗するように千葉地本側も動労から分離して独自の組合を結成したもので、1986年(昭和61年)11月30日に、同様の考え方で誕生した動労水戸・動労連帯高崎とともに動労総連合を組織し現在に至っています。
なお、現在「動労総連合」に加盟している組合は下記の通りとなります。
元々は、上記、動労水戸・動労連帯高崎を加えた3派に動労西日本を加えた組織でしたが、ここにきて、東京、神奈川、新潟、福島、北陸、九州、北海道などで新たな単産として復活しており、新たな国鉄問題が起こりえないか監視する必要がありそうです。
千葉動労からみた動労の動き
動労としては、貨物輸送が目に見えて減って行く中で、多少の危機感は昭和57年以前から持っていたようで、そのあたりが上記の、千葉動労との温度差、まぁ、動労=革マル派、千葉動労=中核派と言う極左内の派閥争いもあったようですが、より現実路線を選択しようとした動労は、貨物輸送に関してはストライキをしないなどの方針をスト権スト以降は堅持していたようであり、その辺りの松崎明執行委員長の勘と言うか指導方針はほぼ間違っていなかったと思われます。
さて、本題の「千葉動労からみた動労の動き」を千葉動労の歴史から引用してみたいと思います。
http://www.doro-chiba.org/rekisi/dc30/rekisi.htm
動労カクマルを手先に
動労革マルは、すでに82年1月には「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだしていた。表向きには「分割民営化反対」を掲げていたが、たちまち馬脚をあらわす。82年のブルトレ問題でのぬけがけ的妥結を皮切りに、以降、入浴問題、現場協議制問題等でつぎつぎに当局と妥結。東北・上越新幹線開業に伴う83年2・11ダイ改では、国労が六年ぶりに順法闘争をたたかっている最中、鉄労とともに当局提案を全面的に受け入れた。こうして動労を使って国鉄労働運動をつぶすというこの攻撃の出発点が形づくられた。
動労革マルはその最初から、極めて自覚的に権力・当局との密通関係を結び、国鉄労働運動破壊の尖兵となることによって自己の延命をはかるという道を選択したのである。
この記事を見ますと、注目されるのは、動労が、「「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を打ちだし」と言う点に注目できます。
千葉動労的視点から見れば、これは非常識的なことかもしれませんが、前年からのマスコミキャンペーンなどを敏感に感じていたのかもしれません。
実際に、ブルトレの闇手当問題でも、真っ先に返納を言ったのは動労でありその辺の動きは動力車乗務員のみで構成された動労故に行えた部分と言えるかもしれません。
実際、国労ではブルトレ手当の返納に際しても中々一枚岩と行かず紛糾したということを考えれば、動労による松崎指導体制はそれなりに注視すべきところがあると言えそうです。
さて、それでは再び今度は政局臨調の動きを見てみましょう。
大原社会問題研究所 日本労働年鑑 第53集 1983年版 臨調=行革第二ラウンド-基本答申(八二年七月三〇日)にむけて から引用させていただきますと。
マスコミと臨調の動きは上手く合致し、国鉄=悪玉、国鉄労働者=悪玉の世論を作るのには有効に働いたと言えそうで、特にそんなさなかで起こった、機関士の飲酒運転による特急紀伊衝突事件は、、マスコミに大きく取り上げられることとなり、国民の国鉄に対する世論は一気に高まったと言えましょう。
また、この時期には国鉄は「分割・民営」と言う方向がほぼ固まっていたと言われており、電電公社がNTTとして分割されずに民営化(その後分社化はされていますが、最初から地域分割ありきの民営化にならなかったのとは対照的と言えます。)されなかったことと比べるとき、現状のJR北海道の姿を誰が思い描くことが出来たでしょうか。
仮に、一元化で民営化、後に貨物部門・長距離専門・新幹線&地域会社でNTTのように2分割程度であれば、もう少し変わっていたかもしれません。
さらに、田村元自民党国対委員長(元運輸相)自身も〃私案〃として、国鉄赤字のうち「経営外の要因による構造的欠損」は国鉄の責任でないとし、「分割・民営」論を批判し「三〇万人体制」による徹底的合理化を求めています。
