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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 145

久々に更新させていただきます。

 

余剰人員対策として、国鉄では直営店舗などの開設が行われ、関連事業収入のそうかと言うことでの多角化経営が行われることに

国鉄では、仁杉総裁が更迭され、杉浦総裁が中曽根首相の意向を汲んで最後の国鉄総裁として分割民営化を進めることを目的として送り込まれたわけですが、国鉄当局としては強力な合理化により、過員を生み出し(国鉄当局の表現では余剰人員)、多くの人材を直営店などの関連事業に振り分けることとなりました。 当時の国有鉄道という雑誌〈国鉄現業機関向けの雑誌〉などを参照しますと見返しページなどで、直営店の様子などが掲載されていました。

  国有鉄道 1985年12月号 から引用

直営店などの関連事業 国有鉄道 1985年12月号 から引用

こうした関連事業以上に、発生する過員にあっては一時帰休や退職前提の休職、出向などの施策がとられました。

この辺の事情を、大原社会問題研究所の日本労働年鑑 第56集 1986年版 

第一部 労働者状態

 II 産業合理化と経営・労務

から引用させていただきます。

さらに、国鉄当局は八五年三月のダイヤ改正で、駅の無人化(全国の駅の六〇%を上回る)、ホーム要員の削減、窓口廃止、貨物車の緩急車廃止、車検周期の大幅延長などを実施したうえ、機関士や運転士の効率運用を目的として、従来の一日六時間四〇分、週四〇時間勤務を、週四三時間以上に延長したり、手持ち時間の圧縮、食事休憩の短縮、休憩時間の長さと回数の縮減などの合理化を実施した。
こうしてつくりだされた「過員」は「過員センター」(要員センター、職員センター、業務開発センターなど)に集められ、教育訓練をうけ、臨時的作業に駆り出されたり、ホームの掃除や草むしりなどの雑務、無人駅の特別改札、団体客募集のためのチラシ配布、戸別訪問、切符のセールス、駅構内でのジュース販売などに従事させられている。

こうして、駅構内などの用地を活用した直営店や、特別改札の実施なども行われました。特に、貨物輸送の大幅な削減による機関車乗務員の減員は大きく、こうした煽りを受けて、機関士が乗務できないと言う事例も多々発生することとなりました。
こうした当局側の動き(政府からの強い意向)も有ったわけですが、国労としては積極的な宣伝活動で世間を味方に付けられると読んでいたわけで、それが5000万署名の実行であり、全国キャラバンなどの実施であったわけです。

当時の世論は国鉄改革をどのように見ていたのか

国鉄の分割民営化に関しては、昭和60年に実施した世論〈義ラフの形を変えて再掲)してあるように、分割には再検討を要するという意見が約4割有ったのですが、国鉄当局も政府も更には、組合もこの点を見誤ったというか、この点を国労が国民運動としていたらまた違った展開になっていたかも知れません。すなわち、国鉄の分割民営化6分割を積極的に認める世論は実は1/4なのですが、分割には検討を要するという人も賛成派と見做せば、実に2/3以上が分割民営化に賛成であるという理屈も成り立つわけです。

そこで、分割民営化のために送り込まれた杉浦総裁とすれば世論は、国鉄分割民営化を認めたとし、鉄労は分割民営化を容認して推進方向に大きく舵を切ることとなる。

更に、動労も当初は分割・民営化は反対のスタンスではあったものの、過去の傷(機関助士反対闘争で松崎が中心となって行った闘争で、動労は解体寸前まで行ったことの反省から、雇用と組織を守ることを大前提に方針を大転換することとなり、この辺が国労組合員から見れば、鉄労や動労の裏切りと写ったのであろうと言えます。

長期債務の返済に関しての国民の関心はどうだったのか

同じく、上記の世論調査による結果は以下の通りであった。

国民負担に関しては反対という意見が半数を超えており、特に国鉄の努力が不十分で今後も期待できない、もしくは国の責任で国民負担には反対という意見が、6割近く有るわけで、国鉄を見る世間の目はかなり厳しいと言わざるを得ないと。国鉄本社でも認識しています。

前述の通り、鉄労・動労は組合員を守ると言うことから、分割民営化の方向に大きく舵を切ることとなり、特に「鬼の動労」と言われた動労は一気に急転回して総評からの離脱、更には鉄労と共に労使協調宣言へということで国鉄改革労働組合協議会を結成(JR発足後は、全日本鉄道労働組合総連合会として、発足)して雇用を守ると言うことに全力を尽くすこととなりますが。

昭和60年当時は、まだまだ国労は最大の組合員数を擁しており、国民に訴えかけることでまだまだ逆転劇は可能だと考えていたようです。

実際に、国労の中には多くの派閥もあり、一筋縄ではいかないという点も有ったわけですが、それでも国労の中にはまだまだ20万人近くの久美委員がいるのだからと言う驕りもあったかも知れません。

