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日本国有鉄道 労働運動史

鉄道ジャーナリストこと、blackcatの国鉄労働運動史

国鉄労働組合史詳細解説 130

久々に更新させていただきます。
今回は大原社会問題研究所の記事などを参考に個人的な見解を加えていきたいとおもいます。

国鉄のあり方を大学の教授に委任するが・・・

鉄労は、民営・分割を容認する立場を比較的早い時期から示しており。 動労も、昭和61年夏、鉄労の京都大会に松崎委員長が出席する歴史的演出の中、組織の生き残りをかけて労使協調路線に踏み出すことを決定していく中で、国労は分割・民営化共に拒否するという方針を堅持していました。 国労は、国鉄のあり方を問うために昭和58(1983)年1月に「国鉄研究会(座長・高梨昌信州大学教授)」を書記長とした諮問機関を設置し国鉄のあるべき姿を諮問し。昭和59(1984)年10月5日に「国鉄の経営再建に関する提言」を国労に提出したが、その内容は民営化を容認する内容であり、国労が求めるものとは違うとして、却下したそうです。 その辺を国鉄労働年鑑第57集 特集 国鉄分割・民営化問題から引用させていただきます。
国鉄の経営再建に関する提言」を国労に提出したが、その内容は「限りなく民営企業に近い経営形態」が必要とし、全国一社制は維持するものの、人事権も含めた分権化を提起した。この提言は公共性より経済性を優先し、民営化をほとんど認めた点など、再建監理委員会の第二次提言の論理にきわめて近い内容であり、国労は自らの方針に反する内容だとして、ただちに否定した。
ということで、国労はそれとは別に、「国鉄労使関係研究会(座長・兵藤釗東大教授)」を発足させ、昭和59(1984)年7月に報告書の提出をうけ、これを承認したとされていますが、 これらを受けて、国労は。 国労独自の提言案をまとめることになります。

国鉄当局の民営化容認案はマスコミからも反対される羽目に

国鉄の改革案は、国鉄を幹線とローカル線に分けて、ローカル線を この背景には、当局による基本方策の発表などが関係していたからでした。ただし、国鉄当局の提出した基本方策は、以前にも書きましたが、幹線系を分権化を前提とした全国一帯の特殊会社とし、地方交通線については国鉄が出資する株式会社として運営するというものでした。

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whitecat-kat.hatenablog.com

この計画案はあまりにも楽観的として、マスコミからも世間からも叩かれることとなりました。 そして国鉄当局が提出した意見に対して、国労は総裁に対して夏期のような申し入れを行なったそうです。
なお、国労はこうした行為に対して当局に抗議を行なうと共に、国鉄再建への道(仮題)」に基づき国労幹部学校で討論を行ない、社会党共産党、総評、全交運、学者、文化人など多くの人から意見を聴取、調整していました。
国労としては、新たに国労としての国鉄再建への道のりを示すという意気込みであったようですが、あくまでも分割・民営化を阻止するという観点から出発していることから、どこまで世論を喚起できるかにかかっていたと思われます。
また、国鉄当局が監理委員会に基本方策を提出した日に、総評・全交運・国労動労の連名で「国鉄当局の『基本方策』に対するわれわれの態度」を発表したそうです。
概要を箇条書きでアップします。
  • 「基本方策」は「公共企業体」故の制約などにその責任を転嫁し、経営当事者としての当局の経営責任を明確にしておらず、極めて官僚的な態度であり、まずすべきは労働者の雇用と生活について責任有る態度を取るべきである。
  • 「基本方策」は国鉄の分割を否定しながら実質的に70社に上る子会社を設立(ローカル線を独立した会社とすると言う意味)するとしており、分割に繋がる方向を明確にしている。
  • 経営収支に関して、1990年に4兆円の営業収支を目指しているが、毎年大幅な運賃値上げを前提とするものであり。利用者(国民)の負担を増大させるものである。
  • 1990年度でなお67000人の余剰が出ることとし、その措置を政府に委ねているが、あくまでも国鉄当局としての問題である。
  • 長期債務を国鉄の責任として9兆6000億円となっているが、その発生原因を明確にし、その責任も追及すべきである。
  • 地方交通線は、別会社化・第3セクター化等を進めるとされている上m、毎年1兆9000億円の政府助成を受けるとしており、それだけの助成を得られるのであれば地方交通線の廃止や子会社化をせずとも現行の国鉄として運営できる。

個人的な見解ですが、長期債務の原因を追及すべきだというのは極めて正論だと言えますし、ローカル線の維持に政府から2兆円ほど貰うのであれば、限座に国鉄でも良いのではないかと言うのも説得力があります。
実際には、コロナ禍の現在JRも最大の赤字を出しているわけですが、30年前よりも大幅に輸送量の減少しているローカル線を維持していること、消費税の転嫁以外は、本州各社に関しては昭和61年以降改定を行なっていないこと。
三島会社についても消費税転嫁分以外では、一回程度の値上げでありそれ以外は関連事業の収入などで賄っていることを考慮すると、JR各社は優良な企業と言えるわけです。

実際の話として、民営化する際の監理委員会の予測でも、毎年の運賃値上げは避けられないという見解でしたので、国鉄特殊会社になっても大幅な運賃値上げが行なわれるというのは、分割されても同じようなスキームで考えられていました。

まだこの時期は、動労も分割民営化には反対というスタンスであり、同じ総評として行動していました。

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昭和61年第38回衆議院選挙 300議席の安定多数で自民党が圧勝



動労が、本格的に総評から離れていくのは、昭和61年の第38回衆議院選挙で、自民党が300議席の圧勝であったことから、国鉄の分割民営化は避けられないとして、一気に労使協調路線を全面に出していくこととなったわけです。
その辺は、松崎明と言う人物は「機を見るに敏」であったと言わざるを得ません。

続く

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国鉄労働組合史詳細解説 129-2

長らく更新出来ていませんでした、今回は国鉄分割民営化反対への国労の対応と言うことで見ていきたいと思います。

国労は一貫して、民営化反対を唱えていましたが、以下の国労独自の国鉄再建案を策定するにあたり、当時の大会の様子などが、国鉄部内紙【国有鉄道】に掲載されておりましたので、一部抜粋しながらご覧いただこうと思います。

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今回参照した、国有鉄道10月号 表紙

国鉄分割民営化への反撃、国労の対応

国労は、定期大会での分割民営化反対と余剰人員対策の撤回案を決めたと書かれていますが、具体的にどのようなものであったのかを見ていきたいと思います。

以下は、国有鉄道昭和59年10月号 視点論点という記事から引用したものです。

開会挨拶で武藤委員長は、「行革攻撃には長期戦略に立った反撃態勢の確立こそ緊急の課題」とする考えをベースに、それは、▽政治戦線と労働戦線・国民共闘の強化▽反自民反独占の視点に立った反行革闘争の強化▽いつ、どこで、だれと、何をもって闘うかという主体的力量の強化、の3つだと述べた。
同時に総評労働運動の勢いを甦らせることは国労自身の力を増すことにもなるとした。
また、当面の「過員」(国労ではこのようにいう)対策について、「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。反撃の道はいくつも残っていないが、有利でない国民世論のっくり変え、論理的であっても行動的な面の少ない組合員及び活動家の主体的力量の強化や組織の再整備、再点検の上に総団結すべきだ」と主張した。