実際に、昭和30年代に創設された地方納付金や、過度の通学定期の割引、それに輸送力増強に伴う建設費なども言ってみれば構造的欠損であり、本来であれば大蔵省なり文部省(いずれも当時の省庁名)が対応すべき問題ではないかと思われます。
なお、上記の表を基に条件を一律にして比較してみたのが下記の表並びにグラフとなります。中学生で50km以上の移動は考えにくいのですが、スキャナーの性能が低くて綴じ目付近は不明瞭なため、明瞭な部分かつ、きりの良い数字と言うことで決めさせていただきました。
ご了承願います。
こうしてみると、中学生の通学定期運賃は実に82%の割引率となります。
高校生でも77%であり、ローカル線問題を語るときこうした問題をどうクリアするのかと言う問題もあるかと思われます。
実際、国鉄では地方納付金だけで年間400億円近く支払っており、国鉄赤字とは無関係に鉄道が敷設されている沿線自治体に支払われておりました。
そして、さらに問題となるのはそうしたローカル線ほど利用者がいないということです。
営業係数が1000以上の路線も少なくはありませんで、100円の収入を上げるのに1000円以上投入している。
走らせれば走らせるだけ赤字が膨らむ仕組みだったわけで、そこにさらに自治体にお金を一律に払う訳ですから、地方自治体にしてみれば鉄道が走ってくれているだけで、自動的にお金が振り込まれなおかつ、地方交通の心配をしなくても住民の足を勝手に守ってくれるという存在が地方ローカル線で有ったわけです。
この間、一月二三日に「ブルートレイン・ヤミ手当」問題が報道され、それを契機に国鉄「ヤミ手当」報道があいつぎ、折からの「酒酔」運転事件などと相まって国鉄における労使関係がマスコミないし国民世論の注目をあつめた。それは、基本答申の骨格論議と重なり、現場協議制をふくむ労使関係の見直しを柱とした国鉄改革=「分割・民営」化が行政改革の中心課題だとする〃世論形成〃がすすんだ。マスコミの国鉄に関する報道と臨調第四部会審議とは、期せずしてタイアップしていた観を呈し、その〃政治性〃がきわだった。
この時期、臨調第四部会が国鉄の経営形態の変更、「分割・民営」化で固まったと伝えられ、二月二日、鈴木首相も「事態は遷延を許さない。臨調答申をまって英断をもって対処する」との意向を表明した。他方、田村元自民党国対委員長(元運輸相)は〃私案〃をまとめ、国鉄赤字について「経営外の要因による構造的欠損」は国鉄の責任でないとし、「分割・民営」論を批判、「三〇万人体制」による徹底的合理化を求めた。また二月五日、自民党は「国鉄再建に関する小委員会」を発足させたが、小委員長になった三塚博氏は「国鉄問題の基本は乱れ切った職場規律の回復。これを解決しない限り、分割・民営論をうち出しても空論に終わる」と強調、臨調とのニュアンスの違いをみせながら、国鉄再建は労使関係の見直しが重点だとした。
マスコミキャンペーンを端緒として、自民党三塚委員会の職場視察などの活動などにより、国鉄当局の動きも変わってきたと言えます。
その背景に実は敏感に反応していたのは動労であり、この年のダイヤ改正では減量ダイヤとして従前より列車キロが減らされたことを受けて、動労は方針転換をしていくこととなるのですが、これは少し先の話となります。
こうして、臨調の中でも国鉄再建〃論争〃は臨調の目玉として活気を帯びてくるとともに、国鉄当局も積極的にこの機に労使正常化に向けて動き出したと言えましょう。
職場規律総点検などはその最たるものであり、それまでも数多く言われてきた(70年代にもすでに問題提起されていましたが、マル生運動以降は口に出すことすら憚られる雰囲気に有ったものが息を吹き返してきたと言えました。)と言えそうです。
反発と警戒を強める総評並びに国労
国労は、二月二日、総評第六五回臨時大会で、国鉄分割民営化ありきの論調は容認できない、赤字・労使関係のみを持ち出すのは一さかアンフェアであり、公共交通の在り方などを通じて総合的に考えるべきであると武藤国労書記長は批判しており、まさか政府も分割民営化を推し進めてくることは無いであろうと言う希望的観測も有ったのかもしれません。
その辺りは、「職場と仕事を守るために、働き度を2~3割高める」という悪名高い「働こう運動」を持ち出した動労に分があったように思います。
続く
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国鉄があった時代 JNR-era