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鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 101

一か月以上も更新しないまま、過ぎてしまいました。
本日も、国労運動史を参考に当時の国鉄の様子を見ていきたいと思います。
いままで、国鉄部内誌からの引用が多かったのですが、今回は大原社会問題研究所、労働年鑑を参照しつつアップさせていただこうと思います。

高齢者の退職を促進するため、定期昇給等の停止を実施

日本労働年鑑 第56集 1986年版
第一部 労働者状態 II 産業合理化と経営・労務
から、引用させていただきます、ここでは国鉄の退職前提の休職に関して比較的詳しく書かれていました、まず最初にお断りしなければいけないのは、国鉄には定年制度がなく、勧奨退職年齢と言う言葉を使っていたということです。
今回提案された、新しい制度では、55歳以上の昇給、昇格を停止するものであり、積極的に55歳以上の退職を促すものでした。
なお、国鉄に定年制度がなかったことは、下記に引用した公労委斡旋で知ることが出来ます。
「退職前提の休職」にかんしては、八一年一二月、公労委斡旋で、最終退職勧奨年齢を六〇歳に引きあげる特別退職協定が締結されたが、その協定の三年間の期限が切れ、当局が新たな提案をしたのである。そこで、国鉄関連五組合は一致して斡旋申請し、舞台は公労委に移った。復職前提の休職」「出向」にかんしては動労、鉄労、全施労の三組合が受諾し、国労、全動労は拒否した。しかし、国鉄当局は八四年一〇月一一日、国労、全動労との交渉を一方的に打ち切り、雇用安定協約の破棄を通告した。労働協約の破棄は現行労組法では一年経つと自動的に無協約状態となり、組合側に不利は免れない。結局、八五年二月八日、国鉄労使トップ会談が開かれ、この問題について実務者段階での団交再開を合意した。
と書かれています。

国労は新しい退職協定を拒否、当局は雇用安定協約の破棄で対抗

ここで書かれていますように、国労と全動労は斡旋案を拒否したことで、当局は雇用安定協約の破棄を通告したと書かれています、国労や全動労にしてみれば、雇用安定協約がなくなることは、当然のことながら組合不利になり。動揺は隠せませんでした。

実際、1983年1987年までのわずか4年間で、224,000人の組合員は雪崩を打ったように減少し、44,000人になりました。
また、将来を悲観して自殺する国鉄職員もあり、国鉄分割民営化の犠牲者として、社会問題にもなりました。
中曽根内閣は、1983年に国鉄を分割・民営化する方針を打ち出し、以降、嵐のような組合破壊攻撃が吹き荒れた。
 この攻撃の激しさは、国鉄の最大組合であった国労が、1983年から民営化が強行された1987年までのわずか4年間で、224,000人から44,000人まで減少したこと、同じ間に130,000人の国鉄労働者が職場を追われたことに示されている。
なお、国労と同じように、特別退職【55歳以上の職員の退職を促す】制度をに対して厳しく反対運動を行っていた、千葉動労でしたが、当時の動労千葉の機関ビラ【日刊動労千葉】の記事を今でもネット上で簡単に参照できます。

千葉動労国労と足並みを合わせて対抗

国労は、「特別退職協定」をめぐる交渉を行ったが、当局は提案を撤回しなかったことから、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請することになりました。

以下に国労の文章から引用させていただきます。

このようななかで、「特別退職協定」をめぐる交渉が始まったが、国労の批判にもかかわらず当局は提案を撤回しなかった。そのため、国労は84年12月24日、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請した。85年1月18日、第1回の事情聴取が行われた。国労は、斡旋に至る経過と斡旋に求める事項について次のように説明した。

その理由は下記の通りで、国労は現行の制度の維持並びに、56歳退職を求めたものであったようですが、当局は人員削減を最大限の目標としていたため、国労との交渉は上手くいきませんでした。
この頃は、かなり強硬であったことが、こうしたやりとりからも窺えます。
組合は、現行協定の継続締結と、現行55歳の退職条件を年金支給開始年齢に引き上げに伴い56歳に引き上げることを要求し、交渉を進めたが、労使が一致できなかったため打ち切り、斡旋を申請した。
これに歩調を合わせたのが、全動労、千葉動労等でした。
動労は、当時の記事等がないのですが、千葉動労は今でも同時の機関誌ビラ【日刊動労千葉】をネット上で参照することが出来ますので、当時の様子がよく判ります。
下記に画像をキャプチャしたものを引用させていただこうと思います。
これによりますと、昭和59(1984)年12月24日に公労委に斡旋したことが大きく書かれています。この頃は、動労との確執も大きく、左側には、動労「本部」革マルの片仕切りを許すな!と言う檄文が見えます。
千葉動労とは?*1