とあるように、国労としては総評と連携して行く事で、国労の地位を高めていくとしていますが、当時の世論は、「有利でない国民世論のつくり変え」とあるように、国鉄の赤字問題をんとかしろという声が大きかったことも事実でした。

組合は、世論を転換していくとしていますが、かつてスト権ストライキ等で国民の信頼を失い、特に貨物輸送の大幅な減少を自ら招いたことを棚に上げた対応は、厳しいものがあったと言えます。

また、労使協調路線を打ち出している組合が、出向などを受け入れているの対して、ぜ「再建の道筋さえ示されない3条件(いわゆる勧奨退職、一時帰休、出向)を受け入れることは、失業と首切りの片道切符を握らされることであり、絶対に許せない。」として、断固闘うとしていますが、結果的にこうした反論は、国労の心証を更に悪い方向に持って行くことになるのですが、国労に不利な方向に大きく動くことになったのは、既に多くの方がご存じのことでしょう。

国労と距離は置きつつも、雇用の確保で一致する動労

国有鉄道昭和59年10月号 視点論点から、引用したいと思います

動労国労との理念の違いはやむを得ないが、雇用と労働条件を守らなければならないという点では一致している。また共通の課題で共闘してきた歴史的事実もある。正常でない関係について十分話し合いたい。すべての点で共同行動をとか、組織合同をといっているのではない」と述べた。この発言は、7月24日からの総評大会でも行われ、動労も「こちらから共闘を否定したことはない」と態度を明らかにしている。しかし、現時点では関係修復までの具体的な詰めは進められていない

とありますように、スト権ストの頃までは、共同で順法闘争などを行うなど歩調を合わせてきた国労動労ですが、この頃では互いにい距離を置くようになっていました。

特に、動労国労既得権益にこだわり、

国鉄の枠の中でつくりあげた既得権や権利の基盤が脆弱だとわかった時に、それを乗り越え、本物にする道筋が足りなかった。社会的に認められることが要求の基礎にならなければならないと考えるならば、あるいは日常の労働の対応について是正すべきものミがあるとするならば、それは労組の自主的な判断で正していくべきだJ

と言う発言が、国労の秋山企画部長から発言されるように、既得権益にこだわろうとしている組合員が多い中で、動労では、より現実路線として、線路が無くなれば国鉄としての存在意義が無くなるとして以下の通り、労働条件の低下も甘んじて受け入れると発言しているのとは、対照的と言えます。

「線路を取りはずされては国鉄としての存在がなくなる」と場合によっては労働条件の悪化も受けるとした。

というのは、動労が貨物関係を担当する乗務員が多かったこともあり、切実な問題であると受け止めていたからだと言えそうです。

鉄労は地域本社制導入を容認

鉄労の提案する地域本社制がマスコミには、分割民営化容認と取られて、そのように宣伝されてしまったことから。鉄労も分割民営化路線に乗らざるを得なくなるのですが、この時点では明確に地域本社制=分割民営化ではないとして明言していました。

その辺を再び、国有鉄道昭和59年10月号 視点論点から、引用したいと思います

国鉄が公社制から脱脚、地域本社制を中心とした経営体制になれば、とれに加盟する資格も持つことになる。加盟の方向を明らかにしたい。そうした鉄労の民主化闘争のためには組織拡大が絶対に必要だ」論議は▽鉄労提言の地域本社制導入▽余剰人員問題▽組織拡大の3点に集中したといっていい。とくに提言については、分割・民営化論との違いを明らかにすべきだとする意見ム率直にその方向へむいたワンステップとするべきだという2つの声が聞かれたが、方針案では「一方的な分割・民営化を阻止するため」のものと位置づけられた。

とありますが、地域本社制はあくまでも、 一方的な分割・民営化を阻止するためのものであるという答弁をしていますが。

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国有鉄道 昭和59年10月号の記事をキャプチャー

 

この辺に関しては、国鉄友愛会国鉄民主化の道で、現行の体制では再建は不可能であるし、分割民営化だけでは雇用を守れない、しかし、分割民営化を受け入れたわけでは無く、国鉄時代の支社制度を更に進度化させて、積極的に民間の手法を受け入れようと言うことで、当初から国鉄を分割・民営化することを目的としたものでは無いと言いたかったと主張していますが、マスコミ的には、「地域本社制」自体が分割を容認したものとマスコミは集まることになりました。

国労として独自の国鉄再建提言

 Ⅰ国鉄危機の現状とその原因」、「Ⅱ国鉄円建の基本的視点」、「Ⅲわれわれのめざす国鉄( われわれの要求)」3つの部分から成り立っており、国労が目指す国鉄の方針ですが、内容的には極めて正論なのですが、それまでの国労の運動(ストを行う組織というイメージを払拭できなかった)から、世論を動かすことは出来ませんでした。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第六節 国労国鉄再建提言
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┌─────────────┐
├○ 一 国労国鉄再建提言│
└─────────────┘
 