しかし、当時の世間は国鉄の赤字に対する処方箋としての分割民営化に関しては、民営化は容認するが、分割は慎重に行くべきだという意見が4割有ったわけですから、民営化は容認しても分割だけは阻止すべきだという運動をしていたら、歴史にIFはないもののまた異なった形になっていたかもしれません。

もっとも、当時の世論は、長期債務返済のために土地を売却することに関しては8割以上の人が民間もしくは、公共機関への売却をするべきであるとして、当事者である国鉄・及び新たに設立される新会社為に使うべきと言う意見は1割ほどであったことが覗えます。

国鉄が土地を売却する場合は、その売却先はどこにすべきか

参考:国有鉄道1985年12月号の記事を元にグラフ作成

 

歴史にIFはないのですが、国労が民営化を認めるものの、分割は容認しない、土地の売却に関しては国民の財産として還元するといった形で世論に訴えていたらまた違った結果であったかも知れません。

最もこうした後知恵は、今だからこそ言えるわけで当時の考え方では、国鉄が路線を建設するのも本来であれば広い意味での公共財産である訳ですが、その辺の議論は殆どなされず、国鉄の経営は毎年大きな赤字を出しているという論調に終始したこと。

それ以前のストばかりする国鉄という印象を世論が持っていたことも、国鉄には風当たりが強くなる結果となったと言えそうです。

続く

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国鉄があった時代 JNR-era
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第三章 分割・民営化攻撃の本格化と国労闘争