千葉動労 日刊動労千葉 1984/12/24付

 日刊動労千葉の記事から引用

退職者や出向者は増加、国労・全動労などは更に窮地に

 84年の発表では、国鉄からの出向等の人数は下記の通りでした
  • 84年度中の退職者総数   約30,000人
  • 復職前提の一時帰休申出者    395人
  • 出向              2,529人

当局の予定と比べて少ないということもできます。
国鉄関連の「出向」先に関しては、協力会社への出向、第三セクターなどで以下のような業態に対して行われました、これ以外にも、ホテルや、自動車工場への出向なども行われました。
昭和60年度になると更に出向者は増えて、

  • 85年度中の退職者総数     6723人
  • 復職前提の一時帰休申出者   1,507人
  • 出向             6,244人

この辺は、再び大原社会問題研究所の記事から引用させていただこうと思います。

八四年一〇月八日、国鉄当局は、運転、施設、電気、工作、情報システム、資材などの業務委託会社および旅客のエージェント第三セクター、臨海鉄道・物資別ターミナルなど、ホテル、広告媒体管理会社、駅ビルなど、鉄道弘済会、同系の会社、日本食堂、鉄道会館、自治体など、建設会社などの出資会社・非出資の関連会社などを掲げ、トータルの派遣可能数を約二五〇〇人と明示した。また、民間企業も有力な出向先となった。なお、八五年九月現在で申出者はさらに増え、国労の調べでは「退職前提の休職」六七二三人(前出の者は八五年三月で退職した者が多い)、「復職前提の休職」一五〇七人、「出向」六二四四人となった。

 

紀勢本線を走る貨物列車DD51重連

紀勢本線を走る貨物列車

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************************以下は、国労の資料から引用***********************************

 
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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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 第3節 59・2ダイヤ改正後の余剰人員対策をめぐる交渉
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 一 余剰人員対策第三項目の交渉と雇用安定協約の破棄通告

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├○ 「特別退職協定」交渉と公労委へあっせん申請│
└───────────────────────┘

 このようななかで、「特別退職協定」をめぐる交渉が始まったが、国労の批判にもかかわらず当局は提案を撤回しなかった。そのため、国労は84年12月24日、退職制度の見直し問題で公労委に斡旋を申請した。85年1月18日、第1回の事情聴取が行われた。国労は、斡旋に至る経過と斡旋に求める事項について次のように説明した。

 「退職制度に関する当局提案は、55歳をこえて在職するものの条件と年度末で56歳以上の者の退職条件を切り下げることにより早期退職を促し、要員削減を進めようというものである。
  この提案にたいし、組合は、現行協定の継続締結と、現行55歳の退職条件を年金支給開始年齢に引き上げに伴い56歳に引き上げることを要求し、交渉を進めたが、労使が一致できなかったため打ち切り、斡旋を申請した。当局提案を理解出来ない理由は、現行協定は公労委への努力をへてつくられたものであり、60歳定年が一般的になり、しかも国鉄の年齢構成のひずみから発生する大量退職への積極的対応でもあり、この制度設定の理由は変わっていないこと。本年度に55歳をこえて在職する、56,57, 58歳の者は、すでに現行制度による条件にもとづき在職を選択したのであり、道義的にも認められない、現行協定は『有効期間の定めのない協定』だが、その取扱は付属了解事項で『協定等の改廃は実施が完了した後に行う』と定めており、現段階での改定案 は協定に反する。」

 一方、当局側は提案にいたる経緯と背景を説明し、そのなかで「退職制度の見直しは余剰人員対策の一つである。国鉄の現状から余剰人員の解消は最重要の問題であり、今後更に増えていく余剰人員の対策として当局案を了解してもらいたい」と述べた。
 この後、公労委斡旋作業が続けられたが、当局側はあくまで自案に固執したことから難航し、2月20日早朝にいたり、「早急に自主解決を図るように」との勧告と「斡旋員見解」のなかには「在職条件としてのベースアップの扱いについては、賃金配分の際にしかるべき措置をするよう別途協議すること」が示されこれにより55歳以上の在職者のベースアップを実施する条件が確保できる見通しを得たものと国労は判断した。
続く
 
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*1:【千葉動労は、中核派動労【本部】は革マル派であり、その闘争方針は中核派が無産階級等の連携を強めることを前提としているのに対し、革マル派は、時と場合には権力にすり寄り、権力を奪取する事も辞さないという考え方でした。】