 国労国鉄再建案

 国労は、1984年8月に開いた第46回定期全国大会( 伊東)で、国鉄の分割・民営化反対・首切り( 余剰人員対策) 2項目撤回案を決めるとともに、国労独自の国鉄再建案を作成することを決定、この決定にもとづき作業がすすめられ、85年3月の第143回中央委員会に「国鉄再建への道=分割. 民営化に反対し・国鉄の民主的再建をはかるためのわれわれの政策要求」と題する案を提出し、承認された。この時期政策要求を提起したのは、国鉄解体、雇用危機の顕在化という差し迫った事態にあって、国鉄解体の攻撃を許さず国鉄労働者と国鉄関連労働者はもちろん広くは交通運輸労働者全体の雇用と労働条件をどう守りぬくかを基本にすえ、国民的合意のもとで臨調=行革攻撃に反撃する幅広い闘いの戦線を作りあげていく意味で、国鉄再建の政策要求の提起が緊急の課題となっていたからであった。
 この政策要求は、「Ⅰ国鉄危機の現状とその原因」、「Ⅱ国鉄円建の基本的視点」、「Ⅲわれわれのめざす国鉄( われわれの要求)」3つの部分から成り立っている。
  「Ⅰ国鉄危機の現状」では、①国鉄財政の危機として1983年度でみて20兆円の累積債務への元利払いに、単年度赤字 ( 1兆6604億円) を上回る2兆780億円を費消し、やがて は借入金のすべてを元利の返済に当てる事態が迫っていること、 ②輸送の危機、公共交通の危機については、不採算部門の切り捨てなどにより、「乗りたくても乗れない、送りたくても送れない」状態を作り出していること、③貨物や地方交通線の切り捨てや合理化が地域の産業. 経済. 文化. 教育に危機をもたらしていること、④国鉄に働くすべての労働者の雇用と労働条件を悪化させ、労働者の権利を危機にさらしていることを指摘し、こうした国鉄危機をもたらした原因として、「第一の原因=産業構造の変化と自動車優先、総合交通政策の欠如」「第2の原因11基礎施設に対する政府投資の不均衡、借金による設備投資と利子負担の増」、第3の原因=特定人件費の急増L「第4の原因=公共負担の補償ルールが確立されなかった問題」「第5の原因=借金を増大させる赤字累積方式」「第6の原因=政府. 国会の規制. 介入と自主性の欠如」「第7の原因=官僚主義的経営機構」などの複合する諸原因のからみあいが危機を深化させたとし、このからみ合いをときほぐし、「具体的な解決策を実行することなくしては国鉄の再建・再生」はありえないとした。
  「Ⅱ国鉄再建の基本的視点」として、①国民の「移動手段の確保( 交通権) こそ国の責任であり、公法上の法人たる国鉄こそその義務を負い、これを維持・発展させることができる」こと、②「私企業には期待できない公共企業体の積極的意義の確認と民主的改革」が必要であること、③国鉄で働くすべての労働者の雇用と労働条件を守り改善することが、安全輸送を確保するのに不可欠であること、④国鉄はこれまで全国ネットワークによる輸送サービスを続けてきたことによって有形、無形の社会的便益を提供してきたが、「このような金銭以外の便益として利用され享受されている部分に対しては、公共交通機関にふさわしい費用負担原則を確立」すべきである、と述べた。
  「Ⅲわれわれのめざす国鉄( われわれの要求)」として、「①公共交通を守れる国鉄、②利用しやすい、民主的運営の国鉄、③社会の発展に寄与できる国鉄、④積極的な事業活動のできる国鉄、⑤安定した経営のできる国鉄、⑥労働者の雇用が守れる国鉄」を掲げた。
 国労の「国鉄再建への道」と題するこの再建案は、比較的新しい考え方である「交通権」の立場を鮮明にし、国鉄公共企業体として維持・発展させることの積極的意義を打ち出していた。
 以上の再建政策をもとに国労は、85年4月に国民向けのパンフレットを作成し、配布した。このパンフレットは国鉄の分割・民営化の問題点として、「全国ネットワークを破壊し、国民の移動する権利を奪う」、各種設備などで「ムダを多くする」「安全・公害問
題をさらに深刻にする」「技術開発の分野をダメにする」「国鉄用地を、財界や一部の政治家の思うままにする」「利用者の負担増をまねく」「貨物・バス輸送を切り捨てる」「労働条件を切り下げる」
などをあげた。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 129

 久々に更新させていただきます。

今回は、国鉄労働組合40年史も参照しながら、お話を続けさせていただこうと思います。

第46回定期全国大会での決定事項

国労のこの大会では、「余剰人員調整3項目」を当局が提案してきた背景には、以下のような目的があるとしていました。

なお、余剰人員調整3項目とは、当局が提示した人事案で下記のような内容です。

改めて、ここに示しておきます。

  1. 年齢56歳以上のものの特別昇給の停止

  2. 退職前提休職制度の導入

  3. 全職員を対象とする派遣制度の導入

でした、当時の国鉄には明確な定年がなく、概ね55歳前後で勇退する人が多かったのですが、55歳を超えて働く人も居たようです。

そこで、55歳を一つの基準として線引きをしようとしたようです。

  • 20万人代体制を図るための合理化であること
  • 「過員*1」問題は、団結力の破壊や、闘争力の弱体化を目指すもの、世論との分断を図る思想攻撃であること
  • 「雇用安定協約」の空洞化、破壊を目指すものである
  • 「去るも地獄・残るも地獄」の風潮を醸成し、出向や配転、休職・退職を促進させるものという意識付け

 として、激しく反論していますが、国労が言うところの世論は、国民をどのようにみていたのでしょうか?

国労的には、ローカル線の廃止問題などで世論と協調しようという意図であったと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか?

国労は、こうした要求に対して、8月31日に半日ストライキによる全国統一行動で行うと決定していますが、世論に訴えると言いつつ、国労の違法ストライキが容認されるとは当然思えないのですが、国労的には矛盾していなかったのでしょう。

ただ、国鉄当局が三項目を受入れない場合は、雇用安定協約の破棄も視野に入れるとしたことから、国労も態度を硬化させることとなり、「三ない運動」などに見られる、運動を展開していくこととなるのでした。

国労は、3ない運動を決定

さらに、こうした提案に対して、国労は10月31日、11月1日に第142回中央委員会を開き、「余剰人員調整三項目」をめぐる闘いの「中間的総括」を行い、先に開催されたm青年部第七〇回中央委員会の「三項目」に対して”首切りに妥協はない"との方針を決定、婦人部第八〇回中央委員会の、「三項目」に対して”辞めない、休まない、出向かない"といった”三ない運動"の展開を決定*2した。

三ない運動、国労婦人部が提唱した運動

三ない運動、国労婦人部が提唱した運動

さらに中央委員会は、国労に対して当局が強気に出ているのは、動労・鉄労・全施労が先行妥結したことだと分析

実際、同じ総評にあって、動労は総評との足並みを待たずに先行妥結を行うことで優位性をアピール(この辺が革マルらしさと言えるのですが、従来の労働運動を乗り越えて新しい運動を展開していく)という考えが根底にあったのではないかと考えます、実際JR東日本発足後に経営幹部に取り入り、松田昌二を囲い込んだ事などは、今後更に検証する必要がありますが、その仮説として考えるべき問題ではないかと考えております)

なお、国労は雇用安定協約の破棄など当局の方針を下記のように分析していました。

再び、国鉄労働組合40年史から引用させていただこうと思います。

当局の国労に対する攻撃の意図は

  1. 国鉄内最大組合の国労との対決姿勢を強めることにより、「再建」への姿勢を内外に示そうとしたこと
  2. 雇用安定協約は当局の「再建」計画の過程で障害となるため、国労等への解約通告により、「雇用確保」の基本を放棄する姿勢を示したこと
  3. 雇用安定協約解約をテコに国労の組織的な動揺をねらい、「分割・民営化」をスムーズに展開することにあった、と分析した。

となっていますが、国労の分析としては概ね間違っていないと言えそうですが、2項目目の「雇用確保」の基本を放棄する姿勢を示したと言うのは、個人的には疑問点として残ってしまいます。
というか、国労がかなり歪曲して理解しているようにも思えます。