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第三節 5000万署名運動
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├○ 二 5000万署名運動の展開 │
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 国労本部は、5月10日には、全国戦術委員長会議での意思統一にもとずき、闘争指令一号を発し、5000万署名につき「答申の矛盾と弱点を徹底的に暴露し、『分割・民営化』が国鉄改革・再建でないことを明らかにして、国民的力に転化するオルグと宣伝を強めること」を指令した。こうして具体的な取り組みがはじまった。
 まず、北海道では、5月13日に北海道労協・国鉄再建闘争本部の発足総会が開催され、地域集会や議会対策の活動も含めた署名運動がスタートした。また同時に、四国、九州地方でも運動も開始された。5000万署名運動の最初のスタートを切った北海道では、5月13日の発足総会には、国労を中心に、労働組合、政党、民主団体の代表者100人が出席した。この総会では、 特別専従体制で道民総ぐるみの運動展開をめざす  署名運動、議会対策、道内キャラバン、地域集会などの行動を推進することが決定された。また、その翌日の5月14日には、国労東京地本と国鉄労働者支援共闘会議が開催した。
 10月3~5日に熱海市で開かれた国労の全国委員長・書記長会議では、分割・民営化と地方交通線廃止を阻止する運動を強めると同時に、すでに全国的に運動が始まっている「分割・民営化」反対5000万署名運動を中心として、国労は運動成功のために?
地をはってでも?1人100人の署名を獲得する方針が提起された。なお10月4日に開催された国関労の第13回定期評議員会でも「分割・民営化」に反対し、5000万署名運動の先頭に立って取り組み、国民世論の多数派をめざす運動方針が決定された。
10月13日東京では、全国キャラバンに出発するワゴン車が釧路(北海道) と宮崎に向かった。また、この日には文化人による「人間鉄道フォーラム」が開催され、国鉄再建問題をめぐって熱心な討論が行われ、総評の闘いへの支援が表明された。
 こうして5000万署名運動はスタートした。スタートから約1カ月後の11月初旬の段階での進展状況は次のようなものであった。すなわち、北海道、栃木、石川、島根、鳥取、徳島、香川などの1三道県から報告された署名数は約360万人で、これは13道県の目標数約520万人の約38・5%の達成率であった。達成率の高かったのは大分県の56・5%、福岡県の76・3%、石川県の52%となっている。地区別にみると、福岡県では直方地区、門司地区で10月末には100%を達成し、次いで筑紫地区が100%、若松56・4%、小倉57%であった。他方、北海道では長万部地区、留萌地区、羽幌地区が100%を超えていた。また、国鉄の存在しない沖縄でも20万人署名を目標に県労協や地区労を母体とした国鉄再建闘争実行委員会が結成された。つまり、この時点における署名運動の動向の特徴は、北海道や福岡県のようにローカル線廃止計画にたいする住民の不安や反発の強い地域において署名活動が前進しているのに対して、大都市やその周辺地域での運動の立ち遅れがめだっていた。
 5000万署名運動の前半戦の約1カ月が経過した11月7日の時点で、総評は県代表者会議を、国労は地本代表・県評担当者会議を開催し、この間の運動の総括を行うとともに、これ以降の活動方針や闘争スケジュールを明確にしていった。まず、総評の代表者会議では、署名速報の発行、中央とブロックごとでの答申批判行動と集会の開催、全交運・公労協などの団体を中心とした統1署名行動日の設定を方針化した。これにたいして、国労の地本代表・県評担当者会議では、国労組合員1人100人の目標を12月10日までに達成する、5万人以上の自治体における駅頭での宣伝行動と署名活動、答申批判集会、シンポジウムの開催、地方紙を活用した意見広告運動を全国的に広げるなどの方針を確認した。
 この総評と国労の署名運動の中間総括と行動方針の提起から20日後の11月27日には、総評国鉄再建闘争本部の集計結果では、全国の署名人数は約1300万人を突破した。1月の上旬から下旬の時期以降、署名運動は全国的にも急速に拡大し発展していったのである。ちなみに、11月27日の時点における署名実績の内容をみると、闘争本部に報告された47都道府県の合計が、1327万5245人であり、この人数は最終目標にたいして26・8%の達成率となっている。また、目標の100%を超える成果を達成したのは大分県の124・5%、福岡県の105・5%、宮崎県の107・8%であり、これに続いて、北海道の63・3%、鳥取県の68%、山形県の75・6%、栃木県の64・7%であった。さらに石川県、香川県新潟県島根県が50%を超え、鹿児島県、3重県、滋賀県が50%に迫っているという状況であった。
( なお、この時点では、国労動労の独自の取り組みとして展開されていた署名目標である2150万人分は集計されていない) こうした署名運動の急速な進展はその後も継続していったが、それから約25日後の12月15日における5000万署名のいちおうの集約時には、東京・日比谷野外音楽堂で集約集会が開催された。ちなみに、この12月15日の時点では、全体で約3320万の署名が集められたが、この数字は最終的な目標にたいして77・3%の達成率となった。また、100%を突破した府県は鳥取県の135・6%を最高として、大分、北海道、群馬、福岡、宮崎、長野、山形、山口、栃木、秋田、静岡、和歌山、熊本の1四道県に及んだ。さらに、北海道、東京、福岡が200万人台に達し、大阪、神奈川、静岡、愛知、兵庫では100万人台を突破した。また、これらのなかで各県評や地区労での取り組みと一体となって活動した国労組合員も全体で約1318万人に達していた。先の5000万署名集約の集会のなかでも、これまでの5000万署名運動の到達点を「過去のあらゆる署名運動を上回る」、「多数派形勢への偉大な1歩」と評価したのであった。このような成果をふまえて翌12月21日には「国鉄再建5000万人署名全国交流集会」が東京・千代田区の社会文化会館で開催され、47都道府県から約400人の代表が参加し、全国レベルでの経験が交流された。
 このように、5000万署名運動はその総目標は達成できなかったものの、85年5月上旬から12月下旬という約3カ月の短期間内に、総評・国労を中心とした運動として、分割・民営化反対の国民世論を作り上げていくうえで大きな役割を果たした。例えば、1586年1月14日、総評は東京・全電通会館で拡大評議員会を開き、1586年春闘方針、国鉄再建闘争への取り組みなどについて協議した。この評議員会であいさつした黒川議長は、国鉄再建闘争に関して、(5000万署名運動の集約結果は)「亀井答申にたいする国民大衆の不安、不満、反対の意思表示であり、この世論を最大の武器として闘いに全力をあげる」との決意を表明した。そして、1月25日には、総評の国鉄再建闘争本部は、署名運動の成果としての3400万余名の署名の約半数の要求署名を政府に提出するとともに、この成果を国民にアピールするためのデモ行進を行った。
 その後、3月10日には、国鉄再建闘争本部は5000万署名運動の最終的な集約を行った。それによると、署名総数は闘争本部扱い、新産別の協力を含めて3500万人を突破し、総目標にたいして8・ 8%の達成率となった。47都道府県のうち、100%を超えたのは、前述した鳥取県の137・5%を筆頭に、17道県(北海道123・7%、秋田10四・5%、山形108・1%、群馬123・8%、石川103・0%、長野112・5%、静岡105・7%、和歌山102・7%、島根105・8%、山口105・3%、福岡132・3%、佐賀100・2%、長崎102・8%、熊本108・8%、大分126・8%、宮崎120・7%)であった。さらに、青森、岩手、福島、滋賀、岡山の6県が目標の5割を超え、100万人以上の署名を達成したのは300万人にあと1歩と迫った東京、200万人を突破した北海道と福岡を含め、神奈川、静岡、愛知、大阪、兵庫など8都道府県、鉄道のない沖縄でも7万人以上の署名を獲得した。

続く