逆に言えば、当局が何が何でも悪いから国労としては動けないんだという方向に持って行かないと、国労という組織をまとめられなかったのではないかと考えてしまうわけです。

そして、こうした分析を踏まえて国労は「雇用安定協約」破棄反対を掲げて、11月中旬から12月上旬に第7次全国統一闘争を展開、60年3月ダイヤ改正反対、合理化反対、国鉄運賃値上げ反対要求を掲げて、ストライキを含む闘争を行うと決定していくのですが、国労が、色々な職種の寄り合い世帯であること、更に多くの派閥がある組織であることを考慮しても、時代遅れなイデオロギー固執してしまった点が、国労を衰退させてしまった原因にあると言えそうです。

続く

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今回は、下記の国鉄労働運動四〇年史から多くを引用させていただきました。

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*1:国労は当局が言うところの余剰人員を過員と表現してきた、実際に公務員の表現としては過員の方がより正しい表現であると思われる)

*2:三ない運動の取り組みは婦人部からの決定であったということになります、この運動はこの後国労の重要な運動となった

国鉄労働組合史詳細解説 128

今回は、国労国鉄再建提言と言うことで、国労の資料では、国鉄研究会の国鉄再建「提言」が行われたと、書かれているのですが、実は国鉄労働組合40年史を参照したのですが、詳細が書かれていないため、補足しての説明が難しいのですが、個人的見解を中心に書かせていただこうと思います。

 また、国労がこの国鉄研究会をいつ発足させたのか具体的な日程が出ていないのですが、恐らく国鉄当局の事前協議資料が出る前であったと思われます。 

国労による国鉄再建提言

国労が「国鉄研究会」( 座長∴局梨昌信州大学教授) を書記長とする、研究会を設置した背景には、国鉄当局がヤード系輸送の廃止などを発表したことによる危機感によるものと考えられます。

実際には、昭和58年1月31日、各組合に対して国鉄は下記に示すように、ヤード系輸送の廃止を前提にした、貨物改善策を打ち出していきました。

その辺を、国鉄労働組合40年史から引用してみたいと思います。

83年1月31日、国鉄当局は国鉄における赤字の大きな要因となっている鉄道貨物営業に関して、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物営業体制の具体的計画を事前協議資料として、

①輸送システムの転換に関してヤード集結方式から拠点駅間直行輸送体制に転換し、現行10ヤード、851駅体制を、拠点87駅を中核に457駅体制に縮小する。・・・中略・・・業務委託の推進、車両基地の統廃合、情報処理の近代化などによる業務運営の効率化をはかり、60年度(85年度)に収支を均衡を実現すると言った内容であった。

実際に、国鉄赤字の多くはローカル線と貨物輸送と呼ばれていますが、実際には下図の通り、国鉄の中でもヤード系輸送による赤字が大きく、コンテナを中心とする直行系輸送は実は黒字だったという事実があります。

引用元 国有鉄道 1983年3月号 新しい貨物営業から引用

 

直行系貨物輸送は、減少していないと言う事実

ヤード系輸送は減少しているが、直行系輸送は減少していない

ヤード系輸送は、集約駅で分解組成を行うため、どうしても時間がかかってしまいトラックに比べて大きく水をあけられてしまうことになる。

その反面、直行系輸送の場合は、ほぼ昔の急行列車並みの速度で運転できるため、トラックに比しても十分な競争力を持っている。(東京~大阪間で比較)

国鉄における、直行系輸送は1981年時点で黒字を計上

直行系輸送は黒字を計上

実際、収支は下記のように、直行系輸送は黒字を計上していることから、国鉄は全国の操車場を廃止して、車扱い輸送を最小限にする方向を打ち出す合理化を計画しました。

上記の図を見ていただいても判りますが、貨物の収支係数全体は154で有り、この数字が、再建監理委員会からは、国鉄の貨物は赤字であると言う結論を導き出したと言えそうです。

国労は大きく反発

そうなると、当然のことながらヤード系の職員を中心に大幅な余剰人員が発生することとになります。

さらに、国鉄の合理化計画は、83年4月15日に提示されましたが、その内容は貨物取扱駅の大幅削減で有り、全国で貨物取扱1717駅廃止、137線区(約7000km)に及ぶ長大なものでした。

さらに、6月6日には、出札窓口の大幅な統廃合などにより大幅な人員削減が計画されたとして、国労はその反対運動に取り組むことになりました

 

国労の思惑とは異なる提言

国労はその対応策として、国鉄研究会で国労の意向に沿った提言を期待したものと思われますが、結果的には、国労の期待に添えるものではなかったようです。

国労は当初下記のような条件を出していたと書かれていますので、国労の記事から引用してみたいと思います。

  1. この研究会は、国労の要請により、国鉄経営改革に関する 『提言』を行うため、各分野の専門研究者を結集して組織する。
  2. 研究会の『提言』は、各層の支持を得ることのできる実行可能な内容のものとなるような方法を採用する。そのために、国鉄労使のみならず、国鉄関係諸団体や行政機関などから幅広く事情聴取を行い、あわせて関係資料等を収集する。
  3. これらの事情聴取と収集した資料にもとづいて、研究会側の責任において『提言』をまとめる。
  4. 『提言』をどのように受けとめ、取り扱うかはあくまで、国鉄労働組合の主体的判断と責任にもとづいて取捨選択を委ねる。

と言った内容であり、あくまでも国労に有利になるものを期待していましたが、提言自体は国労のめがねにかなうものではなかったようで、特に下記の二点は、国労にしてみれば意に沿わなかったのではないかと思われます。

  • 鉄道事業は、純粋な『公共財』といえないから、租税を財源とし一般会計と直結する政府直営形態も選択肢には入らない。」
  • 営形態は、政府全額出資であることは必ずしも十分条件ではない。民間資本参加の途を開く方が望ましい経営成果を期待できる」

国労にしてみれば、国鉄は公共財であり広く国民の足であると言う提言を求めていたと言えそうです。

結果的には、国労としては到底容認できないとして、拒否しています。

以下は、当該部分を引用したものです。

このように提言は、国鉄の公共性より経済性重視の考え方、民営化の方向、分割につながる分権化・減量化は不可避とするを方などをとっており、国労は提言の基調に同意できなかったので・「およそ国労の運動方針とはそぐわない内容である」と、提言の主要部分を否定した。

確かに、国鉄は昭和30年代の独占事業から比べると、高速道路の延伸などで、特に地方路線などでは、高速道路は高規格道路の方が有利で有り、貨物輸送も直行系輸送は順調に利潤を積み重ねているのに対して、ヤード系輸送は大きな赤字を生み出しており、他の輸送手段がない頃であればまだしも、トラックによる長距離輸送が一般化している時代では、鉄道のみが独占しているとは言えず、「公共財」であるという概念には立たなくなるというのが当時の一般的な考え方であったようです。

以下は、個人的な見解ですが。

高齢化社会を迎える中で、鉄道も有効な公共財と考える時期にきているのではないかと

考えてしまうのです。

 

続く

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第六節 国労国鉄再建提言
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├○ 一 国労国鉄再建提言│
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 国鉄研究会の国鉄再建「提言」

 国労は1983( 昭和58) 年1月に「国鉄研究会」( 座長∴局梨昌信州大学教授) を書記長の諮問機関として設置した。この研究会の目的と運営方法は、国労との申し合わせ事項では次のように位置づけられた。
 「①この研究会は、国労の要請により、国鉄経営改革に関する 『提言』を行うため、各分野の専門研究者を結集して組織する。
 ②研究会の『提言』は、各層の支持を得ることのできる実行可能な内容のものとなるような方法を採用する。そのために、国鉄労使のみならず、国鉄関係諸団体や行政機関などから幅広く事情聴取を行い、あわせて関係資料等を収集する。③これらの事情聴取と収集した資料にもとづいて、研究会側の責任において『提言』をまとめる。④『提言』をどのように受けとめ、取り扱うかはあくまで、国鉄労働組合の主体的判断と責任にもとづいて取捨選択を委ねる。」
 国鉄研究会は、84年10月5日に「国鉄の経営再建に関する提言」を国労に提出した。「提言」は、大きくは《総論》と《提言》に分かれ、《総論》は国鉄経営再建の対策を「構想するに当たって用いた分析の理論的フレームと視角」を述べており、《提言》は国鉄経営再建試案と題されていた。最も重要な経営形態については提言のなかで次のように述べられていた。
 「鉄道事業は、『自然独占』的性格が強く、また現在なお競争上強い地位を保持している事業分野や路線があること考慮するなば、民営の一般企業形態は選択肢に入らない。また、鉄道事業は、純粋な『公共財』といえないから、租税を財源とし一般会計と直結する政府直営形態も選択肢には入らない。」経営形態としては「仮に『公社』という名称を継承したとして、新会社として再発足することが必要であるが、それよりも『公団』か『特殊株式会社』かのいずれかに改称して、公社の更正による再建をはかる方が現実性がある。その際、これらの経営形態は、政府全額出資であることは必ずしも十分条件ではない。民間資本参加の途を開く方が望ましい経営成果を期待できる」。企業分割については行わず、「本社機構は不可欠であ」るが、本社に残す権限は「本社でしか担当しえない最小限の業務執行に関する」ものとし、それ以外の業務は「可能なかぎり下位部門に権限を委譲する必要がある。本社の決済をその都度得ることなく、下位部門が発揮できるような仕組みを考えておかねばならない。」 このように提言は、国鉄の公共性より経済性重視の考え方、民営化の方向、分割につながる分権化・減量化は不可避とするを方などをとっており、国労は提言の基調に同意できなかったので・「およそ国労の運動方針とはそぐわない内容である」と、提言の主要部分を否定した。

続く

国鉄労働組合史詳細解説 127

引き続き、国鉄労働運動史からアップさせていただきます。

国鉄は、運賃改定に辺り三種類の運賃を準備した

前回も書きましたが、昭和59年4月20日の運賃改定は、国鉄は政府当局の意向も受けて、鉄道運賃を三種類に分けて、割増運賃導入した地方ローカル線、一般幹線、特定区間運賃の三種類に分けて申請されました。

この運賃値上げでは、競争力の高いところは、できるだけ運賃を抑えるとともに、ローカル線などでは運賃を上げる、擬制キロを採用することで、実質的に高くなる事を狙ったものであり、これに対して、国労は反対運動を始めることとなります。 

ただ、こうした動きに対して国労は、反対を示していますが、実は国鉄当局自身が、昭和58年から特別割引の回数券を発売して、値上げせずとも競争力を高める事を証明していました。

大鉄局が導入し、JR西に引き継がれた昼間特割切符

国鉄時代に設定された、昼間特割切符

JR西に引き継がれた。昼間特割切符

それは、大阪鉄道管理局が導入した、「昼間特割切符」(JR西日本に引き継がれたが、2018年9月30日をもって発売を終了)であり、当時の阪神・阪急の梅田~三ノ宮間が210円であったのに対して、国鉄では440円と大きく差を開けられていたことから、導入が決定されたもので、具体的に12枚綴りの特別割引回数券で、その1枚あたりの運賃は、私鉄の通常料金よりも割安に設定されていました。その辺りを、「岐路に立つ国鉄」という本から引用してみたいと思います。

私どものヒット商品でして、よその局からも勉強したいと問い合わせがきているんですよ」大阪鉄道管理局旅客の話です。「ヒット商品」は同管理局昨年(83年)6月から実施した昼間特別割引切符。両者に大好評で、その中身やノウハウを知りたいというわけです。この昼間特割切符は。大阪~神戸間の近郊に設定した一冊12枚つづりの特別割引回数券、平日は午前10時から午後5時まで利用でき、有効期間は3ヶ月。高槻~大阪、甲子園口~三ノ宮など26区間にのぼり、割引率は、14~43%です。「京阪神には競合する私鉄がたくさんありまして、時間的には国鉄の方が早いのになぜ私鉄を利用するかと言うと結局国鉄の運賃が高いからなんです。そこで、昨年この特別切符を導入したらこれが当たりましてね・・・・」と同旅客課の係官は自慢げです。

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄 昭和59年11月 国鉄線から引用

私鉄と輸送量で差を付けられる国鉄

昭和51年の運賃大幅値上げの影響などで、昭和51年を境に普通運賃旅客の私鉄に大きく水をあけられる結果に、定期旅客もわずか3年ほどで倍になった初乗り運賃で、私鉄より高くなるところが続出、大手私鉄との差は大きくなる一方であった。

 

国鉄当局も手をこまねいていたわけでは決して無かった

 国労は、昭和51年の大幅運賃値上げ当時から反対運動を断続的に続けていますが、そこには大きな矛盾点があるのでは無いかと思ってしまうわけです。

まず、自らの賃金は国鉄の場合独立採算制であること。

実際に、押しつけられた投資であるとか、不採算ローカル線の強制的とも言える譲渡など、組合として言うべき部分も有るかと思いますが、その反面、合理化により人員全体を削減して効率よく行うことに対して反発する。

合理化に反対して、運賃値上げに反対して、自らの賃上げは要求すると言うのは、どこか間違っていると言えないでしょうか。

国労は運賃値上げに反対を表明するが

国労は、こうした運賃改定にも反対する姿勢を示し、国鉄民主化とか、運賃の棚上げなど等を取り上げておりますが、生産性運動、叉それ以降の合理化などに反対をしてきたことによる、赤字の増大も多少なりともあったにも関わらず、運賃値上げもストライキで反対するというのは、矛盾していると思うのですが、そうしたことは無かったことになっているようです。

実際、国労の昭和40年代・50年代に見るストライキは、政治ストの様相が強いように感じます。

さらには、総評のリーダー格であるとして、無理に背伸びしていた・・・そんな風に感じてしまいます。

逆に、機を見た動労は、方針を転換して、働こう運動に見られるように、労使協調路線を目指す方向に舵を切ることとなり、鉄労と急接近する事になったのは皆様もよくご存じ通りです。 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第五節 国鉄の独自再建案と

     地方本部交通線廃止反対闘争一 国鉄の経営改善計画の修正 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ┌───────────────────────┐

├○ 四 線区別運賃制の導入と運賃値上げ反対闘争│ └───────────────────────┘    

運賃値上げ反対闘争

 84国民春闘の取り組みと同時に、運賃値上げ反対の運動が展開された。国労は3月8日、指令8号を発して、運賃値上げ反対の具体的な取り組みの指示を出した。この指令にもとづき全国各地で運動が展開され、署名は短期間に100万人を超え、また277の地方議会で決議や意見書の採択がなされた。4月4日、国鉄運賃値上げと地方交通線廃止に反対する中央集会が開かれた。 集会には各地方の代表など2000人が参加し、総理府運輸省自治省国鉄当局と交渉した。

 国鉄運賃値上げについて運輸審議会は、4月10日、地方交通線の一部区間の定期運賃の値上げ率を30%に抑えるという修正を行ったものの、ほぼ国鉄の申請どおりの答申を運輸大臣に提出した。この答申を受け運輸大臣は4月13日に運賃・料金の値上げを許可し、申請を認め、20日から実施された。その内容は、東京・大阪の国電一般幹線(新幹線を含む)、ローカル線の3グループに分け、旅客運賃の値上げ幅に格差をつけるというものである。

山手線、大阪環状線などは据え置き、総平均値上げ率は7.8%、運賃と料金の平均値上げ率は新幹線8.3%、幹線9.2%、地方交通線15.1%の値上げとなった。旅客は、平均8.2%、運賃のみは8.8%、の値上げであった。

 運輸審議会の答申が提出された日、国労は全交運とともに抗議声明を出し、そのなかで格差運賃の問題点を「国鉄の運賃率決定の基礎について運賃法3条は、駅間距離(実測キロ)としている。 地方交通線に対して1.1を乗ずることは、どこからみても擬制キロの疑いが残る。この点につて根拠が不明確であり、確かたる論証がされていない」と指摘した。たしかにこの方式で運賃を計算すると、幹線と地方交通線のまたがり乗車の場合、50%にも達する値上げ率となるケースも出てくるのであった。

 国労は84年度ののなかでこの間の運賃値上げ反対運動の問題点を次のように指摘した。  「①署名活動をはじめ具体的な取り組みが大幅におくれた。②今回の運賃値上げ反対闘争の重要性について全組合員の意思統一と決起をかちとれなかった指導上の不十分さもあり、59.2ダイヤ改正後の過員問題などをかかえて職場を基礎とした運動の高揚を十分にかちとることができなかった。③運賃値上げの内容が『東京・大阪』『幹線』『地方交通線』の格差運賃となるなかで、その内容の不当性と矛盾を十分にバクロすることができず、とくに都市部での反対運動を強めることができなかった。この結果にみられるように、すべての闘いにおける職場・地域ごとのアンバランスは依然として克服されていない。④今回の運賃値上げ反対闘争の重要性にもかかわらず、ナショナルセンター規模での大衆行 動に取り組むことができなかった」。

国鉄労働組合史詳細解説 126-2

国鉄当局の運賃改定方針は、再建監理委員会の提言もあり、地方交通線に有っては、割高な運賃を、都市部の路線では運賃の値上げを抑制する(いわゆる特定運賃)を導入することを決定して行くこととなりました。

これに対して、国労は下記のように総括していますので、国労の資料から引用させていただきましょう。

国鉄の再建計画に基づき検討された線区別運賃

国鉄における地域別運賃の導入は、昭和54年7月に提出された、「国鉄再建の基本構想案」に書かれていたものでした。

国鉄の再建計画は、昭和44年の第一次再建計画から、何度もの挫折を繰り返しており、いわば最後の再建計画と言われていたものでした。概要は以下の通りです。

主たる項目としては、昭和60年までの収支均衡を目指すとともに、地方交通線は、昭和54年1月に運輸政策審議会国鉄地方交通線問題小委員会が報告した提言を元にして、地方交通線を分類、鉄道としての役目を終えたと判断される路線については、バス転換もしくは、地方における第三セクター鉄道への転換などを図るとともに、国鉄で維持する路線は徹底した合理化を行った上で維持するとしたものでした。

以下は、交通年鑑1980年版を参考に抜粋引用したものです。

  • 経営の重点化
  • 35万人体制の確立
  • 運賃改定
  • 工事規模の圧縮
  • 関連事業の拡大と不要資産の売却
  • 公的補助
国鉄の経営努力のみでは解決し難い下記の項目について、公的な助成を求める
  1.  過去債務対策
  2. 退職金増加対策
  3. 年金負担増加対策
  4. 地方交通線・地方バス路線欠損
  5. 通勤定期等公共割引対策
  6. 工事費負担軽減対策
  • 行政措置・・・他交通機関との関係において,投資配分,運賃,その他各般にわたる調整を要望
  • 収支均衡・・・未開業の(東北・上越)新幹線に伴う損益を除く一般純損益(退職金及び年金負担額の超過負担分を除外したもの)で収支均衡を達成する
  • 地方交通線の見直し

 公的補助のうち、項番5・6は、本来であれば他省庁が考慮すべき問題なのですが、通勤定期等の割引は現在も基本的には鉄道会社の判断によることとされており、特に学生の割引に関しては、本来であれば文部科学省の範疇になるものといえましょう。

交通年鑑1980年版 昭和60年で収支均衡を目指す

交通年鑑1980年版 昭和60年で収支均衡を目指す

国鉄の地域別線区別運賃の導入に国労は反対を表明

国労のこうしたことに対する動きは下記のように反発しています。

国労は第140回中央委員会の方針で、「現在、進められている国鉄運賃政策は赤字を値上げによって部分的に補填しようとするものであり、場当たり的なものである。運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない」と批判した。そのうえで運賃値上げと格差運賃制度導入に反対する具体的な取り組みを決めた。

 とありますが、国労

運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない

と有りますが、ここで言うところに、国民生活に基礎をおいた体系というのはどのようなものを指すのか具体性が無いように思えます。

さらに、こうした申し入れに対しての国鉄当局の回答は下記の通り行われていますので、再びその部分を引用したいと思います。

国労は2月14日付けで運賃値上げの解明要求を出し、16日に団体交渉を開いた。国鉄当局はこの席上でおおよそ次のように回答した。  

  1.  他の公共企業と異なり国鉄は厳しい競争にさらされており、競争力も失われつつある。政府、監理委からも一律運賃の是正を言われており、格差運賃については国民的合意が得られていると考える。  
  2.  私鉄・バス運賃が国鉄運賃により抑制されているとは考えない。
  3.  割増運賃で50億円の増収を見込んでおり、それなりの収支改善がはかられる。
  4.  84年度は極力経費節減に努め、収入確保についても様々な努力をすることで予算をつくった。政府助成もあるが、それで賄えない部分を運賃改訂でカバーしたい。運賃改訂で借入金を抑えられる。  
  5.  今回の改訂が法に違反しているとは考えていない。国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。  
  6.  今回の改訂は3本だてとなるが、抑制措置については監理委の提言もあり、私鉄との競合など総合的に勘案して決めたものだ。運賃の個々具体的な矛盾はやむを得ない。 

以上のように回答しており、この時点で合理化への反対などで積み上がってきた、点に関しては、当局も強く出ていません、尚、この回答でありますが、運賃改定に際しても、国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。

としています。ちなみに、国鉄再建特別措置法13条では、下記のように書かれています。

地方交通線の運賃)

十三条 日本国有鉄道は、地方交通線の運賃については、地方交通線の収支の改善を図るために必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする。

とうことで、当局としては組合がなんと言おうと国としてのお墨付きがあると言うことでしょう。

参考:国鉄再建特別措置法全文はこちらから

jnrera3.webcrow.jp

 これに対して、国労運輸審議会が昭和59年3月15日・16日両日に開催した、公聴会で、利用者の一人から下記のような発言があったとして、反対の論拠にしています

消費者代表の一人は、「地域別運賃制の導入は、公共料金の大原則である『公平の原則』を否定する。ローカル線を値上げしても増収分は50億円にすぎず、ローカル線の収支の改善をはかるどころか、むしろ客離れを招き収支が悪化する」

しかし、現在は更に顕著ですが、鉄道を利用せず、自動車を利用しながら実際にはローカル線を廃止するなと言う風潮と同じで、三江線廃止に際しても全国から撮り鉄が集まるものの、乗車が目的では無く列車を撮影するだけの目的であり、道路の混雑を招くだけであり、地元の経済に殆ど寄与しないは明らかであり、どこまでこの消費者代表が、鉄道を利用しているのか疑問に思えてなりません。

 

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第2章、国鉄分割民営化攻撃と国労攻撃

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第五節 国鉄の独自再建案と

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├○ 四 線区別運賃制の導入と運賃値上げ反対闘争│ └───────────────────────┘  

線区別運賃制の導入計画  1984年には、兼ねてから計画されていた線区別運賃制の導入が具体化し、大きな問題となった。81年から実施された「経営改善計画」において線区別運賃導入が次のように計画されていた。 「〈運賃・料金の適正化〉 線区別・地域別に、他運輸機関との関係、収支状況等を勘案し、当面、次により運賃・料金の適正化を図る。 

  • ア、 都市間運賃・料金(略)。
  • イ、 大都市圏運賃 大手私鉄等の運賃水準を考慮し、必要な区間において、特別割引運賃、往復割引きっぷ及び割引回数券を設定する。
  • ウ、 地方交通線運賃 バス等の運賃水準を勘案しつつ、特別運賃を設定し、収支の改善を図る」。  

また、第二臨調の「基本答申」(82年7月)においても「運賃については、当該地域における私鉄運賃、線区別原価等をも十分配慮して定める」と述べられていた。両者とも、一つは異種交通機関との運賃調整、もう一つは線区別運賃制の導入を謳っていた。 さらに、再建監理委員会の「第一次緊急提言」でも同様の考えに基づいて格差運賃の導入を提言していた。線区別・地域別運賃制の導入は、79年12月の「閣議了解」において認められており、この時の国鉄再建計画の重要な特徴の一つであった。明治以来国鉄は全国一律運賃制を堅持してきたが、それを放棄し全面的な内部補助方式を止めたことになる。  84年2月に国鉄当局は、運輸大臣に対し地方交通線の割増賃率を含む運賃値上げ申請を行った。この値上げ申請について、国労は第140回中央委員会の方針で、「現在、進められている国鉄運賃政策は赤字を値上げによって部分的に補填しようとするものであり、場当たり的なものである。運賃決定の原理が競争を前提とする市場価格でもなく、徹底した原価主義でもなく、国民生活に基礎をおいた体系でもない」と批判した。そのうえで運賃値上げと格差運賃制度導入に反対する具体的な取り組みを決めた。  国労は2月14日付けで運賃値上げの解明要求を出し、16日に団体交渉を開いた。国鉄当局はこの席上でおおよそ次のように回答した。  

  1.  他の公共企業と異なり国鉄は厳しい競争にさらされており、競争力も失われつつある。政府、監理委からも一律運賃の是正を言われており、格差運賃については国民的合意が得られていると考える。  
  2.  私鉄・バス運賃が国鉄運賃により抑制されているとは考えない。  
  3.  割増運賃で50億円の増収を見込んでおり、それなりの収支改善がはかられる。
  4.  84年度は極力経費節減に努め、収入確保についても様々な努力をすることで予算をつくった。政府助成もあるが、それで賄えない部分を運賃改訂でカバーしたい。運賃改訂で借入金を抑えられる。  
  5.  今回の改訂が法に違反しているとは考えていない。国鉄再建特別措置法は地方交通線の収入確保に「特に配慮を」と定めている。  
  6.  今回の改訂は3本だてとなるが、抑制措置については監理委の提言もあり、私鉄との競合など総合的に勘案して決めたものだ。運賃の個々具体的な矛盾はやむを得ない。  

また、運賃値上げは運輸審議会に諮問され、運輸審議会が3月15、16日に開いた公聴会では、格差運賃が主要な争点となった。消費者代表の一人は、「地域別運賃制の導入は、公共料金の大原則である『公平の原則』を否定する。ローカル線を値上げしても増収分は50億円にすぎず、ローカル線の収支の改善をはかるどころか、むしろ客離れを招き収支が悪化する」との反対意見を述べた。 

続く

国鉄労働組合史詳細解説 126

久々に更新させていただきます。

今回は、昭和59年に実施される運賃改正に関連する項目について述べさせていただこうと思います。

 今回の運賃改正で、線区別運賃制度が導入されることに

国鉄では、再日本国有鉄道再建監理委員会、昭和58年8月2日に、政府に対して

「全国一律運賃制度について早急に是正することとし、例えば、大都市圏,新幹線、その他の幹線、地方といった分野にわけ大都市圏は厳しく抑制し、地方は割増を行うなど、原価を十分配慮して格差をつけるべきである」

と言う提言がなされ、全国一律運賃制度について早急に是正する機運が高まりました。

国鉄の運賃は、鉄道省運輸省)直営時代から法令で定められており、財政法の適用を受けていました。

マッカーサー書簡により国鉄が、公共企業体に衣替えしたときも、独立採算制という建前の元会計制度を独立させた反面、運賃などの許認可は政府に残され、旅客運賃は、財政法並びに運賃法に基づく、法定運賃制度となっていました。

詳細な条文等は下記に記載していますが、これにより国鉄の運賃は必要な時期に改訂が出来なかったり、必要な資金を値上げでカバーできず、高い金利で借りざるをえなかったりという矛盾を包含したまま推移していくこととなりました。

こうした話は、労働運動の話と関係ないと思われるかもしれませんが、国鉄運賃のあり方を知っていただくことが、今回の線区別運賃導入に至ったかという経緯を確認するのにわかりやすいと思いますので、しばしお付き合い願いたいと思います。

国鉄の運賃は財政法の適用を受けている

国鉄時代の運賃は、財政法と呼ばれる、昭和二十二年三月三十一日法律第三十四号で制定された法律に規定されていました。

その、財政法3条には下記のように記載されていました。

さらに、翌年昭和23年4月14日に制定された、財政法第三条の特例に関する法律 法律第27号でも、国鉄運賃などは引き続き、法律によることとして、除外規定が設けられていました。

以下は、条文の抜粋になります。

 財政法 法律三十四号(昭二二・三・三一)

(課徴金、独占事業における専売価格及び事業料金の法定主義)
第三条
租税を除く外、国が国権に基づいて収納する課徴金及び法律上又は事実上国の独占に属する事業における専売価格若しくは事業料金については、すべて法律又は国会の議決に基いて定めなければならない。

 

財政法第三条の特例に関する法律

法律第二十七号(昭二三・四・一四)

 政府は、現在の経済緊急事態の存続する間に限り、財政法第三条に規定する価格、料金等は、左に掲げるものを除き、法律の定又は国会の議決を経なくても、これを決定し、又は改定することができる。

 一 製造煙草(外国煙草及び輸出用製造煙草を除く。)の定価

 二 郵便、電信、電話、郵便貯金、郵便為替及び郵便振替貯金に関する料金

 三 国有鉄道国有鉄道に関連する国営船舶を含む。)における旅客及び貨物の運賃の基本賃率

附 則

 この法律施行の期日は、その成立の日から十日を超えない期間内において、政令でこれを定める。

 この法律は、物価統制令の廃止とともに、その効力を失う。

 財政法第三条の規定施行の際現に効力を有するこの法律の本則各号に掲げる定価、料金及び基本賃率は、財政法第三条の規定施行の日において、同条の規定に基いて定められたものとみなす。

(内閣総理・外務・大蔵大臣・法務総裁・文部・厚生・農林・商工・運輸・逓信・労働大臣署名)

 昭和57年8月に発行された、監査報告書 P24には下記のように書かれています。

以上のように、たばこ、郵便、電信電話料金等とともに、国鉄の賃率は法令で定めることとし、勝手に改訂できないというなっていて、これが国鉄末期まで続くことになりました。

更に賃率は、運賃法により下記のように定められていました。

(鉄道の普通旅客運賃)

第三条

鉄道の普通旅客運賃の賃率は、営業キロ一キロメートルごとに、六00キロメートルまでの部分については七円九O銭、六00キロメートルを超える部分については三円九O銭とする。

ニ 鉄道の普通旅客運賃は、営業キロ区間別に定めるものとし、その額は、各区間の中央の営業キロについて前項の賃率によって計算した額とする。

(第一項の賃率は、現行法においては附則一O条のこの規定により運輸大臣の認可によって国鉄が定めることとしている。)

 この件に関して、昭和58年6月の国鉄線で、

前 総裁室法務課補佐・現 大阪駐在理事室補佐 庄垣内氏が、「国有鉄道運賃法と営業キロ」という記事を投稿しており、国鉄再建法において、地方交通線の運賃について、「必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする」との規定がなされたことで、全国一律の運賃制度を見直すことが法律的に認められた事は一歩前進であるとして、記事を掲載しています。

国鉄線昭和58年6月号 国有鉄道運賃法と営業キロ

国鉄線昭和58年6月号

以下は、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法から引用したものです。

日本国有鉄道経営再建促進特別措置法
法律第百十一号(昭五五・一二・二七)

地方交通線の運賃)

十三条 日本国有鉄道は、地方交通線の運賃については、地方交通線の収支の改善を図るために必要な収入の確保に特に配慮して定めるものとする。

 なお、国鉄監査報告書でも、昭和57年8月に報告された監査報告書にも下記のように記述されています。

線区や地域などの実態に応じた運 賃・料金を設定し得るよう、早急に全国一律の運 賃制度を見直し、線区別、地域別運 賃の導入を図るための所要の措置を講ずることが必要である。

このように、国鉄の地方ローカル線に関しては、廃止が促進される一方で、地方交通線にあっては、特定運賃を設けても良いとする事が法令的にも明記されたことから,国鉄は本格的に運賃の制度について検討することとなりました。

国鉄運賃は擬制キロで検討する方向に

国鉄では、営業キロと実キロという方法を以前から採用しており、新幹線の場合は在来線と比べると実キロは短いのですが、東海道線の線増であるという位置づけで、新幹線の実キロ、515.4kmを在来線と同じ552.6kmで計算したことは,運賃法に照らして誤りであるとして,昭和50年に裁判が行われたこともあり、慎重に議論されることとなったようです。

なお、当該事件は、「新幹線運賃差額返還訴訟」として、wikipediaに概要が載っていますが、国鉄は以前から営業キロという概念を採用しており、裁量権国鉄にあるとして、最終的には最高裁まで争われたこの事件は一審、国鉄側敗訴、二審、国鉄勝訴、最高裁では控訴棄却で高裁の判決が確定しています。(最高裁の決定は、昭和61年3月28日  昭和57(オ)1129 旅客運賃不当利得返還

最高裁の判決前に、擬制キロによる運賃は導入されているのですが、国鉄としては従来からも運賃計算の煩雑さを避ける為、もしくは営業的見地から敢えて実キロよりも短い距離を選択する場合もあり、当然その逆も然りでしたので、こうした地方交通線の運賃については特段の配慮を求めるということで、線区別運賃の可能性が認められたことから、積極的に擬制キロを使用して同一賃率では有るものの線区によって運賃が異なる運賃値上げを昭和59年2月から実施することとなったのです。

これに対する、国労の動きは、次回改めて論じたいと思います。

続く

豊川駅に停車中の流電ことモハ52 画像は直接本文と関係ありません

豊川駅に停車中の流電ことモハ52

 

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